ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (2)

  • 忘れる・忘れられることを承知のうえでゲームと向き合うこと - シロクマの屑籠

    blog.tinect.jp ゲームの個人史って、ものすごく儚いと思いませんか? その点でいえば、ゲームの個人史でなくゲーム史をものしたいと願った人の気持ちは理解できる。と同時に、ゲーム史として・サブカルチャーの「正史」として後世に語り継がれていくものが個人の印象に歪曲されてしまうことは罪深いことだろうとも想像できる。 が、「正史」としてゲーム歴史家が編纂する範囲はあまり広くなく、その外側には無数のゲーム個人史が残り、あまたのエピソードが取り残される。アニメ個人史やライトノベル個人史、コミックマーケット個人史もそうかもしれない。体験した者の数だけ風景が存在したはずだが、それらのうち、「正史」に編纂されるのはごく一部だ。「正史」に残らない部分についてはなまじっかな努力では忘却に逆らうことができない。それが虚しく思えることが最近の私にはよくある。 私のゲームシーンもあなたのゲームシーンも、時

    忘れる・忘れられることを承知のうえでゲームと向き合うこと - シロクマの屑籠
    Aisora336
    Aisora336 2023/06/08
    そうかんがえると頑丈すぎる、任天堂ハードは物理的にいつまでも(少なくとも死ぬまでは)遊べそうな勢いでありがたい(そうじゃない)
  • あの頃、俺達はゲーム障害/ネット依存だったのだろうか - シロクマの屑籠

    「バイトテロ」でも話題になったネットと承認欲求について専門家に聞いてみました! | 一般社団法人 日産業カウンセラー協会ブログ 「働く人の心ラボ」 リンク先は、産業カウンセラー協会さんが、先日のインタビュー記事の一部をオンラインに抜粋してくださったものだ。全文掲載ではないけれども、特に後半に述べた私の問題意識はほとんど丸ごと掲載していただいた。 これを再読しているうちに、私が一番ゲームやネットをやり込んでいた頃を思い出したりもした。 皆、何かを切り詰めてハイスコアを目指していた 1990年代の私は大学より長い時間をゲーセンで過ごしていた。とはいえ臨床実習はサボったことが無いし、留年もしなかったので一応の線引きはできていたのだろう、たぶん。 そんな私でも、『バトルガレッガ』と『怒首領蜂』がゲーセンに登場した時は危うかった。1990年代の弾幕シューティングゲームを代表するこの二作品に、私は熱

    あの頃、俺達はゲーム障害/ネット依存だったのだろうか - シロクマの屑籠
    Aisora336
    Aisora336 2021/03/03
    >あの時代のインターネットは、午前2時に向かって加速していくような性質。 確かに不健康だが、そんな時代の雰囲気に憧れもする。
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