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ブックマーク / yari3180.hatenablog.jp (9)

  • はてなでスパムに出遭うとき〜使っていて見えてきたもの - 余暇の記録

    はてなに触れるまでは「スパム=迷惑メール」くらいにか思っていなかったのですが、はてなダイアリーやはてなブックマークを使い込んでいると、スパムにもいろいろな種類があることがわかってきました。 はてなでスパムに出遭ったとき、それぞれの種類のスパムでどんな対策をとればいいのか。 はてブを使い出して1年経ったついでに、*1思いつく限りで書き留めてみたいと思います。 1.コメントスパム(はてなダイアリー) 特徴 コメントが登録された旨記したメールを開くや膨大なリンクの羅列を見せられたとき、スパムに遭ったことに気づきます。 書き込みが成功すると敵も学習するのか、同じ記事にしつこく定期的にコメントを発射する癖があるようです。 対処の方法 まず、コメントを禁止するIPアドレスを設定しました。ただ、いくら穴を塞ごうとしても手を変え品を変え網をくぐり抜けてくるので、この手段はあまり有効には感じられませんでした

    はてなでスパムに出遭うとき〜使っていて見えてきたもの - 余暇の記録
  • 向こうにいる人は、どんな人?〜記事から人に興味が移るとき - 余暇の記録

    その日一日の仕事を終えたあとの楽しみのひとつに、屋に足を向けることがある。 ネットで研ぎ澄ませてきた好奇心やアンテナを奮わせることのできるこのときは、僕にとっては貴重なお楽しみの時間だ。 僕がを選ぶとき 新聞や雑誌の書評屋の書棚を巡りながら、面白そうなに目星をつける。 書かれていることに時には頷き、時には疑いながら同じジャンルのを濫読していけば、しばらくすると自分好みのことを書いている著者が次第にわかってくる。 「この人の書くなら、間違いなく面白い」。 気になる作家が新しい著作を出したとき、真っ先に向かうのはその作家のが並ぶ棚だ。 「そうなのか」「これ以上読んでしまうと、勿体ないかもしれない」 時間を忘れて立ち読みしてしまいそうなはやる気持ちを抑えながら、まるで子どもが見つけた宝物を全身で覆い隠すように、レジに向かう。 好きなサイトに出会うまで 以前は屋めぐりに費やして

    向こうにいる人は、どんな人?〜記事から人に興味が移るとき - 余暇の記録
  • アイデンティティが揺さぶられるとき〜積極的に逃げるということ - 余暇の記録

    存在意義を揺るがす危機に直面したときに、人間はどのような行動をとるのだろうか。そしてどこへ行くのだろうか。 バイク便ライダーと客の関係。それは「勝ち組」と「負け組」の関係である。(中略) 「俺ら」は路上でバイク便ライダーを演じることで「あいつら」を見返してやることができるのだ。 『搾取される若者たち―バイク便ライダーは見た! (集英社新書)』105-109頁 このを読んでみて、最近感じていることなどを書いておこうと思った。 アイデンティティが揺さぶられるとき 自分自身の存在意義を揺さぶられるときがあるとすれば、プライベート・仕事に限らずこんなときだろう。 敗北感を味わうとき。 劣等感を味わうとき。 屈辱感を味わうとき。 絶望感を味わうとき。 無力感を味わうとき。 「これまで何をしてきたのだろう」「これまでしてきたことは、何だったのだろう」 自分の無力さに愕然とする。自分に抱いていたほんの

    アイデンティティが揺さぶられるとき〜積極的に逃げるということ - 余暇の記録
  • その自意識は、必要なものですか?〜シンプルなコミュニケーションを心がけたい - 余暇の記録

    元の言葉に強烈な負のイメージがつきまとう場合、「広義」とか「狭義」とかを表現すること自体、その真摯な意図とは別に、ときに第三者の心に安直に負の印象をすりこんでしまう危険がつねにつきまとう。 木走日記 - 「広義のいじめ」とか「狭義の強制連行」とか〜元の言葉が負のイメージの場合の安直なカテゴリー分けの表現方法としての限界 成功した人の立ち居振舞いに学ぶことはもちろん大切だが、ミスを犯したときの対処の仕方を見ることでその人なりをより深く知ることができるのではないかと最近思うようになった。 冒頭の記事を読んで、同じようなことがリアルのコミュニケーションに当てはめることができそうな気がしたので、来の文脈とはまったく異なってくることを承知で思いついたことを書き留めてみよう。 「これからしようと思っているのですよ」 さすがに社会に出てある程度過ごすと、公私問わず「どこまでできたか」ではなくて、「でき

    その自意識は、必要なものですか?〜シンプルなコミュニケーションを心がけたい - 余暇の記録
  • モチベーションの先にあるもの〜消費されるブロゴスフィアの片隅で - 余暇の記録

    ブログを書きながら被ブックマーク数やアクセス数を必要以上に気にするようになったとき、「消費されるブロゴスフィア」に片足を突っ込んでいる自分がいることに気づく。 語れることを語り尽くしたその先に、見えてくるものは何だろうか。 わかってはいることなのだけど はてブをしていていつも心に留め置いていることに「ブックマークの数が多い記事が、必ずしも“良い”記事とは限らない」ということがある。 ブックマーカーがブックマークするきっかけにおいて共通するのは「その記事に立ち止まる」点のみにおいてであり、「共感」「反感」「記録」といった内面の動機は決して一様ではないからだ。 同じように、被ブックマーク数やアクセス数が多いブログやサイトが、必ずしも読むに値するとは限らない。 ここまでは、「GIGAZINE問題*1」「ネガティブブックマーク*2」や「炎上*3」の事例から僕たちは学んでいる。 ならば、逆に「ブック

    モチベーションの先にあるもの〜消費されるブロゴスフィアの片隅で - 余暇の記録
  • 伝えることをためらうとき〜悪趣味なのか、臆病なのか - 余暇の記録

    変わらないでいることを相手に望むために、その人が知りたいと思っていることを伝えずに立ち止まる自分がいる。 それは「エゴ」かもしれないし、もしかしたら見えない「好意」と呼べるものなのかもしれない。 伝えることに立ち止まるとき はてな村からは遥か離れてはいるが、自分がブックマークしたくなるような記事を書き綴るブログがある。 いつも揺るぎない沈着冷静な筆の運びと造詣の深さに敬意を表しながらそのブログを購読しているのだが、先日珍しくアクセス数に言及した記事がアップされていたときのことである。 「自分のブログに、もっとアクセスやコメントがあってもいいのに」 見られることや読まれることへの渇望が率直に記されていて、ああこの人もそうなのかと、少しだけ安心する。 「どこからアクセスがくるかわからない」「どう読まれているかわからない」 ひとりごちるような文章を読んだあと、そのブログの開設以来半年以上通ってい

    伝えることをためらうとき〜悪趣味なのか、臆病なのか - 余暇の記録
  • 「巡回するサイト」と「影響されるサイト」に違いがあるとするならば - 余暇の記録

    「巡回先」としてチェックするサイトがあれば、巡回を意識する前に更新が楽しみで仕方ないサイトもある。 そのようなサイトを「影響されるサイト」とするならば、その違いはどこに生まれてくるのだろうか、思いつきで書き出してみようと思う。 巡回するサイト ネットを歩いていて気になったサイトは、秘かに自分のブックマークに登録しておく。*1そのようなサイトを僕はなぜ「巡回先」として訪ねるのだろうか。 趣味や嗜好が自分と似た部分があるから。 自分と同じような匂いが文章から漂ってくるとき、そのサイトは自分にとっては気になる対象となる。 記事の内容に共感する部分があるから。 自分の中にあるもやもやをずばりと言い当てたような文章を読んだとき、「やられたな」「ああ、そうか」と苦笑いしながらそのサイトは僕の記憶に刻み込まれる。 平易な構成で、事情を知らない者でもすぐに理解させてくれるから。 自分にとっては未知の分野の

    「巡回するサイト」と「影響されるサイト」に違いがあるとするならば - 余暇の記録
  • 自分のものの見方が偏っているのかな、と疑ってみるとき - 余暇の記録

    はてなからの卒業」というメタメッセージ 「このはてなからの卒業」というシュールなエントリを感慨深く何度も読み返したのだが、「特定のものの見方にこだわり続けることはよくないよ」、というメタメッセージとして解釈できないかと思ってみた。 自分のものの見方は、もしかしたら偏っているのかもしれない 大学時代の友人との飲み会の席で。 深夜まで残業が及ぶことも珍しくない彼らの生活は、「仕事を終えて夜遅く家に帰るとテレビをつけて遅めの夕を掻きこんで寝る」サイクルで回っているとのこと。 ADSL回線を引いてはいるもののネットはお出かけ前の調べものと電子メール程度にしか使わず、普段の情報はテレビで入手する、と異口同音。ブログやRSSの話を持ち出せる雰囲気では到底なかった。 テレビを見なくなった代わりにネットでニュースから友人との連絡からすべて済ますようになってしまった自分のようなライフスタイルは、どうやら

    自分のものの見方が偏っているのかな、と疑ってみるとき - 余暇の記録
    AdYandW
    AdYandW 2006/05/06
    情報収集として、ネットがメインになりすぎている現状がある。実際周りの話題についていけないことも多いです…。
  • エントリをアップすることそのものが目的になっていないか、一歩立ち止まってみよう - 余暇の記録

    ブログを書き始めて3ヶ月も経てば、自然とアクセスの数が気になってくる。 はてブで自分のエントリがブクマされていないか淡い期待を抱きつつ、googleの検索窓に「id:自分のID」を放り込んで「http://d.hatena.ne.jp/自分のID/ の注目エントリー」を1日に2度はチェックしている自分がいる。 「何のために自分はブログを書いているか」目的が揺らいでいるように感じているなか、下記のエントリを興味深く読んだ。 自分自身の戒めとして、知らないことは知らないと書くし、あまり知らない分野について発言する時は、あらかじめこれは知らない人間による発言だと宣言しておき、推測であることを書いておくようにしてます。自分は知らないことはありませんよーという態度を取るつもりはないということです。 だから、自分の価値基準として、人がよく知らないことに関して謎の断言などをしている人に関しては評価が低

    エントリをアップすることそのものが目的になっていないか、一歩立ち止まってみよう - 余暇の記録
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