うなぎ文というのがある。甲と乙の二人が丼物屋に入ったとしよう。 甲: 天丼、親子丼、うな丼、色々あるな。僕は天丼にするよ。 乙: 僕はうなぎだ。 乙の文がうなぎ文だ。乙は自分が人間ではなくうなぎだと告白したわけではない。うな丼に決めたと言っただけだ。しかし表面上は、自分がうなぎだと言っているように見える。ヨーロッパの言語には見られない文なので、かつては日本語の非論理性の象徴だと言われたこともあった。何も「うなぎ文」と名付けなくても良いのにと思うが、最初にうなぎ文を取り上げた金田一晴彦の例文が「僕はうなぎだ」で、それを深く研究した奥津敬一郎が「うなぎ文」と名付けたのだから仕方がない。命名権は常に第一人者にあるのだ。 うなぎ文は述語を省略したものと考えられる。 甲: 僕は天丼にするよ。 乙: 僕はうなぎだ。(← 僕はうなぎにする。) これは日本語話者には当然の解釈で、わざわざ説明するまでもない