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mogikenに関するhaseharuのブックマーク (6)

  • 茂木健一郎 クオリア日記: ツイッター私塾

    ツイッター私塾 インターネットの発達により、学術情報自体は、ネット上にふんだんに存在する時代になった。誰でも無料で多くの情報に接することができる。そのような時代には、「大学」の役割は変化する。情報そのものではなく、「人」が重要な資源となる。 人の知性の総合性は、アルゴリズム・ベースの人工知能で書くことができない。それは、生身の人間がその肉体の中に持つ体系性の中に提示されるしかない。大学の役割は、すぐれた教員、すぐれた友人との出会いだろう。 生の有機的体系性の重要さを一歩進めると、「私塾」の思想となる。大学とは、私塾の集まりであると言ってもよい。幕末、多くの私塾が有為の人材を輩出した。松下村塾、適塾など。 しばらく前に、「私塾」をやりたいなと思った。しかし、時間的にも、場所的にも、なかなか難しいものがあった。一番の困難の一つは、どのようにして人を「セレクト」するかである。誰でも入れるオープン

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 「科学」と「学習」

    学研の「科学」と「学習」が4月から休刊になるという。 これまでの「科学」と「学習」の歩みを振り返るを作る。 そのように新屋敷信美さんからメールを頂いて、学研社にうかがった。 吉村栄一さんがいらしたので、びっくりして、「あれ、ヨッシーだったんだ」と思わず叫んだ。 「科学」の付録には、いろいろな思い出がある。 小学校の校門を出て、すぐ横の家で「科学」を受け取ると、真っ先に付録を見た。 青写真、砂鉄、ロボット、風船ロケット、シーモンキー、・・・・ 当時の頁をめくっていると、子どもたちの好奇心をいかに大きな広い科学の世界につなげるかという熱意が伝わってくる。 今日では、子どもたちの学習に関する世間の関心は、すっかり、学校に入るための「受験」に絞られていってしまった。 そこからは、そもそも知性とは何か、これからの時代に必要な世界観、教養とは何かという大きなヴィジョンが失われている。 受験対策とい

    haseharu
    haseharu 2010/02/23
    「そこからは、そもそも知性とは何か、これからの時代に必要な世界観、教養とは何かという大きなヴィジョンが失われている。」
  • 茂木健一郎 クオリア日記: ずっと「北極星」のごとく

    『プロフェッショナル 仕事の流儀』の収録。ゲストの上田泰己さんとお話していて、とても驚いた。 上田さんも僕も、生理学者の江橋節郎さんの「孫弟子」だったのだ。 上田さんが、東京大学医学部の飯野正光さんのところに行った時、「うちは放牧するから」と言われ、飯野さんに御世話になることに決めたのだという。 学問というものを広々ととらえ、大きく構えて質を追究していく。江橋先生のお人柄がなつかしく偲ばれる。 今日では、情報自体はインターネット上にいくらでも存在する。 だから、独学しようとすれば、インターネット上でそれは可能であって、大学などの組織に行く必要はない。 問題は、人柄からしか感化されないものがあるということ。 これは、その生身の人に接して、その人の発する言葉、節々に示される考え方によっていきいきと動かされるしかない。 つまり、このウェブ時代に最も希少なものは、「師」とあおぐ人に直接接する機会

    haseharu
    haseharu 2010/02/12
    「問題は、人柄からしか感化されないものがあるということ。 これは、その生身の人に接して、その人の発する言葉、節々に示される考え方によっていきいきと動かされるしかない。」
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 標準化しようとすると、かえって生命運動としての本質が

    生きていく中で時々ふと、河合隼雄先生とお話した時のことを思い出す。京都のクリニックで、箱庭を観て頂いた後に、お好きなフルートを吹くというその部屋で向き合った。 河合先生いわく、箱庭は実際に効果がある。そのことは経験からわかっている。しかし、通常の手続きをとって、科学的な意味で実証しようと思ったら、さまざまなことを「標準化」しなければならない。 例えば、砂の量、色。箱の大きさ、材質。何よりも、箱庭に並べるアイテムの種類、数。そのようにして環境を標準化して、繰り返し実験してデータをとり、そうして統計を見なければ、通常の意味での「科学」とはならない。 ところが、箱庭療法の実際は、一回性の塊である。河合先生のクリニックにある人形や、木や、石の類は、訪れる人がお土産に持ってくるものも多い。いわば、「オープン・システム」。その内容を制御しようも、指定しようもないのだ。 箱庭を作る被験者の状態や、過去の

    haseharu
    haseharu 2010/02/03
    河合先生
  • 茂木健一郎 クオリア日記: とにかく、最初の噴火のマグマがなければ

    haseharu
    haseharu 2010/02/01
    ときどきextremeな考えを。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: いかにして人間をつくるか

    『プロフェッショナル 仕事の流儀』の収録に、香川県の観音寺で定時制高校の先生をされている岡田倫代さんがいらした。 自分に自信が持てない、自己肯定感の低い子どもたちがいるという。「私なんてどうせ」「ぼくなんか」と言う子が多いのだという。そのような子どもたちに、どうやって自己肯定感を持たせるか、それがまず最初の仕事なのだという。 ぼくは思った。自己肯定感がなく生まれてくる人間など、一人もいない。子どもたちは、自分はできる、チャレンジしようという根拠なき自信を持っている。 そんな子どもたちが、小学校、中学校と通ううちに、いつしか「ぼくはダメだ」「私なんて」となっていくとすれば、それは人たちのせいではなく、教育システムの失敗と言えよう。 人間ができれば、勉強は後からついてくると岡田さんは言われる。その通りだろう。やる気さえあれば、勉強するための素材は、もはやインターネット上に無料であふれている。

    haseharu
    haseharu 2010/01/29
    「 学術情報は、もはや無料でころがっている。問題は、それに向かう人間力である。」
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