史実に拘るなら、沖縄慰霊の日は6月22日でしょ。
本人談⇒【ビデオ】沖縄発言は誤解=米国務省メア元日本部長が反論 - Japan Real Time - WSJ 実際の講義がどうであったかは、依然わからないが当人談話が聞けるのはよいことだ。 びっくりしたのだが、あの流布された、5人で作成された講義ノートは講義後2か月後に作成されたとメア氏が述べていることだ。 私はあのノートの信憑性はかなり薄いと見ている。いつ作成されたかもわからないし、作成された経緯、つまり原資料がどういう構成になっているかもわからないからだ。 追記 読売新聞2011.3.11「[スキャナー]「ゆすり」発言 米、異例スピード更迭 沖縄、怒り収まらず」より。 メア氏側は昨年12月に行った大学生への講義について「オフレコだった」としているが、結果的に発言内容は外部に流出した。一部の米メディアは、一連の動きの背景には、学生らが参加した沖縄への学習ツアーは、沖縄の在日米軍基地の閉
この言葉に耳を傾けて、米国は本気で銃規制に取り組むべきだ。 まあ、ダメな社説のテンプレですな。 これなんかもっとひどいけど⇒東京新聞:ペイリン氏に批判集中 米アリゾナ乱射:国際(TOKYO Web) WPは論点をくっきりさせていた⇒Questions about mental illness, access to guns follow Arizona shooting The suspect appears to be a disturbed young man with no coherent political philosophy. 最初は共和党や茶会のカウンター情報かと思ったが、そうでもなさげ。つまり、精神疾患で政治的な文脈を強調するのはいかがなものか。 The temptation will be, as Arizona and the nation mourn the dea
- 追記 論点がわからない人がいるようなので最初に3行でまとめておきますよ。 finalvent: 自衛隊は暴力装置ではない(暴力装置は国家のみを指す用語だから)。 hokusyuさん: 自衛隊は暴力装置である。 排他的な命題なんでどっちかが正しく、どっちかが間違っている。お考えください。 - ⇒とあるアルファブロガーのSophisterei(詭弁)――あるいは正統的な暴力も暴力であることについて - 過ぎ去ろうとしない過去 なるほど、この定義によれば、国家権力は暴力装置である。では「暴力を発動するため」の「暴力」とは何だろうか?警察や軍隊だとすれば、「警察や軍隊を発動する」となり、意味が通らなくなる。 意味通るけど。警察とは警察暴力であり、軍は軍暴力。なにか疑問でも? むしろ、その後半の部分と比較してみればわかるが、軍隊や警察は、「諸機関」と並列されているのである。つまり、国家は暴力を発
奇矯な意見や行動をする人でもあるが、一定の知的水準と合理性を持ち合わせている人だったのが、しばらく接していないうちに、私からすると豹変していることがある。合理性のかけらもなくなっていることがある。 いろいろそれなりの理由はあるのだろうが、現実問題として豹変後には元には戻らない。一番の特徴は、聞く耳を持たない、ということだろうか。とりつく島もないということになる。 最初からとりつく島もないという人はネットには多いし、そもそも世間に多いのだから、ネットはその部分集合ではあるのだろう。 ここで、じゃあ、私はどうなんだろ、他人から豹変したように見えるのだろうか、聞く耳は持たないとなってしまっているだろうか、そこはいつも思うが、よくわからない。私は自分ではかなりオープンマインドであるつもりでもあるが、この人なんも聞いてないなと二、三度ループしたと思えたら、私から折れるようにする。それ以上関わっても、
⇒核密約文書 合意は今も効力持つのか / 西日本新聞 「佐藤・ニクソン秘密合意」が現在も法的な効力を持つものかどうかを、政府は米政府とあらためて協議・検証し、見解を表明すべきだろう。 で、みなさん、核持ち込みだけに関心をもっているけど。 これ、ちょっと気になることがあって。 1972年の沖縄返還をめぐる日米交渉の過程で、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が69年11月の首脳会談で取り交わした合意議事録の現物である。佐藤氏の遺族が保管していた。 議事録は、米国は沖縄返還時にすべての核兵器を撤去するものの、極東有事など「重大な緊急事態」の際には沖縄に再び持ち込む権利を有することを明記し、日本側がこれを認めることを確認したものだ。末尾には佐藤、ニクソン両首脳のフルネームの署名がある。 これ、沖縄返還の合意の結果なんだけど、沖縄返還とは施政権の返還で、沖縄の領土の所属はたぶんいまだ定まっていない
増田さん⇒私が池田先生を好かないたったひとつの理由 話が散漫になってきたので、改めて私が一人の人間として池田先生を好かない理由を述べる。 それは、下品で甘ったれた世間知らずの幼稚なオヤジだからである。ひとつじゃない?言語化するとそうかもね。でも「こういう人間」だというのに形容詞がいくつも必要だっただけだ。ていうかまぁ、ぶっちゃけるとタイトルは切れ味がいい方がいいじゃん。 判断は人を好く好かないではなく、議論の中身を見たほうがいいですよ。 池信先生からは学ぶことがたくさんありますよ。 というか、ネットの議論は、世間の対人的な知恵とは違って、まず、議論の正否をそのエクリチュールから読むという、ある種、冷酷な能力が必要になりますよ。 「この意見は正論の面もあるが、こいつはこういう考えを持っている、あるいは持っているに違いないから、この意見の意味はこうだ」だから、バッシングしてやれというのを、でき
⇒はてなブックマーク - 極東ブログ: 出生率向上は米国にも学んだら agricola キリスト教では産児制限は悪だ「ということになっているらしい」から、というのは検討に値しない些末な要因ですか?聖書を引き合いに出して「キリスト者としての麻生太郎」をさんざん持ち上げといてそりゃ無いぜ。 2009/09/23 文章の前後の関係がよくわからないのと、”「キリスト者としての麻生太郎」をさんざん持ち上げといて”の意味がわからないのだけど。(もしかするとキリスト者であることに倫理的な意味を前提を置いているのかな。キリスト者ということは倫理的な意味合いはないですよ。悪人も善人もいる。しいていうと、「罪人の自覚」のがあるのがキリスト者というくらいです。) ”キリスト教では産児制限は悪だ「ということになっているらしい」から、というのは検討に値しない些末な要因ですか?”については。 それ、検討してみると面白
鳩山兄さんの「友愛」がネタにされることが多いが、この日記をもし継続的に読まれている人がいたら、その「友愛(fraternity)」がこの日記の一つのキーワードに結果的になっていることを知っているのではないか……いやそんな読者を想定するのは幻想かな。 fraternityというのは存外に難しい概念で、多様な含みもあり、おそらくはマルクスのいうassociationにもつながるのだろうとは思うのだが、そうした社会原理的な捨象の前に、絶対主義時代が実際には社団社会(社団国家)であり、婚姻が社団の機能を持っていたあたりで、欧米の婚礼には神が娶せるという受動性(だから英語だとbe marriedの表現が多いのだけど)に加えて、Impedimentというものがある。日本語でなんというのか、字引を見直すと、「〔結婚などの法的契約の〕履行障害」というのがある。まあ、そうなのだが、これを結婚では会衆に問うこ
オリジナル⇒首相「金ないのに結婚するな」 : 動画 - 47NEWS (よんななニュース) オリジナルが出るなら推論するまでもなかったけど、まあ、私の推論はこうなっていた。 その前に原則 全体のコンテクスト(文脈)を理解する。(1)問いに答えている、(2)若者に人生経験者が結婚を説いている。 「(2)若者に人生経験者が結婚を説いている」の話題は何か? 尊敬ということ。 話者のポジションを理解する。(麻生さんはカトリック信者だ) 具体的なディテールは原典に近い 矛盾する言明にはそれを解くロジックが隠れている。ここでは、「金がねえなら結婚しない方がいい」と「人それぞれだからうかつには言えない」は矛盾している。 テキストはこう 朝日(参照) ---「若者に結婚するだけのお金がないから結婚が進まず少子化になるのではないか」 「金がねえなら結婚しない方がいい、おれもそう思う。うかつにそんなことしない
⇒【中国ブログ】南京人の告白、「私は日本人を恨んでいない」 2009/07/13(月) 19:53:27 [サーチナ] 本当に同胞を愛し、本当の良識と正義感を持ち、本当に世の中の平穏を願うのであれば、恨むべきは政府であって日本人ではないはずである。過去、大躍進で死亡した3755万人の同胞を含め、戦争の無い平和な時代に数千万人もの中国人が自らの同胞に殺されていながらも、後悔や反省は未だに見られない。事実を追求するための努力ですら闇に葬られているのだ。 「恨むべきは政府であって日本人ではない」は「大躍進」を推進した毛沢東、それを押し止めることはできなかった周恩来がかつて日本人に語ったことでもあった。 私が日本人を恨めば、私はきっと自分自身をも恨むようになってしまうのではないだろうか。 ⇒極東ブログ: [書評]2日で人生が変わる「箱」の法則(アービンジャー・インスティチュート) ⇒極東ブログ:
⇒困ったなぁ 2009-04-21 - 備忘録ことのはインフォーマル まあ、私が違和感を覚えるのが「物事は白か黒かだ」「そして自分は白だ」「自分は白なのだからそうでない奴は黒であり、黒は容赦なく叩いてよい、なぜなら黒は黒だからだ」みたいな人たちだから、しょうがないのか。 しょうがないんじゃないの。 というか、それをめんどくさと思って避けると、その部分について自由に自分の考えが公表好評しづらくなる。 とはいえ、そこは地雷って書いてあるマークをわざわざ踏むことはないかもとも思うけど。 ……これじゃ、対話にならないよなあ。ネットというツールが言論なり論壇を生み出すことはない、ネットを使う人たちのリテラシーが向上しない限り。 リテラシーといえばそうだけど、私はもう少し長いスパンで見ていいかなと思っている。私なんぞもへんてこなレッテルを張られ変な弾を撃ち込まれるけど、もう6年近くブロガーやってんだし
⇒NHKニュース 破門解いた神父 ガス室否定 ローマ法王、ベネディクト16世が先月破門を解いた神父が、ナチスの強制収容所のガス室でユダヤ人が殺されたことを否定していたことがわかり、ドイツのメルケル首相が法王に批判的な発言をする異例の事態に発展しています。 ローマ法王、ベネディクト16世は先月23日、ローマ法王庁と教義をめぐって対立している保守派聖職者のグループのメンバーで、1987年に破門された4人の神父に対して、破門を解くことを決めました。ところが、このうちイギリス人のリチャード・ウィリアムソン神父が、去年11月、スウェーデンのテレビとのインタビューで、「ナチスの強制収容所では20万から30万の人が死亡したかもしれないが、ガス室で殺された人は1人もいない」と話していたことがわかりました。このため、破門を取り消した法王と法王庁に対して、各国の有力な聖職者から強い批判が上がっていました。そし
おやこんな話が社説に。 例えば、「連行される慰安婦たち」とされる写真は、南京戦の前に発売された「アサヒグラフ」に「兵士に守られて帰宅する女性や子供」として掲載されていたものだ。また「日本軍の空爆を受けて泣き叫ぶ赤ん坊」とされる写真は、中国側が反日宣伝のために演出して撮影し、米誌「ライフ」に載せた写真である。 そういえば。 ⇒NHKスペシャル「日中戦争 〜なぜ戦争は拡大したのか〜」見たよ - finalventの日記 南京での日本兵の暴虐は米国に伝えられたとのことで、あたかもその報道写真のごとく、れいの写真掲載ライフが出てきた。をっとぉ。 ほいで、ブコメもらったっけ。 ⇒はてなブックマーク - すこし殺伐栞 - 2006年8月14日 fujiko-m コメント欄では「事実の存否」について哲学的に語ってらっしゃったりするけど、”れいの写真掲載ライフが出てきた。をっとぉ。”<みたいな記述を見るに
間違っていると思うよ。でも、もういいやという感じがする。若い自衛隊員がブログも暢気に書けない時代がきても、それもまたかつてのように日本人の選択だろう。 思想の自由とは、実際には、自分が受け入れがたい思想に対する許容性を示すものだ。もちろん、思想の対決というのはあってもいい。それこそが自由だからだ。 今回の一連で、私はいろいろとばっちりを受けた。苦笑というよりやるせない思いがしたのは、私が右派でありそのような史観を本音で持っているからに違いないという思い込みによる罵声だった。予想はしていたし、そこで罵声を受けなければ、およそ自分が受け入れがたい思想に対する許容性たりえない。 典型的なものは、では公務員がビラ配りしてもよいのかというものだった。まるで私がそれに反対しているかのような前提があった。私は公務員がビラ配りしようが政治活動しようがまったくかまわないと思っている。私の思想の一貫からすれば
ホロコーストについてウィキペディアの記載を読んでちょっと思ったこと。 ⇒ホロコースト - Wikipedia 話は錯綜させないためにあえて、これだけがソース。 で。 ナチスによる迫害と殺戮は、段階的に行われた。まず、第二次世界大戦の開始より数年前に、ドイツ国内でユダヤ人を社会から除外する法律が制定された。次に強制収容所が建設され、犠牲者はそこで過労か病気で死ぬまで奴隷労働をさせられた。ナチス政権が東ヨーロッパで新たな領土を占領するたびに、アインサツグルッペン(Einsatzgruppen) と呼ばれる特殊機動隊がユダヤ人や抵抗勢力を公開銃殺刑にした。ドイツ国内のあらゆる官僚組織が、この大量殺戮計画を迅速に実行できるように尽力したため、当時のドイツは一種の「殺戮国家」(genocidal state)となった。 この記載が正しいとしてという条件で。 2点、ちょっと思ったというか。 1点目だけ
「トリアージとナチズムが比較できるものなのか」という点で。 私はトリアージというのはウィキペディアの記載されている以上はわからない。その程度の知識。 ここでいうナチズムはホロコーストのことで、ホロコーストはジェノサイドのことだと理解して。 以上が私の前提。 で。 「トリアージとジェノサイドが比較できるものなのか」と。 で。 「トリアージは人命救助で、ジェノサイドは虐殺ではないかといっても、救うプロセスと殺すプロセスは実は表裏一体」ということで、その点で比較が可能か? トリアージに殺す側面があるのは確かだし、ジェノサイドはベタに殺す(文化抹殺も広義にあるけど)なので、その点に共通点があるのか、と。 とすると、通り魔殺人や死刑も同じ共通点になるのでしょうね。その理路では。 で。 ジェノサイドだけど。 国際法的には⇒Convention on the Prevention and Punishm
国連安保理は、PKO要員への襲撃を非難する議長声明を出した。そもそも紛争の責任者を裁くようICCに求めたのは安保理だ。国際正義の追求と同時に、現地の混乱を増さないよう手をうつべきだ。原油取引でスーダン政府と良好な関係をもつ中国には、常任理事国として役割を果たしてほしい。 日本を含めて国際社会は、訴追への動きをテコにスーダン政府への働きかけを強めるべきだ。 微妙に安保理を避難しているトーンが感じられる。 中国への言及は好ましい。というか、目下期待できるのは実際には中国くらいだろう。ただ、本当に期待できるかと再考するとむずかしい。 ダルフール危機問題については、自分としては、擦り切れた感はある。4年近い日々が空しく費やされてしまった。 ダルフール危機をブログで取り上げることで暗に陰湿な攻撃も受けた。自分には自分の正義心のようなものがあったし、同じ時代にジェノサイドされていく人への責務が通じない
えっと、特にどうたらいう文脈でもないけど。 「動物化」というのはわからないといえばわからない。勉強が足りませんなこりゃというのは率直に認めるけど、対立する概念が「人間」であるなら、そういう人間は、フーコーじゃないけど終焉したのではないか。 近代が「人間」を作り出し、それが終焉して、管理化された動物的な存在が現れるということなのか、私としては、人間の終焉の後に出てきたのは、断片だと思う。知性や技術によって断片化した存在。あるいは経済によって断片化した存在。 かつては、というかルネサンス的な人間では、そうした断片を恋愛とかまさに人文みたいなもの、あるいはドイツの教養小説(ビルドゥングスロマン)みたいなもので統合された人間を描こうとした。でも、それはかなりもうダメなんじゃないか。 では、人間は断片化されっぱなしなのか。そこはよくわからない。というのはこれは技術=ゲシュテルという存在の開示と関係し
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