日記_2024.8.29 鞍馬と貴船 29日は鞍馬と貴船に行ってきました。こんな天気でバイクは無理、でも引きこもるのも嫌なので前々から行きたかった鞍馬と貴船に行くことにしました。ただ、いつ大雨が降っても全くおかしくないので天気がヤバそうなら帰ることにします。普通に日帰りできる距離ですから…
読むと後悔する絵本、劇薬絵本とでも言おうか。そんなことはつゆ知らず、「読んで」と子どもが持ってきたら読まなきゃいかんだろ。 後ろを向いた「いもうと」の表紙を見たときの、なんとなくヤな予感はあたった。テーマは「いじめ」、しかもガチ、さらにラストが… ―― 引越しして、あたらしい街に住むことになり、期待に胸をふくらませて学校へ行った「いもうと」。そこで受けた「いじめ」は、どちらかというと、よくあるいじめ。「いもうと」はこころを傷つけられる。 それから学校へ行かなくなった「いもうと」の日々を家族の視線で追いかける展開なのだが… まさかこうなるとは。そして、ラストの「いもうと」の手紙が胸に刺さる。この絵本の手にしたわたしも「いじめ」の傍観者になった気分だ。彼女の願いはとてもあたりまえのこと――「みんなと仲良くしたかった」が踏みにじられ、踏みしだかれた「いもうと」を置き去りに、いじめた子どもたちはす
同僚と何気なく夜飯を食べに行き、なぜかそこで、ひたすらダメ出しされてしまう。 仕事のダメ出しならば、まだよかった。 ダメ出しされたのは、仕事場における、私の女子に対する態度だった。 自分ではいたって普通にしているつもりだったが、私の「普通」は、ダメなのだという。 いわく、私の女性に対する態度は、「窓が開いていない、開いていたとしても、網戸が張ってある」というものだそうだ。 仕事の話は普通にするからそれでいいと思っていたが、業務用の窓が開いていても、ダメなのだという。 話しかけられれば話はするけれど、そもそも話しかけたくなるような雰囲気になっていないのだという。 一番ショックだったのは、「上から目線」だということだ。 これは本当にショックだ。 全く見下しているつもりもないし、バカにしているつもりもないのに。 うわあ、そんな風に見えてるのか。 実際の女子からの評判は、そうとう悪そうだ。 ちらっ
なんだとはなんだとはなんだ!という魔夜峰央的なノリで反応してみる。 コメントによると、といっても引用だけで意図の明示がないので何をどう読み取れというのかわからないのだが、とにかく次の文章が引用されていた。 ニセ科学批判の自己目的化がまずいのは、批判者やその同調者の「優越感情」が醜いからというより、ネットでの議論が内藤朝雄のいういじめにおける「(性・宗教・メディア・倫理 : 悲しいお知らせ。http://may13th.exblog.jp/4279438に適切な要約がある)に引きずられてしまいがちであり、ニセ科学批判もその例外ではないからだ。 http://coleopteran.seesaa.net/article/33542524.html 「優越感」よりも「いま・ここ」の論理の方が問題だと。 わかりやすいようでいて、その実何を意味しているのか分かりにくいこの「論理」であるが、参考リンク
可視化シリーズ。 ファイナルファンタジーシリーズとその関連作品、ドラゴンクエストシリーズとその関連作品、要するにスクウェアエニックスの主要ソフトが、何年にどのハードで発売されたかを一望できる画像を作成した。発売予定のソフトも一部含んでいる。全部で約120作品。 2720x2193ピクセルの巨大画像なので注意。ついでにPDF形式も用意した。A3ぐらいならなんとか印刷できるかも。 以前作った任天堂ソフトの歴史を一枚にまとめた画像のFFとドラクエ版だ。任天堂のほうは、横5000ピクセルという異常なサイズだったが、今回はコンパクトに出来た。それでも十分でかいが。 今回もここが違うとか、意味が分からないとかつっこみを入れられそうなので解説。 ファイナルファンタジーシリーズ ドラゴンクエストシリーズ 両シリーズの登場キャラが主要キャラとして登場する作品 両シリーズの関連作品 家庭用ゲーム機、携帯ゲーム
フリーティケットシアター全サービス終了 誠に勝手ながら、「フリーティケットシアター」のサービス提供を 2016年3月31日をもちまして終了させていただきました。 これまで長らくご愛顧を賜り、誠にありがとうございました。 http://www.freett.com/
今月に入ってから2ちゃんねる・ニュー速VIP板で「新ジャンル」が流行っている。昨年からあったのだがここ最近加速度的に増えているのだ。「ツンデレ」をベースに新しい「萌え属性」を考えついたという趣旨のスレッドなのだが、もちろんVIPPERらしくバカバカしいものが多い。というか「超ワルオヤジ」なんてもはや何が「新ジャンル」なのか意味不明だが、面白いことに変わりはない。また最近話題になっていたものとしては、ほかに「おばあちゃん」「牛」「ツンバカ」などがある。少し前には「カーナビ」や「ツンドロ」も少し話題になった。 以下にここ最近登場した「新ジャンル」をまとめておくのでどうぞ。 ■超ワルオヤジ ・2ちゃんねら「新ジャンル『超ワルオヤジ』」 ・【2ch】ニュー速クオリティ「新ジャンル『超ワルオヤジ』」 ・2ちゃんねら「新ジャンル『超ワルオヤジ』」 ・VIPPER.orz「新ジャンル『超ワルオヤジ』」
とりあえず記録用に作ってみました。新ジャンル学園が所在する自治体のってイメージで 【必ず読んでね】参加される方へ【お約束】を見ながらまあ適当にどうぞ 試立ジャンル学園仮キャラクター図鑑 間違えていたら修正をお願いします いささか人数が増えてきたために、何名かは別のクラスに移動するかもしれません 人数の増加にともない、クラス移動が開始されます 新キャラ、出番の少ないキャラは自主的に移動してください ここでのクラスわけはあくまで編集の便宜上のものなので、実際のクラスわけは話をつくる人それぞれで自由に考えてください。 1クラス36名を上限とします 3年D組(個性) 33/36 3年C組(変態) 23/36 3年B組(人外) 18/36 3年A組(新参) 22/36 学校内 学校外
さてさて。KANON2006の行方である。名雪が祐一を諦めてあゆが無事に引っ付いたらそれでいいのか、という話である。本来祐一はあゆが好きだった、名雪は横恋慕だ、だからこれでいいのだ、世の中そんなもんだ、という説明は分かる。分かるがしかしそれで本当にいいのか。僕は納得できない。 「祐一は実にあゆのことが誰よりも好きなのか」という疑問の検証が無視されている。おそらくあゆは祐一を愛しているだろう。名雪もしかり。けれど彼は?彼は誰かのことを本当に好きになったことがあるのだろうか?この点に関し、名雪はかなり辛辣である。「祐一のは、そういうんじゃないんだよ」。 最も可哀想だから拾い上げるんだという無意識と選択が、主人公の取りうる選択肢のうちで最も傲慢で最も無様で最も無責任で最も醜い姿勢であることについて、デジタルノベルの歴史はすでにその記念碑的傑作、『君が望む永遠』において証明を済ませた。 つまり、そ
このエントリを作成している途中で「”です・ます”調で書くか”である”調で書くか?」という非常に良質な記事を見つけた。私のエントリは、その記事と比べれば全然文章について的を射ていない。そのことについてご了承願いたい。 「auther」は「reader」より上の存在にあるという仮定高校の教科書に載っていたことなのだが、日本語で一般に「著者」と訳されている「auther」という英単語は、「権威」と訳される「authority」の派生語であるらしい。つまり、権威を持っていなければ書き手にはなりえず、同時に書き手は権威ある存在とみなされるのである。 こういう認識は、戦後の経済発展、さらにはブログや掲示板の普及を経た現代においては疑問に思う人も多いかもしれない。しかし、印刷技術が未発達だった時代においては一冊の本が非常に貴重な存在であっただけに、こういう認識が人々の中に少なからず存在していたのだろう。
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
今度は、「漫画の枠(ワク)」というキーワードを使って、別の視点から漫画の「キャラと世界観の関係」を語ってみたいと思います。 漫画のスケール 「枠」とは漫画のアウトラインであり、完成予想図の青写真であり、作品自体のポテンシャル、「スケールの大きさ」と呼んでもよくて、作者が「どんなことをやれるか」の範囲のようなものを表す言葉だ、と言っていいと思います。 枠が広ければ広いほど、キャラクターの活躍の範囲も増え、重厚で奥の深いドラマを展開できるようになると考えられます。「大器晩成」という言葉があるように、作品が最終的に完成した暁に想定される「器の大きさ」や「風呂敷のデカさ」が「枠」なんだ、という所で共通理解が得られればいい感じです。「大風呂敷を広げた大作」や「最初から適度なサイズにまとめた掌編」とか、色々思い付くんじゃないでしょうか。 そして、枠の広さや形は、話が進むにつれて変化したり拡張される可能
『響け!ユーフォニアム2』に見る恋愛のアレゴリーと、『やがて君になる』の百合以来、丸半年ぶりのブログ更新です。 今日は京都精華大学オープンキャンパスで行われた、竹宮惠子学長と、同大学の卒業生でもある仲谷鳰(『やがて君になる』)の対談イベントを聴講してきました。 竹宮惠子×仲谷鳰対談 「マンガにおける恋愛の描き方-性の表現」開催のお知らせ ―『風と木の詩』竹宮惠子と『やがて君になる』仲谷鳰が語る恋愛表現のこれまでとこれから― | 京都精華大学 竹宮惠子×仲谷鳰、京都精華大学で“恋愛の描き方”語る特別講義 - コミックナタリー 講義としては、大学側の司会進行によるお題に、お二方がそれぞれ答えていくというスタイルで、「影響を受けた作品」など基本的なテーマもあったのですが、今回は「恋愛表現」「BL(少年愛)」「GL(百合)」という、メインと思われる話題に絞って感想を残しておきたいと思います。 BL
■KC1巻から始まるスクランの世界 スクランの世界に流れる、ディスコミュニケーション性とは具体的にどういうものか。 それは、善意や好意をちゃんと理解して、その感謝の気持ちを本人に返す、という正常なコミュニケーションが稀にしか描かれず、その踏み外しをこそドラマの基点にしていることからも説明できる。 実際に、善意と好意に伴う感謝のシーンをKC1巻から探し出してみようか。初期の段階までなら天満も、単純に行儀の良い子として「ありがとうございます」を条件反射的に言えている(♯03,♯04参照)のだが、その天満に播磨からの好意や善意が絡み出してきた途端、想いのすれ違いが始まる。 ♯05では、テスト中の助け船が失敗に終わった(播磨の空想では感謝される図が展開されている)。 ♯06では、ラブレターによる好意が理解してもらえたものの、播磨自身は名乗り出せなかった。 ♯12では、チカンを退治して感謝されるが、
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