昨夜、恵庭事件の再審棄却決定を報じるテレビを見ていたらば、被害者の父親が出て来てコメントしていた。 もう娘は帰らない、言葉を詰まらせて語る父親には、未だに癒えない痛みがあるのを知って、そうだろうと同情の言葉もなかった。愛する存在を失う痛みは、きっと月日の中には薄れるモノはあるだろうけど、却って増すモノもあるのではないだろうか。犯罪被害者の痛みを思うと、俺が加害者にならなかったことは良かったと思うと同時に、恥ずかしい話だが、俺が盗みをした被害者が、その俺の犯罪で人生を歪めてなければ良いがと祈るような思いになる。 ただ、犯罪被害者の思いと冤罪は違う。無実の罪に苦しむ人も、また犯罪の被害者なのだ。明らかに捜査の誤りによって作られた「状況証拠」だろうに、それに目を眩まされて事実を見抜けない判断だったことを思うと、被害者父親の言葉を使って決定内容を正しいとでも言いたいのか、と報道内容に怒りが湧いて来