普段とちょっと違うことを書きます。 まえがき 福島県の大野事件、奈良県の大淀事件と『医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か』において述べられていた人的リソース不足と業務上過失致死の問題がクローズアップされている*1。今回、考えてみたいのはそういった「事件」に対する「世間」の反応を変えることについてである。 大淀事件に対するブログなどのコメントを斜め読みしてみると、「師」がついている職業だからとか、感情を考えろといったロジックで病院を非難する人は多い。 逆に、不幸な事故であるが、過誤ではなかったという医師の意見も見られる。 背景は? 医療がサービス業であり「消費者中心の医療」であるべきなのか、それとも社会的資本であり産業とは別個の倫理が求められるのかという問いは棚上げするにしても、こういった受療者と提供者の価値観の相異そのものは好ましいものではない。 では、この相異が生まれる背景は何で