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2006年11月15日のブックマーク (12件)

  • *LOVE IS DESIGN* - 自分と違う意見

    もともと自分の意志があまり固まっていないときに、誰かの意見を聞くと、「あー、そうかも~」って思ったり、また違う意見を聞くと、「あー、やっぱりこっちかも~」と、どちらも正しいことのように思えてきます。 ん、待てよ? 人と違うことは、いけないことじゃないよね。 時代や国によって変化することだってあるし、今、正しいと信じていることは、未来になったらウソかもしれないよね。 それは、正しいか正しくないかという問題なのか、YesかNoかという答えがあるのか。 もしかすると、自分の小さな世界の中で、人と同じなら自分も正しいと安心したいだけなんじゃないのかな。 自分と同じ人なんているはずがないんだから、わたしはこう思うけどあなたはどう?と言ってみればいいんじゃないのかな。 学校や会社で人と違う意見を言うのは怖い? わたしは自分と違う意見を聞きたいし、違うときははっきり「違うよ」と言える人を信じます。 だか

    *LOVE IS DESIGN* - 自分と違う意見
  • http://d.hatena.ne.jp/laddertothemoon/20061113/p1

  • 10年後の私は、今の私に何て言うんだろう - furamubonのブログ

    「物欲BLOG」:元いじめられっ子は覚えている(id:mu-gi:20061109:p1) を読んで思い出した小学校時代。私には普通に友達もいたものの、クラスメイトや近所の子達から、何かやるたびに笑われたり、ちょっと個性的な文具を持っていただけで生意気だと言われたり、容姿(どすこい)や言動をからかわれたり、替え歌まで作って小馬鹿にして頂いたりといった感じの日々を過ごしてました。あからさまに仲間外れにされたとか暴力を振るわれたといった事は無く、当時の同級生に聞いたところで、私をいじめてたっていう意識は無いと思いますが、なんていうかまあ「軽く見てもいい」「あしらっていい」「仲間に入れてあげている」存在だと思われてたんだろうなあとは思います。 そんな感じで、受けた行為自体は、親や教師に訴えたりする程の酷いものでは無かったんですけど、当時(記憶があるのは3年〜5年あたり)の私は何度も自殺を考えてい

    10年後の私は、今の私に何て言うんだろう - furamubonのブログ
  • 内面は書かない方向でありたい。 - 嗚呼院卒就職

    やりかけの仕事も手に付かないの3日間*1のぐたぐた状態に終止符を打とうと、いまの心境について「はてなダイアリー」に書こうと思いました。見られることを前提とした文章を書くことは、非常に、混乱した心に良いのです、少なくとも私にとっては。文章を公開するためには読める程度の体裁と内容を備える必要があるということが、周囲が見えない甘えた自分を客観的にとらえる機会を与えてくれるのでしょうね。しかし、今日は、書きたいことを書いているうちに、「これははてなダイアリーでは書けないな」と思ったのです。それだけでなく、「はてなダイアリーにかけないのならば、どこにも書きたくないし、誰にも話もしたくないな」と思ったのですよ。ちょっと笑ってしまいました。なんだそりゃ?でしょう?というのも、ここは「独り言」をするのにもってこいの場所だったのですよ。当に。だって、自分で自身の問題を認知できず、もちろん話もまとまらないの

    内面は書かない方向でありたい。 - 嗚呼院卒就職
  • 自分から遠くで起こっている問題はなんとでも言えるが自分に近い問題を何も解決できない奴 - hasenkaの漂流記

    それはオレの事と言ってもみんなには関係ないので置いておこう。いじめは身近な話題だが自分に関係ない所で起こっている分にはなんとでも言える。しかしこれを何とかしようとする場合、状況を変えるという事に他ならない。その時周りの状況を変えられない人間が他所の状況を変えればいいというのは傲慢である。傲慢でもいいのだけれどできない事を無責任に放言しているというのは迷惑なだけ。身の回りの状況を変えられる人間だけがこうすればいいという提案が可能だろう。それは自分が実証して来た信頼できる方法であるから。テレビ局の司会者が今の身の回りの状況を変えられないでイジメの状況を変えられるとは思えない。テレビを取り巻く状況、問題を変えられない人間が他所で起こっている問題の状況を変化させられる提案ができるはずがない。今安定した椅子にスッポリ嵌っている人間が何かを変革できる訳が無い。絶えず変革を求める人間は不安定で苦しい状況

    自分から遠くで起こっている問題はなんとでも言えるが自分に近い問題を何も解決できない奴 - hasenkaの漂流記
  • 空中キャンプ::なぜ、傷が必要とされるのか

    映画「ファイト・クラブ」において描かれるのは、タイラー・ダーデン(ブラッド・ピット)率いる地下拳闘組織だが、わたしがとても印象に残っているのは、そのメンバーになるためには、薬品で手の甲を火傷させなければいけないという、奇妙なルールが設定されていることだった。失神するほどの苦痛をともない、その傷跡は決して消えない。そうした傷を負ったものだけが、ファイト・クラブのメンバーになれるわけだ。 わたしは、この設定にとても納得したことを覚えている。理由はうまくいえなかったが、このルールは魅力的だったし、ストーリーにおいても欠かせないものだとかんじた。映画ぜんたいを通して、傷、苦痛、敗北といったものが、肯定的にとらえられているのもおもしろい。では、この映画を見た者がかんじる、ふるい立つような高揚感、おもわず叫びたくなるような生そのものの肯定、それらの理由はどこにあって、どのように説明すればいいのかという

  • esereal 2006-10-29

    キジ焼き丼とおばんざい シンプルな我が家の定番のおばんざいたち 赤梅酢の新生姜漬け 昨夜は香ばしいきじ焼き丼に添えて。大きめにカットした鶏とししとうを魚グリルでこんがり焼く。 タレをつけながら煙モクモク、焼き鳥屋さんみたいな香ばしい香りがキッチンいっぱいに広がります 磯の味も…

    esereal 2006-10-29
  • 住み分けという了解と、あまりの白々しさ。 - 実物日記 ― but today, they're all gone.

    『創』12月号に《傑作ゆえに思わぬ騒動に 出る杭が打たれた!? 「ドラえもん 最終話」》のタイトルで、昨年あたりにネットで話題をさらった田嶋・T・安恵の同人版「ドラえもん 最終話」へ、小学館が著作権侵害で文書通告し、田嶋側が文書で謝罪した件がレポートされていた。田嶋の申告では、1万5,550部(1冊約500円)をネット通販や専門店を中心に売っており、販売で得た利益を小学館サイドにどれだけ返還するか、詰めの段階を迎えていると伝えられ、金額は数百万円を下らないと見られている、としている。 自分もネットで読んだが、ドラえもんの世界観をうまく再現しており、確かに読み応えがあった。けれども、同人の中身が読者が求める「ドラえもん」の世界を完成度高く再現しており物と比べてまったく見劣りしないとしても、著作権侵害にあたるのはそうだ。グレーはグレーであって、どこまでいっても白にはならない。黒になるかどうか

    住み分けという了解と、あまりの白々しさ。 - 実物日記 ― but today, they're all gone.
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    新米と秋刀魚のわた焼き お刺身用の秋刀魚を買いました。1尾250円です 3枚におろして、秋刀魚のわたに酒、味醂、醤油で調味して1時間ほど漬け込み、グリルで焼きました 秋刀魚のわた焼き わたの、苦味が程よくマイルドに調味され、クセになる味わいです 艶やかな新米と一緒に 自家製お漬物 土…

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  • そこにある格差社会 - 雑種路線でいこう

    似たような情景を御用学者が描くのとフェミニストが描くのとでこう変わるのかという風に興味深く読み比べた.どちらもニューエコノミーが格差社会を生み,激務や少子化を招き,働いても報われない仕掛けをつくっている様を描いているのだが,片や原因に焦点を当てて現象の描写と変化の質について取り上げ,片や社会や経営者を批判し市場競争そのものも必要があれば見直すべきと論ずる.山田氏の淡々とした論調はともすれば空疎な再チャレンジ論を容認する枕詞になりかねないあやうさを感じるし,中野氏のベキ論っぽい提言の多くはマクロ経済の現実から遊離しているようにも思える. 中野氏の主張する最低賃金の大幅引き上げを行った場合,まずコンビニやファーストフードの店頭価格が高騰し,フリーターやNEETの生活を直撃するとか,インフレで結果的に資産を持っている層が得をするんじゃないかとか,労働時間を制限すると,逆に社会的立場を逆転させる

    そこにある格差社会 - 雑種路線でいこう
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…

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  • ゆずゆの悪戯:器を守るもの

    誰かからの言葉が無闇に私の心に刺さる時がある。 それは、往々にしてコンプレックスなこと、 もしくは認めたくないけれど、欠点として図星なことに起因することが多いのではと思う。 もちろん、私のコンプレックスや欠点は私自身でさえも避けて通りたいこと。 ましてや誰かにあれこれと勝手に評価されて、受け入れることは容易くない。 少なくとも私は精神的に相当な余裕がある時ではなければ、 大人気ないとわかっていても不機嫌になってしまうと思う。 不機嫌の毒が私の内側にのみ巣って、外への感染が抑えられる時ならばまだましだ。 これが外側に向いてしまうとタチが悪い。 反射でいかに自分が正しいか力説してわかってもらおう(正直に言うと、矛盾覚悟でねじ伏せ押し付けてやろう)とするかもしれないし、 地雷を踏まれたと悲観にくれて、相手に謝罪を求めて暴れまわってしまうかもしれない。 私が他者へ理解を求めるパフォーマンスをする

    ゆずゆの悪戯:器を守るもの