ブックマーク / urbanlife.tokyo (3)

  • なぜ日本ではクリスマスに「フライドチキン」を食べるのか? 知られざる歴史を連合軍占領時代からひも解く | アーバンライフ東京

    この苦境を脱するきっかけを作ったのが、後に社長となる大河原毅氏です。 東京の青山店担当だった大河原氏は、幼稚園からクリスマス用にフライドチキンの注文を受けたことをきっかけに、「苦し紛れに」クリスマスケンタッキーの企画を立ち上げました(『時代に先駆けた19人 外産業を創った人びと』)。 この企画が当たり、「クリスマスにフライドチキン」という習慣が東京から全国に広がっていったのですが、この話には不可解な点があります。 ・なぜ、幼稚園がクリスマス用にフライドチキンを買ったのでしょうか? ・なぜ、大河原氏はクリスマスにフライドチキンを売る企画を立てたのでしょうか? ・なぜ、東京の人々はクリスマスにフライドチキンという習慣を抵抗なく受け入れたのでしょうか? その理由は、そのとき既に 「クリスマスにはローストチキンをべる」 という習慣が存在したため。 フライドチキンはローストチキンの「代替品」「便

    なぜ日本ではクリスマスに「フライドチキン」を食べるのか? 知られざる歴史を連合軍占領時代からひも解く | アーバンライフ東京
    Ayrtonism
    Ayrtonism 2021/12/15
    米国ではフライドチキンは黒人社会のソウルフードなので、黒人以外の人は特に、クリスマスとフライドチキンのイメージが合わない、と聞くな。/鶏モモ肉をローストして食うのは昔から今も続いてるよね。
  • 知られざる本物のゴーストタウン 東京・昭島市「堀向地区」 なぜ商店街は森に変わり果てたのか? | アーバンライフ東京

    東京都多摩地域中部に位置する昭島市。そんな同市の道路沿いに延々と森が続くエリアがあります。いったい何でしょうか。ライターの野村宏平さんが解説します。 JR青梅線の昭島駅を降りると、北口左手に昭和飛行機工業(昭島市田中町)の敷地が広がっています。1937(昭和12)年に設立された機器メーカーで、昔ながらのノコギリ屋根の工場が目を引きます。 1938年に開業した昭島駅は、もともとこの会社の従業員のために設置されたもので、1959年までは「昭和前」という駅名でした。 駅から20分ほど歩いて工場街を抜けると、玉川上水に架かる拝島上水橋に出ます。この橋を渡ると堀向(ほりむこう)と呼ばれる地区です。現行の住所では昭島市美堀町の一部ですが、古くからお堀と呼ばれていた玉川上水の向こう側に位置するので、堀向という地名になったといいます。 通りの左側にはスーパー銭湯があり、広い駐車場にたくさんの車が駐(と)め

    知られざる本物のゴーストタウン 東京・昭島市「堀向地区」 なぜ商店街は森に変わり果てたのか? | アーバンライフ東京
    Ayrtonism
    Ayrtonism 2021/05/10
    滑走路の延長上にある地区みたいだから、滑走路を横から眺める街(福生市街とか)とは騒音の質が違うのだろうな。
  • 1947年の悲願 東京「練馬区」だけが区の発足を「独立」と呼ぶワケ | アーバンライフ東京

    東京の中でも練馬区だけは区制のはじまりを「独立」という言葉で表現しています。いったいなぜでしょうか。フリーライターの小西マリアさんが解説します。 8月1日は練馬区の独立記念日。東京の中でも練馬区だけは区制のはじまりを「独立」という言葉で表現するのをご存じでしょうか。 というのも、練馬区は板橋区から独立して成立したからです。2017年には独立から70年を迎えて、区内各所で盛大な行事が開かれました。 成立ではなく、独立という言葉を使う練馬区。独立というのは、一般的に平穏無事に行われるものではありません。人類の歴史を振り返っても、アイルランド独立とかインドネシア独立、アンゴラ独立など、血と汗によって達成されるものなのです。 もちろん血こそ流れませんでしたが、練馬区は独立達成まで、22年間にわたる苦闘を繰り広げてきました。 板橋区からの独立は、練馬区にとって特別な意味合いを持っているようです。区議

    1947年の悲願 東京「練馬区」だけが区の発足を「独立」と呼ぶワケ | アーバンライフ東京
    Ayrtonism
    Ayrtonism 2020/08/11
    練馬区民って、一体感があるというか仲良しというか、ちょっと別の区と雰囲気が違うと感じる。
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