近くのコンビニに行くのにも髭を剃り、髪を整える。町中や商店では突発的に走らないようにしている。それは黒人である夫が「自分が危険人物ではない」ことを世間に示すためだった。
![黒人ファミリーの一員になった私。夫の密かな習慣で、黒人が置かれている立場に気づいた](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/2076595b36cc5ede8c52671db5b0a3f0763bd59d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimg.huffingtonpost.com%2Fasset%2F5ed9c132240000fc148ec260.jpeg%3Fcache%3DY1HYYBK6db%26ops%3D1200_630)
(以下の文章は、僕が、2004年の年末から2005年の1月にかけて、大学1回生のときに書いた、Frantz Fanon(フランツ・ファノン)の思想の変遷についてのレポートの内容です。) 「ファノンの思想が『ネグリチュード』から『全的人間』へと移行したこととベルベル問題との因果関係」 <テーマ設定の理由> 『革命の社会学』の序文の「植民地主義の死とは、被植民者の死であると同時に植民者の死である」(Fanon,1984,p.14)という言葉に、私は非常に感銘を受けた。この文章は、ファノンがさまざまな違いを乗り越えて、「人間」という視点に立っていることを示しているからである。独立戦争という異常事態のなかでは、ただ敵を打ち倒し独立を勝ち取ればいいと考えられがちであるが、ファノンはそうではなかった。ファノンは、敵であるコロンたちも植民地主義の犠牲者であるとし、解放闘争を通じて彼らも「人間」を取り戻さ
先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、
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