ネット上で自分を「賢く」見せるもっとも簡単なやり方は「ブランド」と見なされている (或いはその個人「だけ」が見なしている?)対象を嘲笑ってみせる事だ。 人気があるのは「朝日新聞」「フェミニズム」「ジェンダーフリー」などで「上野千鶴子」と言う名前も その中の一つだろう。私が昨日見た女性のブログには「上野千鶴子を前は読んだけど、大した事ない、 男性ばかり攻撃するなんて「モテナイ」女の僻でしょう?」とある。 この女性はまだ未婚だが(私の見たところ結構いい年っぽい)「自分への100の質問」では 「男性はフッたことしかない」と、何故かとても自分を「いい女」に見せるのに「必死」で、つまり 「私はインテリだから上野千鶴子も読むけど男に不自由しないから別に評価しなーい」なんて 大変わかりやすい「表現方法」に「上野千鶴子」を選んでいる。 「上野千鶴子」を馬鹿にする事で彼女は2重に自分を「飾れる」わけだ。 「
哲学から下ネタまで、何でもありの型にはまらないブログmixiで議論していて、最近痛感していることは、多くの人々、特に左寄りの方々が、右寄りの傾向を持つ人々を「右翼」と一括して非難することが非常に多く、保守と右翼の違いがまるでわかっていない場合が多いことである。 当ブログでは、「保守」思想の何たるかについては、今まで数え切れないほどのエントリーを立てて、自分の意見を表明してきた。 しかし、「右翼」については、「天皇陛下を大好きな左翼」と何度か言ってはいるが、具体的にどのような存在であるかについてまとめて語ったことはほとんどなかったと言ってよい。 そこで今日は、おれの考える右翼の定義および保守と右翼の根本的な相違について、改めて詳しく書いてみたい。 そのため、両者はよく混同されるのであるが、結論に至るまでの過程が、保守と右翼では根本的に異なるのである。 結論から先に言えば、右翼
halさんの問いかけに対して、まじめに考えなければならないと思っているのですが、連休の最中で落ち着いて時間が取れませんので、今日はいくつかキーになると思われる教育・研究現場にまつわる「伝説」を思い出して書き留めておきたいと思います。 その1; 大学の教育は研究者でなければできない。 大学で教えられるものが、高校までとは違ってまだ教科書に書かれるほど成熟・安定してはいなかった時代には、大学で教えられるようなことは教科書にも載っておらず、研究の現場で起こっていることが研究者から学生にダイレクトに伝えられた時代もあったのでしょう。そういう時代には、大学で教育することができるのは現場で研究する人間でなくては無理だったのかもしれません。 私も大学に入った頃にはそういうふうに思っていたこともありますが、その後アメリカを中心に作られている充実した教科書を見るたびに、この伝説は日本の大学教員が教育にまじめ
歴教協編『抵抗をどう教えるか』 ぼくが出席してる自主ゼミで、ゼミが終わって会食をしている最中に、「フランスはなんであんなに共産党が大きい(大きかった)のですか」という質問が、左翼のぼくによせられました。 フランスにもフランス共産党にもくわしくないのですが、「ぼくもよく知らないのですが。ただ、レジスタンスを中心的にたたかったというので、国民の信頼は絶大だったということはあるらしいですよ」と答えておきました。質問した人は、釈然としない様子でしたけど。 その答えということではないのですが、本書を読むと、少なくともフランスでは共産党の存在なくしてレジスタンスというものがありえず、しかもそれが非常に広汎に国民に根をはって展開されていたということがわかります。 本書冒頭にある「レジスタンスの形成と展開」という愛知淑徳短大の遠藤雄久氏のなかで、たとえば次のような一文があります。 「レジスタンスの運動はす
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