ここでいう『苦労』というのは、何の目的意識もなく苦役をすること。 目的意識を持ってやることからは得るものがありますが、ただ漫然と「つらいなあ、苦しいなあ」と思いながらやることから得られることと言うのはそんなに多くありません。時間の使い方としてあまり有意義じゃあないです。 更に、苦労を重ねることで「苦労をしなければならない」という苦労教に入信してしまう人も居ます。苦労教の教義は「苦労=経験」で、苦労を重ねることで何かを得る、という考え方です。こじらせると「若者が売れるものは時間しか無いのだから時間を売って経験を得よ」という悟りに到達します。やがて苦労教徒は若い人に苦労を押し付けるようになります。それこそが正しいことだと思っていますからね。 実際には苦労教徒が言うようなことはありません。効率よく学ぶことも得ることも与えることも出来ます。社会を見回してみれば、これまで先人が積み重ねてきた労力や成