【清原正吾インタビュー#1】話題が核心に迫ろうというとき、正吾のほうから父に対する当時の感情を、サラリと言葉にした。「一度は、父親のことが嫌いになりました。あの頃は野球からも目を背けたくなってしまった」
![慶大・清原正吾が語る“清原家の今”「母は涙ひとつ流さなかった」再会した父・和博の謝罪「ごめんな…」中高時代は離れた野球、当時の本音(柳川悠二)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/c1753b76277702e868bb0f218dfe0da30482034d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fnumber.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F8%2F8%2F-%2Fimg_88eef1bb51a6094cfcd2bd323e6a4af1161001.jpg)
あの頃、一日の仕事を終えて家路につくオフィスワーカーたちは、大人に混じってくるくると踊る少年の姿を見て何を思っただろうか。彼がそのダンスの世界で頂点を極め、さらに日の丸と金メダルの期待を背負ってオリンピックのフロアに立つなんて想像できただろうか。 JR難波駅の近くにあるOCAT(大阪シティエアターミナル)のポンテ広場。大阪のストリートダンスの聖地と言われるスポットがShigekix(本名:半井重幸)の原点だ。フリースタイルのダンスを習っていた7歳の時、いまもBガールとして活躍する姉AYANEの影響でポンテ広場に足を運び、ブレイキンという新しい世界に出会った。 はじめはそこで踊る大人たちの動きに圧倒され、父親に借りたタオルを頭に巻いて見よう見まねで恐る恐る。やがて遊ぶような感覚で一つずつブレイキンの動きを身につけていった。 同世代の子どもたちが興味を持ちそうなマンガやアニメには一切触れること
ドジャース大谷翔平の元通訳・水原一平容疑者が大谷の銀行口座から預金を盗み違法賭博の胴元に送金していたスキャンダルは、銀行詐欺容疑での訴追という形でひとつの決着を迎えた。訴追の一報が流れると、米専門テレビ局ESPNの敏腕記者ジェフ・パッサン氏はX(旧ツイッター)に「どのように口座にアクセスされたのかという長い間の謎がついに明らかになった」と投稿した。 冷静に整理「訴追されるまで」 水原容疑者が大谷の口座に不正アクセスし違法スポーツ賭博の借金返済のため盗んだ預金は当初は450万ドル(約6億9000万円)と伝えられていたが、実際はその3.5倍以上の総額1600万ドル(約24億5000万円)にも上った。違法賭博は2021年12月から2024年1月までの間に約1万9000回、1日平均で約25回も行われ、訴状に記された同容疑者のメールの記録には胴元のマシュー・ボウヤー氏から借金返済を催促され追い詰めら
野球 プロ野球 「毎日何品もご飯を作るとか、私はしないからね」夫はオリックス若月健矢…声優・立花理香が初めて明かすイマドキ“プロ野球選手妻”のリアル
バスケットボール男子日本代表の一員として、ワールドカップ(W杯)で躍動したジョシュ・ホーキンソン、28歳。大学卒業後に米国西部シアトルから名古屋へ渡り、Bリーグで長くプレー。日本国籍も取得した。その活躍ぶりから、「本当にこの男が、ニッポンにいてよかった!」とTV実況も叫んだホーキンソンとは何者なのか。父ネルズさんが明かした。 ジョシュ・ホーキンソンは約束の時間に遅れない。17歳の高校生だったある日曜日、教会へ行き、食事をして用事を済ませた後、午後6時に家族会議を予定していたのに珍しく時間になっても姿を見せなかった。家の中を探してもいない。両親が心配して自宅の外を見てみると、野球のボールを投げながら空を見上げて泣いていた。 「野球は辞めるよ」 「バスケより野球がうまかった」 秋にサッカー、冬はバスケットボール、春には野球。ジョシュは「三刀流」の少年だった。父のネルズさんはノルウェー、母ナンシ
青春の押し付け問題 大人が選手を自分好みのストーリーに当てはめようとする、いわば、青春の押し付け問題。これも高校野球が抱える、そして解決していかなければならない大きな課題の一つです。高校野球はシンプルに言えば、高校生がただ野球をやっているだけですが、真夏の風物詩やお祭りのように捉えている人が多く、もはや非常に巨大なエンターテインメントとなっています。新たなヒーローの出現や感動的なゲームを望むファンがいて、また、それを売り込んでいこうとするメディアの存在もある。そこで過剰に膨らまされたドラマに、それを望むファンが喜んで食いつく。こうした土壌が高校野球にはあると思います。 そしてそれを支えているのが、春と夏の全国大会が公共放送で全試合生中継され、その面白さを全国民レベルで共有できてしまうところなのです。一部からは「試合が面白いのだから、いまのままでいいじゃないか」という意見も聞かれますが、それ
澤田は中学を出て、千代の富士率いる当時の九重部屋に入門し、稀勢の里と同じ2002年春場所で初土俵を踏んだ。 高卒や大卒が増えていた角界で、同じ中卒叩き上げの2人は正真正銘の同期。 「ずっと仲良くしてもらってて、僕が引退した時は断髪式の二次会にも来てくれたし、お店を開いた時もわざわざオープンに来てくれたんです」 そんな稀勢の里が、ドラマを見てすぐにエモーショナルな感想を伝えてくれたことを澤田は喜んだ。 「やっぱりうれしかったです。僕らはまだ劇中にあるような厳しい稽古やしきたりが普通だった世代なので、彼にもぶっ刺さるものがあったんだと思うんですよ」 ただ、稀勢の里はこうも言った。 『あれじゃ入門希望者が減るだろ』 リアルで過激な描写が世界で話題に
大谷翔平のバットが止まらない。現地時間6月12日の1試合2発、14日の21号に続き、投手として先発した15日にも22号2ランを放ち、直近7戦6発でア・リーグ本塁打ランキングのトップを独走。13本塁打で月間MVPを受賞した2021年6月の再来ともいえる爆発を見せている。5月はやや停滞していた大谷のバッティングは、なぜここにきて劇的な上昇カーブを描いているのか。現地で大谷を追う番記者の阿部太郎氏が、“覚醒”の裏側に迫った。 明らかに“何か”を探っていた5月 5月19日からのホームスタンド9連戦。大谷の調子は下降線に入っていた。 ポツポツと本塁打は出ても、総じて打撃の内容は良くない。ボール球に手を出し、粘れない。苛立ちも見えた。 5月23日。珍しく、屋外でフリー打撃を行った。今季はヤンキースタジアムで実施して以来2度目。本拠地での屋外フリーとなれば、昨年の4月下旬以来のことだった。
プロのサッカー選手になることだけを目指して、無心でボールを追いかけた少年時代だった。中学時代を育成の名門として知られる柏レイソルのアカデミーで、高校時代を屈指の名門・帝京高校で過ごし、「プラチナ世代」と称された1992年度生まれの一員として青春時代のすべてをサッカーに捧げた。 残念ながら、プロ・フットボーラーになる夢を叶えることはできなかった。それでも、一発逆転を夢見て飛び込んだ夜の世界で、厳しい勝負の世界の頂点に立った。そこまでたどり着いて初めて、「一度は嫌いになったサッカーをもう一度好きになれた」と口にする。 とある金曜の夜。舞台は新宿・歌舞伎町。この街のナンバーワン・ホストとして知られるローランドは、どこまでも熱く、真剣に、どこまでも楽しそうにサッカーとJリーグを語った。 すべてのパワーをサッカーに注いでいた。 ――まずはサッカーを始めたきっかけから教えてください。 始めたのは幼稚園
「ヨコハマしか勝たん!」 デビュー戦となった5月3日の広島戦(横浜スタジアム)、五月晴れの高い空にトレバー・バウアーの声が響き渡る。試合後のヒーロー・インタビューで壇上に登場したバウアーは開口一番、笑顔とユーモアをまじえ詰めかけたファンを大いに盛り上げた。 さすがと言うしかないピッチングだった。立ち上がりこそボールが浮き、2回表にシンシナティ・レッズの元同僚であるマット・デビッドソンに高めのフォーシームを被弾され1失点を喫したが、その後はカットボールやカーブ、チェンジアップといった変化球を軸に修正力を発揮し、ゾーンを広く使いながら7回を98球、9奪三振で初勝利を挙げた。2020年にサイ・ヤング賞を獲得した投球術は健在だった。 いつまでも鳴りやまない拍手とバウアーコール。お立ち台でバウアーは「今までプレーした試合のなかで一番特別だった。雰囲気を作ってくれてありがとう。皆さんのことが大好きです
◆◆◆ WBCでは、ジャパン打線の素晴らしい打球が飛び交った。東京ドーム右中間スタンドの広告パネル、自らの顔面近くまで持っていった大谷翔平のホームランも、吉田正尚のライトポール際の本塁打も、最後に目覚めた村上宗隆の弾丸ホームランも、力任せのメチャ振りで距離を出した打球なんて、1つもなかった。 みんな、しっかりタイミングを合わせ、多少体勢に崩れはあっても頭は突っ込むことなく、バットの芯で捉えて振り抜いていた。 投手陣にしても、そうだ。 皆一様に150キロ前後の「快速」を持ちながら、エイヤーで投げて三振か四球かみたいな「剛腕」は1人もおらず、切り札になる変化球と、持ち球のすべてを操るコントロールを全員が兼備していた。 同じフォームで、同じ力感で、同じリリースポイントで投げれば、同じように狙ったポイントに決まる……そんな「再現性」の高さを発揮した快腕たちから、卓越した「技術」を見せつけられた。
「100点」のデビュー戦もフワちゃんは納得していなかった タッグを組んだ、スターダムのコーチでもある葉月も「100点」の評価。実は試合前から、そのポテンシャルを称えていた。 「フワちゃんはもう、プロレスの才能の固まりですね。“芸能人が中途半端にやってるだけだろ”と思う人もいるでしょうけど、全然そんなことないです。フワちゃんの才能は運動神経と負けん気。普通なら尻込みするようなことも“一回やってみます”とトライできるんです。やってみて納得できなかったら何回でもやりますし」 そんな中で、誰よりも納得していなかったのがフワちゃん自身だった。 「私も本物のプロレスラーになりたい。テレビ(の企画)でプロレスやって負けて、いい話に編集してもらって、それで終わりじゃ嫌です!」 試合直後にそう訴えた。すぐに練習を再開、横浜アリーナでの2戦目が決まる。カード発表会見でフワちゃんは言った。 「芸能人が呼ばれてや
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