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ブックマーク / screammachine.hateblo.jp (5)

  • 2006-10-14

    空耳アワーの第一回スペシャルでエディット・ピアフのパダンパダンが空耳ってて、気になってYouTubeで検索した。 あった。 http://www.youtube.com/watch?v=R85LXfkdcWA はじめてピアフの名前を知ったのは、山田章博のデビューしたときの短編で、その名も「ぱだんぱだん」。単行のあとがきにピアフのことが説明してあって、ドアの閉まる音、心臓の音だとか、っ書いてあったのが印象に残っていた。他にも山田さんは『紅色魔術探偵団』の中で「暗い日曜日」モチーフを書いてる。山田さんのマンガは、ガルガンチュアとか、さまよえるオランダ人とか、いろいろなキーワードが出てきて、私がそういうのに興味を持つきっかけだった。私の中では荒木飛呂彦と同じ箱に入っている。見た目も含めて好き。 カテゴリが演劇なのは、私にとって演劇というものが、結果的には全ての集成であるような気がするから。要は

    2006-10-14
  • 絶叫機械+絶望中止 - 風邪は治りかけです。

    松岡さんの描いたlaisoくんの絵が可愛過ぎるので「そうかこう見えていたのか」と納得した。 参照:http://d.hatena.ne.jp/matuoka/20060718#1153198440 私にはこう見えていました。会ったのがずいぶん前(まだ寒い頃)だったので、もこもこしている。 松岡さんの似顔絵も描いてみた。 松岡さんは見るたびに殺伐としていく気がする。 のどの奥が少しカリカリするだけで、ずいぶん良くなりました。あくびをしながら声を出すと、炎症の度合いがわかる気がします。あ、痰がからんでしまった、まだ治っていないのか。 関係ないですけど、読んでいてイラっとさせられる感想に「私には必要ない」というのがありますな。 イラっとするのには理由があって、たいがいそういう感想は「私には必要ない」のあとに「こんなくだらないものは……」と続くのであります。「必要ない」と書いてあるくせに、くだらな

    絶叫機械+絶望中止 - 風邪は治りかけです。
  • 2006-08-24

    「空気が読めない」とよく言われるひとは、空気が読めないんじゃないんですよ!ということを発見した! 当に空気が読めないひとなら、空気が読めないから無口になるはずなんですよ。いきなり頭に鉛のバケツをかぶせられて、音と光を遮断されたときに、そこらをウロウロと歩き回るひとはあまりいないからです。ところが、俗に言う「空気が読めない」ひとは、話の流れに関係なく自分語りを始めたり、論点がズレたまま話を続けたり、勝手に納得したり怒ったりする。なぜか。 これはつまり、人だけが「空気を読んでいる」わけです。むしろ「私は空気が読める」くらいに思っていると仮定しても過言ではない。 だから、そういうひとには、何と「空気読め」と言うことすら難しい。なにしろ人は空気読んだつもりになっているので、指摘をされても更に空気読んじゃったりして混乱は度を増してしまうのです。 空気が読めないひとは、空気が読めないのではなくて

    2006-08-24
  • デッサンてなあ便利な言葉のように見えましてね。 - 絶叫機械

    Amazonのキム・ヒョンテ画集のレビューより。セカイは広いなあ。どうも絵描きらしいんだけど、この人の考える「デッサン」を知りたい。 http://d.hatena.ne.jp/kanose/20060728/kim この記事を見て、マンガにおけるデッサンて何なのかを考えてみよう、と検証画像を作ったんだけど、なんか詳しく説明しなくても見たらわかると思ったよ。デッサン、つまりこの場合は立体としての構造の破綻は、ある場面において確実に起こっています。でもそれでいいんじゃないですか。なぜなら同じ画面上で物体の移動を表現するためには、意図的にデッサンを狂わせる必要があるからです。 検証用に使ったのはここの画像です。横たわった絵なのに、こちらへ向かう視線を感じます、それはなぜか? 元画像  元画像から切り抜き。 輪郭線ごと左右反転  輪郭線のみ。 輪郭線を輪切りに。 上方から見るとおそらくこう。で、

    デッサンてなあ便利な言葉のように見えましてね。 - 絶叫機械
  • 絶叫機械+絶望中止 - 読解力というものは、知能とは関係ない。

    内田樹という方が書かれていた『不快という貨幣』を読んだ。 これは、思春期のしくみではないかと思う。 内田さんの意見を要約すると、こうだ。 なぜニートになるのか。最近の子供は、具体的な作業を目にせず、帰宅した親の疲れた姿だけを見る。そして「辛い思いをすること=労働」だというふうに感じる。子供だって労働したい。だけど、近頃は家庭内で子供のできる簡単な労働がない。仕方なく、子供は、働かずに、わざと辛い思いをする。辛い思いをすること=労働だからだ。 まったく、何て簡単な話だろう、対象が子供であるならば。 ニートというのは、いい年をした若者であるはずだ。ならば彼らに「印象としての労働」と「じっさいの労働」の区別がつかないわけがない。いくらなんでも、いい年をした大人が、労働=苦痛=賃金とは思わないはずである。 なぜなら労働と賃金は=で結ばれないからだ。労働によって生まれた何かが金銭と交換され、それから

    絶叫機械+絶望中止 - 読解力というものは、知能とは関係ない。
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