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ブックマーク / kechack.hatenadiary.org (114)

  • 奥谷禮子社長の「過労死は自己責任」発言に思う - Munchener Brucke

    まず会社員に個人事業主のような自己責任を求めるのはどうなのか?自己責任が取れる人間は独立して起業すればいい訳で、そのリスクを回避したい人が企業に所属し、そのリスク回避分は自己が創造した付加価値を企業に帰依させるのである。昔風に言えば搾取だが、リスク回避の為の年貢と思えばいい。 しかし奥谷社長の考えに基づけば、年貢を納めているのに、リスクは自分で負えと言うことなのか、働く側から見れば企業という庇は高いのに保障が薄い魅力のない保険に成り下がってしまう。 ちなみに「格差はあって当然」とか「下流は甘え」と言った言葉をはっきり言うのは、なぜか成功している女性が多い気がする。高市早苗や金美齢などがそのような発言をしている。男性の成功者はあまりはっきりこういうことを言う人は少なく、セーフティーネットも必要といったゆるい発言をする。そういえば英国のサッチャーがそうであった。

    奥谷禮子社長の「過労死は自己責任」発言に思う - Munchener Brucke
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    zyugem 2007/02/13
  • 柳沢発言と進歩的強迫観念 - Munchener Brucke

    柳沢厚労相に限らず、当に安倍内閣は口が達者で思ったことを嘔吐物の如く吐き出す閣僚が多い。しかも困ったことに政治家の自由奔放な発言に好意的な世論が多いのである。 これは90年代以降のバックラッシュ文化の影響であろう。80年代以前の思想界、マスコミの左傾化を支えてきたのが『進歩的強迫観念』である。つまりインテリゲンチアによりこういう考えが進んでいる考えで、この考え方を持つ人間は優れている、啓蒙されているというネットが張り巡らせらて、スノビズムに駆られた亜エリートがその網に囲まれて自然に左傾化していったのである。 この網を窮屈に思った保守言論人により、90年代はこの網を破壊する活動が盛んに行われた。特に90年以降に保守思想に感化された人たちにとっては、音で自由にモノが言えることが重要視されるのである。 しかし、他人の嫌がることを言わないというデリカシーを持つことは「品格」であり、日的価値観

    柳沢発言と進歩的強迫観念 - Munchener Brucke
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    zyugem 2007/02/07
  • ホワイトカラー・エグゼンプション導入はなぜ失敗したのか? - Munchener Brucke

    もちろん今国会での法案提出が見送られただけで、参院選後に再び導入が議論される可能性があり、導入に失敗したとは言い切れないが、世論が政権に吸い寄せられる光景を長らくみてきた私にには、久々の「世論の反発」を見た気がする。 現時点で、何が失敗であったのか考察したい。 ネオリベラリストの過信 小泉時代末期、特に郵政選挙以降、ネオリベラリストの中に「ネオリベ」が国民に浸透したとの過信が生まれた。だが支持されていたのは小泉の発する「小さい政府」「民でできることは民で」といったキーワードだけでたった。 来的に「弱者に厳しく!」「企業に活力」といった思想まで支持している人は少ない。もっとも後者の剥き出しのネオリベ思想は、小泉人の口から出たことはなく、安倍政権以降になって取り巻きの新古典派の学者連中や財界人から盛んに出るようになった。 経済界が前面に出すぎることへの反発 経団連は奥田会長時代から、積極的

    ホワイトカラー・エグゼンプション導入はなぜ失敗したのか? - Munchener Brucke
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    zyugem 2007/01/21
  • 「保守主義 拡大より空洞化が問題」  - Munchener Brucke

    北海道大学 中島岳志助教授 1月8日朝日新聞より エドマンド・バークは人間の理性の限界を認識し、抽象的理念の普遍性を疑い、歴史の風雪に耐えた具体的な伝統や習慣を重んじる保守主義の立場でフランス革命の熱狂の中で理想社会の実現を解く人々を批判した。「人間は非合理で利己的な存在だ。エゴイズムや怠惰、おごり、ねたみ等を払拭することができない。保守主義者は人間の根源的な「悪」を自覚し、「どんなこともできる」という思い上がりを諫めることが共通する態度である。 保守主義者は人間の「悪」を抑制し、自らの能力への過信を諫める宗教を重視する。また小林秀雄、福田恒存、江藤淳、山崎正和、勝田吉太郎ら戦後の日の保守主義者は人間の「悪」を自覚し、「政治の限界」を認識した上で文学に関心を向けた。 戦後生まれの「大東亜戦争肯定論」を展開し、いじめ問題については武士道のような精神主義の復活を声高に叫ぶ人たちは真の保守主義

    「保守主義 拡大より空洞化が問題」  - Munchener Brucke
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    zyugem 2007/01/14
  • 周回遅れのネオリベラリズム - Munchener Brucke

    現在日では「ホワイトカラー・エグゼンプション」など企業優位の労働法規改正や、企業や高額所得者に優位で低所得者に厳しい税制改正や社会保障の見直しと、すざまじいネオリベの嵐が吹いいる。なぜこんなことになっているか摩訶不思議である。 ネオリベ全盛期の80年代の中曽根政権下では、ここまでの動きが出なかった。この時は事情があった。当時アメリカは対日貿易赤字に苦しみ、日の内需拡大を求めていたのである。また労働意欲の高い日企業をより脅威に感じていた時代である。日の労働者の賃金を下げることは、内需拡大・企業競争力両面でアメリカの利益に反しており、そのような政策を望んでいなかったのである。アメリカはネオリベの規制緩和の部分だけを日に求めてた。 ネオリベの労働配分率を低位安定させ、景気変動に左右されない企業経営環境を作ると言うニューエコノミー的な環境整備は日では余り進まなかった。経済がグローバル化

    周回遅れのネオリベラリズム - Munchener Brucke
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    zyugem 2006/12/28
  • 「おててつないで仲良くゴール」にみる90年代のネオリベと民族派の蜜月が終わり、無産右派が胎動する可能性 - Munchener Brucke

    「おててつないで仲良くゴール」の話をご存知であろうか、実にくだらない話ではあるのだが、実に象徴的な話である。小学校の運動会の徒競走で順位をつけるのを止め、最後は仲良く手をつないでゴールするという話だ。実は今になってどこの小学校で行われていたのか全く情報もなく、「自分の小学校はそうだった」という体験談も聞かない一種の都市伝説であったとも言われているのだが、90年代は保守派の日教組攻撃、サヨク批判のネタとして頻繁に聞かれたネタだ。未だにこのネタを使っているブロガーもいるぐらいだ。このネタを知りたい人は↓のエントリーを読んで欲しい。 http://d.hatena.ne.jp/debyu-bo/20060928/1159407413 http://d.hatena.ne.jp/opemu/20060929/1159524762 90年代前半はネオリベが新鮮な輝きを持っていた時代で、「悪平等」「自

    「おててつないで仲良くゴール」にみる90年代のネオリベと民族派の蜜月が終わり、無産右派が胎動する可能性 - Munchener Brucke
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    zyugem 2006/12/22
  • 続:保守主義とは何か - Munchener Brucke

    11月24日のエントリーの続きで、コメント欄でのhodashiさんとのやり取りでのお返事が長くなりそうなのでこのエントリーでまとめます。 現在多様な「保守主義」が混在しているように見えますが、基的に「伝統的な価値観を重視し、現代的問題を解決しようとする姿勢」という一種類のものだと思います。ただ伝統というものが過去の歴史の長さや諸外国の影響等により多様なために「保守主義」が多様になってしまうのでしょう。 日の「保守主義」を伝統の対象によって大まかに分類すると以下の4分類が可能です。 日の伝統の中で農村的・ムラ社会的な価値観を重視する保守主義 日の伝統の中で武士道的な価値観を重視する保守主義 日歴史の中で特に明治維新から戦前までの価値観を重視する保守主義 外来保守主義(新保守主義などアメリカ的保守主義、統一教会など周辺国の保守主義) もちろん夫々分立しているのではなく、それぞれ相関

    続:保守主義とは何か - Munchener Brucke
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    zyugem 2006/12/06
  • 「人を育てる」という最低限の社会的責任を放棄した企業 - Munchener Brucke

    最近は学校教育ばかりに目が行くが、社会教育とりわけ職業教育の分野で今の日は目詰まり状態にある。製造現場や運輸事業などで相次ぐ事故。明らかに日の現場力が落ちているという現実をもはや否定できない。 日式経営というものは、中途半端に教育を受けている人材より純粋無垢な人材を企業カラーに染めることを重視したきた。大企業は製造業の現業員であれば工業高校で最低限の技術教育を受けていればいい、大卒社員でも大学で学んだ内容は余り重視せず、潜在的能力さえあればいいという考えが支配的であった。 しかし90年代以降、新入社員をじっくり育てる大企業が軒並み新卒採用を減らし、非正規雇用に切り替えたり、即戦力確保のための中途採用に踏み切るようになった。一方で新興企業は大企業のリストラにより即戦力の確保が比較的容易であり、企業内での基礎的職業教育のノウハウがなくてもそこそこうまく行っていたのである。 現在どういう問

    「人を育てる」という最低限の社会的責任を放棄した企業 - Munchener Brucke
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    zyugem 2006/10/22
  • 安倍次期首相は成果を出せるか? - Munchener Brucke

    私は安倍次期首相には何ら期待もしてはいないが、かといってダメだろうと断定するのも早いと思う。一応様子見というスタンスだ。この人が成果を上げる可能性がないわけではないので、その可能性を2パターン考えた。 タカ派政治家が成果を上げる? 『ヒトラーパターン』 よく「タカ派政治家」の方が実行力があるという人がいる。もちろんタカ派的な攻撃性=実行力になっている部分もあるが、ヒトラーパターンについて考えてみたい。政治学的にはもっと別の用語があるのかも知れないが、私には知識がないので知っている方がいればご指摘下さい。 タカ派政治家には野望がある。時にはそれは国民に不人気であったり、一部の保守派にしか支持されないものであることが多い。その野望を実現するためにタカ派の政治家はほぼすべての国民に支持される政策を実行し、むしろ表面的にはその成果を誇示することが多い。ヒトラーの場合、アウトバーンなど公共事業に国家

    安倍次期首相は成果を出せるか? - Munchener Brucke
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    zyugem 2006/09/22
  • エリート教育復興という非エリート思想 - Munchener Brucke

    安倍次期総理の政策の目玉は教育改革だそうだ。まあ今の教育が良いと思っている人は誰もいないというのはまあその通りなので、議論するのは大いに結構。ただ出てくる話は愛国心教育やエリート教育といった内容。これって、今の教育現場の問題を少しでも汲み取っているのか?教育を知らない人間のイデオロギー妄想でしょうに。 そもそも○○さえすれば問題が解決するというのはこの世の中でほとんどあり得ない。教育分野では「ゆとり教育」の後は学力回復と迷走を続けているのはご存知と通り、「愛国心教育」も「エリート教育」も問題の根的解決になたらないのは明白である。そして効果が出なかったと気付いてから、また別の議論が始まるのである。 はっきりいってその間迷走している時間が無駄である。迷走している間に日は競争力を失速させるかも知れない。結局、短視眼的に「○○さえすれば良くなる」という論説を張る人が非エリートで、真実を見極め適

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    zyugem 2006/09/16
  • 安倍政権でこうなる 首相主導で「教育再生」 - Munchener Brucke

    http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/200609/060904b.html 産経新聞の記事が話題になっている。 全体的な印象を言うと、「○○させる」という表現が非常に多いということ。一般的に教育原理主義者というか教育保守主義者というのは「自主性を重んじる」ということを毛嫌いする傾向が強いのだが、一面的過ぎる。 「させる」という行為が実際に子供の殻を破り、新たな可能性を導く可能性もあるが、トラウマを作りチャンスを潰してしまうこともある。どちらがいい悪いの問題ではない。教育というのは医療と同じで、その人にあった指導が重要で、背中を押さないとダメな子と型にはめない方が延びる子がいる。教育をイデオロギーにする人間はこの視点が欠けている。 あと山谷えり子に代表される、アンチジェンフリ派の教育論には激しい違和感を感じる。純潔教育がまるで日の伝統であるかの如き

    安倍政権でこうなる 首相主導で「教育再生」 - Munchener Brucke
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    zyugem 2006/09/13
  • 加藤紘一元自民党幹事長宅焼かれる - Munchener Brucke

    嫌なニュースですな。犯人とおぼしき人物は60歳前後で割腹自殺というところを見ると、三島世代の古いタイプの右翼と思われる。とりあえず家に引きこもって2ちゃんねるばかり書いているネットウヨの仕業でなくてよかった。 まあ馬鹿なやつはいるものだと言う事で済ましたいところだが、これをGJだとホザいているアホがいる。はてな内では概ね冷静に批評しているエントリーが多いのではあるが、ミクシー辺りでは音丸出しで喜びを隠せない人たちがいる。匿名掲示板の癖が抜けないのか、分別もない音垂れ流し。会員制とは言え、簡単に人が特定できるSNSで、まるで自分は馬鹿ですと宣伝しているようなものではないか? 自分の友人がこんな日記を書いたら容赦しません。 レイトさんの日記 20歳男 加藤紘一の自宅が火事になったそうやね。 正直なところ少し嬉しかった パブリさんの日記  21歳女 www…今年1番笑えるネタじゃないですか

    加藤紘一元自民党幹事長宅焼かれる - Munchener Brucke
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    zyugem 2006/08/17
  • 差別は数学である。 - Munchener Brucke

    後者の差別は、差別意識の露呈というより犯罪発生率の高い母集団を避けるというリスク回避の一種である。最近、医療保険や生命保険で非喫煙者の保険料率を低くしたり、自動車保険で通勤に車を使わない人の料率を低くするといったリスク分散型商品が定着しているが、それと同じ行動である。 今でこそ戦後民主主義教育の効果か?こう言う人は少なくなってきているが、戦前世代の親はよく「○○ちゃんと遊んではいけません」とか「○○町の子供と遊んではいけません」なんてはっきり言ったものだ。悪しき差別意識と糾弾することは簡単だが、悪い友達を作ってほしくないという親心は古今東西変わらないものであるから難しい。 戦後世代の人間だって、リスク分散行為はよくやる。例えばマンションを買うときに一番重視されるのが地域の治安や教育環境である。東京などでは都営住宅と同じ学区域にマンションを建てると売れないというのは業界の常識である。 彼らは

    差別は数学である。 - Munchener Brucke
    zyugem
    zyugem 2006/02/21
    「スラム」が形成されるきっかけか。ところでトラバ元が面白い件について。
  • Sapporo Life

    結論から言うと、日における少年による凶悪犯罪は戦後劇的に減少している。これは事実なのでこれ以上説明しない。疑問がある人は自分で調べて欲しい。 12/16(金)のテレビ東京のWBSで少年犯罪は減少しているというデータを取りあげた。実はマスコミがデータに基づいた客観報道をするのは稀で、多くのマスコミは特異な少年犯罪を断片的に報道し、人々に凶悪な少年犯罪がいかにも増えている印象を与えることに余念がない。 番組で50代の中年男性が、「最近少年の凶悪犯罪が増えている。昔は悪い子はそんなにいなかった。」みたいなコメントを発するのは実に滑稽であった。中にはキャスターやコメンテーター自身が事実を知らず、悪意なくまるで「少年による凶悪犯罪が増えています」みたいな発言をする。有識者と呼ばれる人の不勉強さにはいささか呆れ果てる。 なぜマスコミは嘘を伝えるのか? 実はマスコミに嘘を伝える意図はそれ程ない。一部に

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