治天のてぃむ @2GinDnYiQj9801 一緒に「平清盛」を見ていた嫁が「なんで日本って2000年以上歴史があるのに、誰も天皇になろうとしなかったの?結局誰が天下を取っても飾りにするだけじゃん?」って純粋な目で聞いて来たんだけど、まぁこれが日本におけるタブーであり脈々と流れる国民性であり世界に誇れる民族性なんだろうね。 2024-03-19 20:40:37
反戦童話の代表格となった『かわいそうなぞう』 史実とは大きく違う『かわいそうなぞう』のストーリー 猛獣虐殺は空襲のせいではなく戦意高揚のため 『かわいそうなぞう』は戦後平和教育失敗の象徴 反戦童話の代表格となった『かわいそうなぞう』 児童文学作家土家由岐雄による童話『かわいそうなぞう』。1951年に発表された後、1970年に絵本として出版されて200万部を超える大ヒットを記録、小学校の教科書にも採用され、代表的な「反戦童話」「平和教材」となった。戦後生まれの日本人なら、子どもとして、またはその親として、一度は読んで涙したことがあるのではないだろうか[1]。 そのころ、日本は、アメリカとせんそうをしていました。せんそうがだんだんはげしくなって、東京の町には、朝もばんも、ばくだんが、雨のようにおとされました。そのはくだんが、もしもどうぶつえんにおちたら、どうなることでしょう。おりがこわされて、
Хаями🍥Расэндзин @RASENJIN 松代大本営について宮内省の要望、「陛下に万が一のことがあっても三種の神器に万が一のことがあってはならん」 生々しい優先順位。 2023-09-30 21:45:29 Хаями🍥Расэндзин @RASENJIN まんが描いてます。連載「スターリングラードの凶賊」。新連載準備中。キジバトの声好き。既刊は「大砲とスタンプ」「男爵にふさわしい銀河旅行」「ワルプルギス実行委員実行する」「螺旋人同時上映」「靴ずれ戦線」等。instagram.com/hayami.rasenjin rasen@be.wakwak.com rasenjin.hatenablog.com リンク Wikipedia 松代大本営跡 松代大本営跡(まつしろだいほんえいあと)は、太平洋戦争末期、日本の政府中枢機能移転のために長野県埴科郡松代町(現長野市松代地区)など
夫婦・子育ていまむかし 江戸、明治、大正…と日本人はどんな子育てをしていたのでしょうか? 家族のあり方やライフスタイルが多様化している今、改めて日本の歴史を見直してみませんか! 不思議な公家のたぬ君と遊び女おこんのふたりが… 確かに裸がデフォルトの生活をしている人々もいるし、もしかしたら裸を見せていてもを恥ずかしいとは思わない文化圏もあるのかもしれないけれど… もしかして日本も…? 昔はどうだったのかなぁ? というわけでまたまた歴史検索アプリを開くと〜…? 胸を見せても恥ずかしくない?やはり日本でも歴史を遡ると、今とはずいぶん『恥ずかしい』ポイントが違うようでした。 これはワタシも確かに不思議に思っていたところ。 現代では当たり前にきっちりと襟元を合わせて中に小袖を着ている十二単は本来は素肌に袴を履き、上から衣を羽織っているだけの服装だったんですって。 それに江戸時代の浮世絵や錦絵を見ると
十五歳になった途端に大人になる? 近世では(数え)十五歳で元服を迎え一人前の大人として扱われるようになる、というのが通俗的な近世の成人年齢に対するイメージだと思われる。確かに、当時は階級・地域を問わず概ね十五歳で元服(或いはそれに準ずる儀式)が行われていたのは事実だが、その内実は一般にイメージされるように、立ちどころに一人前の成人としての扱いを受けられるものでは無かった。 ところで、社会的に統一された「若者」が生み出されたのは、もちろん明治期の青年団に遡ることができるわけだが、その源流は近世の各村落に自然発生した「若者連*1」である。十五歳というのは元服を迎える年齢であると同時に、多くの村落においてはこの若者連への加入資格を得る年齢でもあった。 若者論へ加入することによる責務・権利はその自然発生的経緯からして当然にその土地や村落の状況により異なるのだが、概ね次の三つの要素①祭祀の執行②公共
研究で使われた遺骨(上列)とそれから復元した顔(下列)。遺骨の研究で関係者の同意を得られる例は少ない=奈良貴史・新潟医療福祉大教授提供 さまざまな資料から、マレー半島の東側に位置するボルネオ(カリマンタン)島の先住民「ダヤク」の遺骨が、国内の3大学に保管されているとみられている。資料の記載を突き合わせると、遺骨は墓地から盗掘されたことがうかがえる。海外の大学では、ルールを整備するなどして盗掘された遺骨の返還が進むが、国内では動きが鈍い。なぜ日本では返還が進まないのか。【関連記事】 遺骨から頭部復元 7月、新潟県長岡市内の会議室で、遺骨をもとに復元された4人の頭部の模型が披露された。4人は長岡藩の4代藩主・牧野忠寿(ただなが)など歴代藩主や正室。藩主は鼻が高く顎(あご)が小さい「貴族的」な特徴があった。 復元したのは、自然人類学が専門の奈良貴史・新潟医療福祉大教授の研究チームだ。頭骨の立体的
太平洋戦争で日本軍と戦ったイギリス軍のある司令官は、日本軍の上層部の体質を次の様に喝破していた。 「日本軍の指導者の根本的な欠陥は、“肉体的勇気”とは異なる“道徳的勇気の欠如”である。彼らは自分たちが間違いを犯したこと、計画が失敗し、練り直しが必要であることを認める勇気がないのだ」(第14軍 ウィリアム・スリム司令官 ※タイトル画像の人物) 戦いの舞台となったのは、インパール作戦で知られるビルマ戦線(現在のミャンマー)。実は、太平洋戦争で“最も無謀”といわれたインパール作戦のあと、それをはるかに上回る命が失われていたのだ。 指導者たちのどのような体質が、さらなる“地獄”を作り出したのか。 77年の時を経て、私たちが直視すべき「道徳的勇気の欠如」、その実態をひもとく。 (NHKスペシャル「ビルマ絶望の戦場」取材班)
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