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2006年8月30日のブックマーク (12件)

  • 萌えプレ:ジャンプと腐女子

    【はじめに】 ・管理人はジャンプ買い続けて十数年になります。 ・以下の文章は仮定・推測・持論のもとに書かれています。 【ジャンプ腐女子向化を嫌う腐女子】 一般に腐女子向作品と揶揄される作品には特徴があります。 ・話がない。 ・美形キャラクターがたくさん登場する。 ・意味も無く男性キャラクター同士の友情や絆を確かめ合うエピソードがある。 といったところでしょうか。 これらの特徴は、やはり男性には苦々しく思われる方も多いようです。「腐女子向うぜぇ」「ジャンプ腐女子漫画ばっかり」そういうお言葉をよく聞きます。 これは腐女子の立場からすれば、非常に耳の痛い話でした。ジャンプがつまらないのは、まるで腐女子のせいだと言われているようなものですから。 今までは、そういった批判に対して、「原作側の過剰なサービスは余計なお世話」「こっちはそんなの頼んでない」という反論をする腐女子が相当数おりました。

  • 格差意識格差 - socioarc

    格差意識格差 Society 総中流意識が崩壊し、「希望格差」といった言葉が話題に上った2005年を格差元年とすれば、2006年も後半を迎えて、一段と様々な方面で格差論議がかまびすかしい。原油価格の高騰や米国経済の減速といった不安要素を抱えつつも、いざなぎ景気超えが確実視されるなど、景気の緩やかな改善が進む中で、そうした景気回復の恩恵に預かれる人と、景気回復どころかますます生活が苦しくなるばかりで、何一つ景気回復を実感できていない人が出てきたり、好景気と団塊世代の引退を控えて新卒の採用が急速に売り手市場になる中でも、固定費が増えるのには慎重で要求水準が厳しいままであるため、内定をいくつも取れる人と、まったく取れない人が生まれたりしている。 実際、もともと格差が比較的大きい高年齢層の割合が増えていることを割り引いても、若年層を中心にフローとしての収入格差やそれ以上にストックとしての資産格差と

  • 2006-08-24

    「空気が読めない」とよく言われるひとは、空気が読めないんじゃないんですよ!ということを発見した! 当に空気が読めないひとなら、空気が読めないから無口になるはずなんですよ。いきなり頭に鉛のバケツをかぶせられて、音と光を遮断されたときに、そこらをウロウロと歩き回るひとはあまりいないからです。ところが、俗に言う「空気が読めない」ひとは、話の流れに関係なく自分語りを始めたり、論点がズレたまま話を続けたり、勝手に納得したり怒ったりする。なぜか。 これはつまり、人だけが「空気を読んでいる」わけです。むしろ「私は空気が読める」くらいに思っていると仮定しても過言ではない。 だから、そういうひとには、何と「空気読め」と言うことすら難しい。なにしろ人は空気読んだつもりになっているので、指摘をされても更に空気読んじゃったりして混乱は度を増してしまうのです。 空気が読めないひとは、空気が読めないのではなくて

    2006-08-24
  • 樹海エンターテイナー:同人と税金の話。「結局『何税』をいくら払えばいいの?」 - livedoor Blog(ブログ)

    TOP ●About this site ●Profile ●参加即売会情報 --サンクリ35 :2007/04/22(日) :Bホール ア06a --COMIC1 :2007/04/30(月) こ23a --コミケ72 :2007/08/19(日) 申込済

  • 暴走する自意識 - kmizusawaの日記

    例の子問題、依然として話題になっている。ストレートに怒っている方から俯瞰的なコメントをされている方、哲学的な難しい話や自意識の話にまで持って行ってる方もいて、まあ掲載の意図がなんにせよ(日経新聞の担当者はルーチンワークで貰った原稿載せてるだけで何も考えていないというのがいちばんありそうだ)、人の心を騒がせ、負の部分(人は他の生き物の命を奪いながら生きているという現実から非常識なヤツを叩きたい衝動まで)を刺激し、問題提起にはなってるわなと思うのですが、つらつらと考えていて、頭に浮かんだことがある。坂東真砂子が展開しているおかしな理屈(異論もあるだろうけど、私はあれはおかしな理屈だと思う)って、浦沢直樹の「MONSTER」でテンマ医師がヨハンの行方を追う理屈と似てませんか? 自分が命を救った子どもが大量虐殺をしていることに責任を感じて(だと思うが)自分の手で殺さなければと思い込むという。私は

  • ゲームはできることが制限されてるからこそ面白いのですよ - 最終防衛ライン3

    自由度と制限 何でもできるという触れ込みであったDQをプレイした小林よしのりが、何もできないじゃないか!と切れて投げ出したという話があります。当時としては、自由にフィールドを歩き回ることができ、人に話しかけたり調べたりとかなり自由度の高いゲームですが、流石に村人を殺したり、道筋を無視して進むほどの自由度は無い。それはゲームのルールであって、それに則りプレイしなくちゃいけないからではなくて、ある程度制限を設けないとプレイヤーが投げ出してしまうから。例えばDQシリーズは船を手に入れるとどこへでもいけますが、逆に次に何をしていいのか分からなくなる。だからたけしの挑戦状はクソゲーなのですよ。 自由度が増すと、プレイヤーが何をして良いのか分からない。逆に、あまりに制限しすぎると単に作業になってしまい楽しめなくなる。良いゲームはこの自由度と制限が絶妙なバランスをとり、プレイヤーの好き勝手にやらせている

    ゲームはできることが制限されてるからこそ面白いのですよ - 最終防衛ライン3
  • ITmedia Biz.ID :情報収集で1日を終わらせないための3つのコツ

    ブログなどの普及によって入手できる情報量が急増しています。そんな膨大な情報に惑わされないためのポイントをご紹介しましょう。 以前、「“情報を読まない”情報収集術――『未読RSS恐怖症』対策」(7月4日関連記事)というお話を紹介しましたが、インターネットやブログのおかげで手軽に入手できる情報量が急増した結果、逆に日々新しく生まれてくる情報についていけないのが心配という人が増えているようです。 何しろ、米Technoratiの調査によると、今や世界のブログ平均投稿数は1日160万件にものぼると言われています。日語のブログは全体の31%とのことですので、日語のブログだけでも毎日50万件前後の投稿があることになります。しかも、ブログの数は3年間で100倍の規模に膨れ上がるという驚異的な変化のスピードでしたから、この数年で私たちの情報処理能力が破綻して、日々の情報についていけないという悩みが増え

    ITmedia Biz.ID :情報収集で1日を終わらせないための3つのコツ
  • 男女論と部落問題について(2) - Backlash to 1984

    前回の三人寄れば文殊の知恵 - Backlash to 1984の続きである。さて、いわゆる「弱者男性」について先に少しだけ述べておきたい。この言葉はアンチを含むフェミ界隈でしか見聞きしないのだが、妙な言葉が出てくるものだと思う。おそらくは「男は社会的強者、女は社会的弱者」なる例のアレから、「しかし社会的弱者の男性もでてきたし社会的強者としての女もでてきた」としての表現であろう。私は、このような表現の前提である男女観を有しない。ある男もしくは女が、何らかの理由で弱者の立場におかれることはあるだろう。そうした社会的な弱者というものは存在するが、「男」なり「女」なりが、ただそのカテゴリーでもって弱者であるといったことはないのだから。フェミニズムにおけるジェンダー論というのは、あたかも「女」であることが弱者の初期条件となっているかにも思えるものが多いが、そのようなことはありえない。このことについ

    男女論と部落問題について(2) - Backlash to 1984
  • 男女論と部落問題について(1) - Backlash to 1984

    私がこれまでネット上で見た言説の中で、「いまだに部落や在日が弱者だというのか!あいつらこそ優遇された強者ではないか!」とか「税金も払わないホームレスに税金をかけるな!どうなろうが自己責任だ!」といったようなものがある。いずれも「新しい歴史教科書」を支援する掲示板における支持者の投稿で見たものであって、支持者ではない投稿者(私や他の人)との間で、そうした意見と議論になった。今回、またこうした意見を考える機会を得たので、私の考えを少しく述べてみようと思う。たいしたことが言えるわけではないが、あまりにも基礎的なことが誤って考えられているという話なのだ。ただし念のために言っておくが、それらの極論が散見されたからといって、「つくる会」支持者の多くがそうした意見をこそ主張しているとまでは思っていないし、また、こうした意見は「つくる会」の運動に固有のものとも思われない。そもそも私がたまたま見ていたのがそ

    男女論と部落問題について(1) - Backlash to 1984
  • 人が死ななければ何も始まらない - hasenkaの漂流記

    プール事故、エレベーター事故、回転扉事故というのも含めていいのかもしれない。たった一人の死が日の未来を変える。これは何の象徴なのか。車の死亡事故は毎日起り、自殺者も毎日100人弱も発生している。なんか不公平を感じてしまう。自殺の理由は様々だが交通事故死は車社会の犠牲者だ。しかし社会は何も改善されず放置されたままである。人には意味ある死と意味の無い死があるのだろうか。車社会を受け入れているのだから仕方がないという事か。改善できる仕組みと出来ないものがある。明らかな欠陥が生じているならば修復しなければならない。交通事故は明らかな欠陥ではなく、規模による確率として認識される。昔から続いているというのがポイントか。水の事故という事では毎夏多くの人が亡くなっている。

    人が死ななければ何も始まらない - hasenkaの漂流記
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 「2ちゃんねるが厄介な『空気』を追い払った」史観 - シリアルイノベーション [ITmedia オルタナティブ・ブログ]

    株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。 山七平氏の「空気」の考え方を再び取り上げます。 日では様々な状況において、なんとなくその集団におけるものの見方の趨勢が決まり、もって意思決定に近いものがなされ、それで物事が進んでいくのですが、そこには「意思決定をした当の人」は存在せず、従って、その意思決定に責任を持つ人がおらず、物事がうまく終始した時はよいのだけれども、何かをしくじってしまった場合に、責任を持つ人がいない状態に陥る。それはやはりヘンではないか?では何がヘンなのか?日では「空気」が意思決定するからではないか?そうだそうなのだ、というのが山七平氏の了解の仕方です。 彼がこのような思考をするに至

    「2ちゃんねるが厄介な『空気』を追い払った」史観 - シリアルイノベーション [ITmedia オルタナティブ・ブログ]