カート・ヴォネガットのラスト・インタビュー今は亡き偉大なる作家にとって家族、無神論、インディアナでの楽しみとは by ヘザー・オーグスティン(The Times of Northwest Indiana新聞記者):In These Times WEB2007年5月9日掲載 今年4月27日、カート・ヴォネガットはインディアナポリスの特別文化事業「ヴォネガット年」のために講演を行う予定でした。2月28日、私はニューヨーク在住のヴォネガット氏と電話で話しましたが、それが彼の最後のインタビューになったのです。 ヴォネガット氏は具合が悪かったため、長くは話せませんでしたが、家族旅行の思い出や、先祖、家族とは何かについて話しました。悲しいことに、我等家族の一員、我々カラス(karass)の1人、真のアメリカ人、偉大な作家であるヴォネガット氏は他界されました。以下はその会話です。 質問者:「作品を書く動
今回は、昨日のエントリー「仇討ちOK」のつづきです。 死刑の賛否に関する割り切れなさについては、森さんがいみじくも「死刑って、割り切れない、論理的整合性となじまないテーマだなという気が最近とてもしています。論理的には反対だけど、情緒的には否定しきれない後味の悪さ」と発言しています。つまり、論理的には反対、情緒的には受け入れざるを得ないということでしょうか。 これに対して、藤井さんは「死刑を理念的にどう考えるか。殺した人間の命で償わせるということの意味を、当事者を交えて社会のなかでどう議論していくか」が問題であり、「これを法制度のあり方や、正義とは何なのか等の総合的かつ複合的な議論の中から考え、どう『着地点』を見つけるのか」が重要だと指摘します。さらに、その着地点は時代によって変動するものであると付け加えます。 たいせつなキーワードが出てきました。「正義」と「変動」です。ここで押さえておきた
「週刊金曜日」2007年5月11日号に、藤井誠二さんと森達也さんの興味深い対談が掲載されていました。犯罪被害者とは何か、また死刑とは何かを考えるうえで、参照すべき点が多いものとなっています。 藤井さんのスタンスは、『殺された側の論理』(講談社)を読めば一目瞭然で、死刑も含めた量刑の「厳罰」化が必要というものです。もちろん、ただただ「厳罰」を要求するのではなく、犯罪被害者への取材をおこなった結果として、現在の量刑が軽すぎるという結論に達したわけです。 一方、森さんのスタンスは、量刑が軽すぎるのは認めるし、家族を殺した加害者を死刑にしたいと思う被害者家族の心情はわかるものの、それでも「厳罰」化は慎重におこなうべきであり、早急に進めることには反対というものです。 世間も法律に携わる人びとも、とくに人権派と呼ばれる人たちは加害者側しか見てこなかったのは、藤井さんのいうとおりです。人権を看板にしてお
○御訪問会見の印象 宮内庁HPにおいて,平成19年5月14日に行われた「天皇皇后両陛下の外国ご訪問前の記者会見の内容」が公開されている。 この記者会見を読んでいて,筆者なりに気になったのは,問3に対する天皇陛下のお答えである。 これを読んで,天皇家と東宮家との溝が埋まることは,もうないのだろうなと思わざるを得なかった。 筆者としては,和やかな家庭像の復活を望んできたのであるが,それはもう無理なんだなと思わざるを得なかった。 さて,この記者会見問3についてであるが,質問の趣旨は,皇太子同妃両殿下に対する天皇皇后両陛下の思いということに重点が置かれているのであろう。 しかし,両陛下のお答えは,いずれもご自分たちのかつての苦労の思い出話に重点が置かれており,両殿下への思いということについては,実にそっけない,というか冷たい印象を受ける。 天皇陛下のお答えの中に「それと同時に名代という立場が各国か
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