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2006年6月10日のブックマーク (8件)

  • http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/d880235f6ef6a68616a706c8855ebecf

  • やらなくちゃいけない事なんてどこにも無い - かえるの開発工房

    今日のエントリーは、見る人が見たら、嫌な書き方をしています。嫌な気分になったらすみません。 「やらなくちゃいけない事」とは、「やりたくない事」 最近、他の人の就職活動と大学の勉強のこと、さらには夢などを語っていて、今まで何かおかしいなと思っていたことが、ようやくすっきりしたので書こうと思う。 就職活動に見える、「やりたくはない」けど「やらなきゃいけない」から「しぶしぶやる」というのが、自分はどうもすっきりしなかった。そりゃ、やりたくないことは解る。 でも、じゃあやりたいことやればいいじゃんというと、「やりたいことがない」または、「仕事にはならない」、さらには「お前はいいよなー。やることが見つかって」という返事が返ってくる。この時点で、なんかイライラというか、よくわからない気分になる。なんというか、「文句とか、言わずにやりたいことを、やりゃあいいのに」と思ってしまう。まるで昔の自分を見ている

    やらなくちゃいけない事なんてどこにも無い - かえるの開発工房
  • セックスより完全なもの

    2009 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 | 2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 2011 | 01 | 05 | 06 | 07 | 10 | 11 | 2012 | 04 | 05 | 10 | 今日の会社 おなかすいたし焼肉べたいし外に出てる営業さんがいまから焼肉って恵比寿の高そうな焼肉屋のURL送ってくるし私も…私も行かせて…(積み荷を燃やしてくらいの切迫した感じで読んでください) はてなハイク ほんとに終わってしまうん??? ひとりごと 信号待ちの車の窓が開いて、助手席のひとがポトンと吸い殻を外に捨てた。持って帰ればいいじゃんとおもって車内を見たら、助手席の目の前に禁煙ってシールが貼ってあり、ナンバーを見たらレンタカーだった

  • 自己防衛としてのレッテル貼り - ベアハグハグ

    レッテル貼りつけるのってべつに問題ない、というかレッテルは基自分じゃなくて他者が貼るものだから奇声のいや規制の及ぶところではない。規制が及ぶのは誹謗中傷で、根拠があろうがなかろうが、悪罵痛罵の類となるとこれは名誉毀損になりがちだ。というかすぐ感情合戦になる。感情合戦を引き起こすのはそれが目的で、あんまゲーム以上の意味はない。 レッテル貼りに抵抗を感じるとしたらレッテルの示すものを認めつつも、自分の解釈は微妙にちがうことに苛立つそのレッテルを「自分を代表するもの」として受け入れることはできないというふたつあたりで、1つ目は「Mac使ってるだけでMacオタと呼ばれる」とかそのへんで、2つ目は「SFが好きなのにゲーマーと呼ばれる」あたりか。でもって、たぶん解決(自己防衛)方法としてはあらかじめ自分で自分にレッテルをたくさん貼っておく 説明が楽になる。不快なレッテルに対し、いくつかのレッテルを提

  • 肯定できるためには肯定されねばならない - 世界は称賛に値する

    ▼世界を肯定するには余裕が必要で、余裕を保つためには自信が必要で、自信を持つためには肯定が必要なんじゃないか、と思った。肯定されたことがこれまでまったくないのになぜか自信だけはものすごくたっぷり持っている、なんていうような精神構造を想像することができなかったのである。▼とするならば、と考える。世界を肯定できない人間が誰かに肯定されれば『世界とかを肯定できないことから生まれる問題』はすべてあっさり解決するのだろうか。する、けど、しない、と思った。無論いずれはするだろう――しかし簡単にはできないな、と思ったのだ。▼誰かに肯定されればきっと自信を持てるようにはなるだろう。でも、時間がかかるに違いない、と思ったわけだ。▼たとえば、初めて就職して、おまえ使えねえ、なんて先輩に言われ続けたとする。きっと自信を失うだろう、と思う。さすがに一年も言われ続ければ、おのれの性能を肯定する余裕なんて完膚なきまで

    肯定できるためには肯定されねばならない - 世界は称賛に値する
  • ブログにおける「自分晒し」の心理

    どうしてブログのエントリで自分の負の面、暗かったり汚かったり危なかったりダメだったり、ふつう隠しておかない?ふせておかない?なんでそんなことわざわざ話すわけ?みたいなことを殊更に言いたがる人がいるのか(お前だ)、ということについて、ちょっとダイブして底の方にあるものを探ってきてみました。 自分は「自分のダメなところ」をこんなに知っているし解っている。つまり自分は自分のことがよく見えていて自己批判能力もあるし素直で正直だし要するにイイ奴だ、という、逆転反転・ローコスト(ノーコスト?)で効果的なアピール手法じゃないのという計算。 こんなにダメな自分だけどどうか受け入れてもらえますか?という、「そのままの自分を愛して欲しい」的甘ったれた考え。 自分はダメな人なんだって何度も何度も言ったんだから、もし受け入れることに決めたんだったらたとえ期待に応えられなくても知らないよ?こっちのせいじゃないよ?と

    ブログにおける「自分晒し」の心理
  • 政治的に正しい「きんもーっ☆」を考えよう。 - 何かの間違い

    http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/natsu0713/archives/50714062.html オタクを相手にしたバイトの店員が、自分のブログでオタクキモいと書き、ブログを炎上させるのがパターン化してきたように思う。 ブログを炎上させたくはない、けれどもオタクがキモいという感情を吐露したい。あるいは俺はオタクだけれど、他のオタクに嫌悪感を感じるのでその気持ちをブログに書きたい。そう思う人もいるだろう。 我々はネット社会に相応しい「政治的に正しい」表現を考えなければならないのかも知れない。 「政治的に正しい」表現とは、もともとポリティカル・コレクトネスといって英語圏で始まったことである。たとえば議長を意味する chairman という語がある。しかしこの言葉のなかに、男を意味するmanが含まれるのは男女差別であり「政治

    政治的に正しい「きんもーっ☆」を考えよう。 - 何かの間違い
  • 同じ内容の文章でも、自分で書くと記憶に残る - 最終防衛ライン3

    あるニュースを読んでそれに関する感想や、議論に関する自分の意見を書こうとしたとき、自分よりも秀逸な感想や意見を見つけると、一気に書く気がなくなってしまうことがしばしばある。しかしながら、自分の感想、意見を書いて残しておけば、後で見た時にその時の思考や印象が思い出させる。 自分の過去ログを読み漁る 暇に任せてというか、単にやる気が無いだけなのだけども、一年位前の自分の過去ログを読み漁ってみた。すると、昔の方が色んなニュースに対する感想をつらつらと書いていたなという気がします。はてブの影響かなと思ったけれども、当時からやっていたわけで、あまり関係ないかも。恐らく、自分がニュースに対して敏感で無くなったり、以前よりも興味が薄れているということに起因するのだろう。そして、それ以上に自分の中にある言いたいことを吐き出したい欲求の方が強いから、そちらを優先したいからだとも思う。 さて、このように自分が

    同じ内容の文章でも、自分で書くと記憶に残る - 最終防衛ライン3