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ブックマーク / blog.tatsuru.com (5)

  • エクリチュールについて(承前) - 内田樹の研究室

    エクリチュールについて(承前) ロラン・バルトのエクリチュール論そのものが、そのあまりに学術的なエクリチュールゆえに、エクリチュール論を理解することを通じてはじめて社会的階層化圧から離脱することのできる社会集団には届かないように構造化されていた・・・というメタ・エクリチュールのありようについて話していたところであった。 同じことはピエール・ブルデューの文化論についても言える。 『ディスタンクシオン』もまた、(読んだ方、あるいは読もうとして挫折した方は喜んで同意してくださると思うが)高いリテラシーを要求するテクストである。 おそらく、ブルデュー自身、フランス国内のせいぜい数万人程度の読者しか想定していない。 自説が理解される範囲はその程度を超えないだろうと思って書いている(そうでなければ、違う書き方をしたはずである)。 だが、「階層下位に位置づけられ、文化を持たない人には社会的上昇の

  • エクリチュールについて - 内田樹の研究室

    クリエイティブ・ライティングは考えてみると、私が大学の講壇で語る最後の講義科目である。 80人ほどが、私語もなく、しんと聴いてくれている。 書くとはどういうことか。語るとはどういうことか。総じて、他者と言葉をかわすというのは、どういうことかという根源的な問題を考察する。 授業というよりは、私ひとりがその場であれこれと思いつくまま語っていることを、学生たちが聴いているという感じである。 「落語が始まる前の、柳家小三治の長マクラ」が90分続く感じ・・・と言えば、お分かりになるだろうか。 昨日のクリエイティヴ・ライティングは「エクリチュール」について論じた。 ご存じのように、エクリチュールというのはロラン・バルトが提出した概念である。 バルトは人間の言語活動を三つの層にわけて考察した。 第一の層がラング(langue) これは国語あるいは母語のことである。 私たちはある言語集団の中に生まれおち、

  • 団体行動のすすめ - 内田樹の研究室

    「多田塾甲南合気会上半期結婚披露宴3次会」というものが開催される。 春先から 7 月にかけて高取くん金子さん、くうさん、ヤベッチと3組の結婚式が続いたので、個別的に祝賀会をやっていると幹事が疲れちゃうということで、「まとめてやる」という手荒な英断を私が下したのである。 その後、去年の夏の亀ちゃんの祝賀会も会ではやってなかったよね・・・ということを思い出して、現在妊娠6ヶ月の亀ちゃんご夫(いまは小林さん)も加えてまとめて4組の合同祝賀会というものを開催したのである。 集まった同門の諸君、その数 60。 仕切りはいつものように、谷口さん、谷尾さん、清恵さんの「事務方の大人の人たち」。あと東沢くんとおいちゃんがお手伝いをしてくれました。 会場は国分さんのご紹介(シャンペンの差し入れも〜)。 みなさん、どうもありがとう。 こういう団体行動をてきぱきとこなす、というのは実はたいへん武道的なことなの

  • 定型と批評性 (内田樹の研究室)

    マスメディアの凋落について毎日原稿を書いているせいで、ものの見方が偏ってきているのかも知れないが、今朝の毎日新聞の一面のコラム「余録」にも、思わず反応してしまった。 コラムは「決断」をめぐるもので、鳩山首相の決断力のなさと、最近の「発奮」ぶりをいささか嘲弄的に紹介している。 「普天間基地問題でも『体当たりで行動していく』『必ず成果を上げる』と歯切れがいい。先週の内閣メールマガジンでは『未来に向けて時計の針をもっと勢いよく回せるような政府をつくりあげていきたい』とアピールした。だが、沖縄県民、米国、連立与党のいずれをも満足させる道がこれから急に開けるようにも思えない。『針の穴にロープを通すくらい難しい』ともらしたことがある首相だ。何を選び何を捨てようとしているのか。『腹案はある』と自信ありげな腹の内を見てみたい。」(毎日新聞、4月5日) 「よくあるコラム」である。 こういう書き方を日のジャ

    Akutaya
    Akutaya 2010/04/05
    小学生の頃からなんとなくそういう文章をかく訓練をしている気がしてる。定型的で夢想的な正論を書くといい点がもらえたからな。
  • 忙しい週末と翻訳のこと - 内田樹の研究室

    金曜日は授業が午前中だけだったので、午後から教育実習校訪問。 京都のNトルダム女学院高校にゼミ生のN西くんが行っているので、受け入れ先にお礼のご挨拶をするのである。 東山の斜面の木立の中にあるたいへん雰囲気のよい学校である。 ミッションスクールはどこも立地がよい。 最初に場所を選んで、校舎を建てたのが宗教家なので、「霊的プロテクション」ということがはっきり意識されているからである。 「霊的プロテクション」というと鼻で嗤う人がいるかもしれないけれど、これは築城の条件とほとんど同じである。 「難攻不落」というのは単に物理的な条件だけを言うのではない。 攻撃的な意図をもった人間がそのエリアに足を向けると、なんとなく「気後れ」がして、「ま、ここは後回しにするか・・・」というような reluctance を人の心に生み出すのが実は「難攻不落」の不可欠の条件なのである。 物理的に攻略することがいかにも

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