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2017年4月20日のブックマーク (4件)

  • なぜ日本はクロマグロの漁獲枠を守れないのか?(勝川俊雄) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    乱獲状態にあるクロマグロを守るために、去年の7月から国別の漁獲枠が設定されました。残念ながら、日は国際的に決められた漁獲枠を越える水揚げをすることが確実な情勢です。決められた漁獲枠をなぜ守れなかったのか。その背景に迫ります。 クロマグロ、2カ月残して月内にも捕獲枠超えへ 沿岸部で相次ぐ違法操業、国際批判避けられず 資源の枯渇が懸念されている太平洋クロマグロのうち、国際合意で決められた30キロ未満の小型魚の漁獲量が月内にも上限を超えることが17日、分かった。国内の沿岸部で違法操業などが相次いで発覚していることもあり、日の資源管理の姿勢に海外の批判が集まることは避けられない。 出典:http://www.sankeibiz.jp/macro/news/170418/mca1704180826011-n1.htm 昨年から、クロマグロの国別の漁獲枠が導入されました。日は去年の7月から今年の

    なぜ日本はクロマグロの漁獲枠を守れないのか?(勝川俊雄) - エキスパート - Yahoo!ニュース
    zyzy
    zyzy 2017/04/20
    コメント欄に早速中韓が多く取ってるに違いない!! という変わり映えのない無茶を言い続けている、ごく普通の日本人様がいるあたりも、改善しない理由なのかもしれない。いや一番の理由は利権くさいけど。
  • 「婦人公論」で始まった鈴木保奈美のエッセー、80年代引きずりまくりの文体の時代錯誤感

    「婦人公論」4月25日号(中央公論新社) 今号の「婦人公論」(中央公論新社)、表紙は木村拓哉です。口の左端を微妙に上げた不敵スマイルで、キムタク健在をアピール。インタビューは主に映画『無限の住人』の宣伝ですが、「昨年の1月は身辺にいろいろあった時期だったので、目の前にこの作品があったことで、個人的にすごく助けられました。(中略)この時期、起きた出来事に対して、自分が口を開くべきなのかどうか、言葉を発したら、気持ちはちゃんと届くのか。いろいろな思いが心の中にありました。そういう抱え込んだものを、撮影を通して放出できたんです」と、誰もが聞きたい解散ネタを作品への意気込みにスルっと変換。まぁ商売上手。 ひとつ気になったのはインタビュー後半の「映画なら映画、ドラマならドラマ、何かひとつの仕事にフォーカスを合わせ続けられるようになったことは、すごく新鮮ですね。前は、5チャンネルくらいありましたから」

    「婦人公論」で始まった鈴木保奈美のエッセー、80年代引きずりまくりの文体の時代錯誤感
    zyzy
    zyzy 2017/04/20
    こういう表記好きなんだけど、そうか80年代ものを漁れば、こういうの多く出てくるのか。なるほど。
  • 何故ネットでは承認欲求が叩かれるのか? - SEOの実験場

    ネットスラング化した「承認欲求」 SNSでは「承認欲求」という言葉が悪口として使われています。 承認欲求という言葉は元々、アメリカの心理学者アブラハム・マズローが作った言葉で、彼は人間の基的欲求を低次(優先度の低い順)から「生理欲求」「安全欲求」「所属欲求」「承認欲求」「自己実現欲求」に分類しました。 そしてマズローは承認欲求を「他者から認められたい、尊重されたいとする欲求」とし、これを「人間の基的な心理的欲求である」と定義しました。 ところが、今のインターネットでは「承認欲求」が「他者から認められたいが為に必死になってる痛い奴」的なレッテルとして機能しています。 どうして人間の基的性質(と定義された言葉)が嘲笑の対象となる要素になってしまったのか? この理由として、よく使われる理論がsyamu_gameさんが提唱した「ほならね理論」です。 「ほならね理論」とは? 「ほんでーまあ…『

    何故ネットでは承認欲求が叩かれるのか? - SEOの実験場
    zyzy
    zyzy 2017/04/20
    この言葉が使われる場面は常に「自分が理解できない他人を他の他人が褒めて、互いに求め合って、理解できない共同体を築いているのが気に食わない」というシーン。理解できない社会が存在することが許せない時の台詞
  • 「マストドン」の正しいイントネーション

    今のうちにはっきりさせておきたい。 「鉄火丼」式「コッペパン」式「ガッチャマン」式「カーディガン」式どれ???

    「マストドン」の正しいイントネーション
    zyzy
    zyzy 2017/04/20
    イントネーションが人によって不定で揉めるという点を共通項とみなして、各自カーディガンと同じ発声をするということでよいのではないかと。