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ブックマーク / michiaki.hatenablog.com (3)

  • ブログにおける「自分晒し」の心理

    どうしてブログのエントリで自分の負の面、暗かったり汚かったり危なかったりダメだったり、ふつう隠しておかない?ふせておかない?なんでそんなことわざわざ話すわけ?みたいなことを殊更に言いたがる人がいるのか(お前だ)、ということについて、ちょっとダイブして底の方にあるものを探ってきてみました。 自分は「自分のダメなところ」をこんなに知っているし解っている。つまり自分は自分のことがよく見えていて自己批判能力もあるし素直で正直だし要するにイイ奴だ、という、逆転反転・ローコスト(ノーコスト?)で効果的なアピール手法じゃないのという計算。 こんなにダメな自分だけどどうか受け入れてもらえますか?という、「そのままの自分を愛して欲しい」的甘ったれた考え。 自分はダメな人なんだって何度も何度も言ったんだから、もし受け入れることに決めたんだったらたとえ期待に応えられなくても知らないよ?こっちのせいじゃないよ?と

    ブログにおける「自分晒し」の心理
  • 「で、みちアキはどうするの?」 - 肯定する

    たとえばこういうブクマだと、 under-the-dog: 「ゆるやかな連帯”に激しく同意。それとユーモアもね(笑)」 tomozo3:「うん、こういうスタンスは素敵だ!」 umeten:「ヨシ!じゃあ僕はゲリラ系はてヒだから、略して「ゲラダヒヒ」だね!!」 このように、コメントなしの人は飛ばして、コメントしてる人のみを、その人のセリフとして読むわけですが、こういうふうにコメントがなく(いま3人目)、タグのみ場合、 nisemono_san:「批評。政治。社会」 akky20050605:「社会。福祉。心理」 jiangmin-alt:「智」 こうやって、タグがセリフとして読まれてしまい、「なーにこの人たちはぶつぶつ言ってるんだろ?」って、脳内で吹いてしまうわけです。ムスッとしちゃってさ、とかいうところまで勝手に補完されているのです。はた迷惑な話ですね。 世の中はどんどん面白くなってきてい

    「で、みちアキはどうするの?」 - 肯定する
  • 「で、みちアキはどうするの?」 - どうしたらモテるのか?じゃなくって

    非モテ系のエントリを見るたびに、うーん、と思うことがあるのです。 なんどか紹介してる『言語表現法講義 (岩波テキストブックス)』のなかに、こんなふうな一節があります。学生に、どうすればいい文章が書けるのか?と質問される。君は好きな作家はいるの?と聞き返す。「好きな作家ですか? いません」と返ってくる。 これは不可能な問いだ、と著者は言います。これは、どうすればいい恋愛ができるのか?と聞かれて、君は好きな人はいるの?と返し、いません、と返されるのに等しい、と。 好きな人はいるの? 好きな人はいるの?? 「どうしたらモテるのか?」には、運動がない気がするんですよね。好きな人がいるなら、たぶん、「その人にどうしたらモテるのか?」じゃなくて、「その人になにをしてあげられるのか?」にベクトルが変わる気がするんですが。 どうしたらモテるのか?は、虫植物っぽい。好きな人は、いるんでしょうか。そもそも人

    「で、みちアキはどうするの?」 - どうしたらモテるのか?じゃなくって
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