冷戦時代は、ソ連と西側諸国の間の緊張が極度に高まった時代としてよく知られている。軍拡競争で兵器は発展し、ソビエト政権は防空技術を改良する必要に迫られた。 米国から発射された弾道ミサイルがソ連に届くには二、三十分かかると推測されていた。防空軍は対策を打つのに十分な時間を確保できるよう、発射後2~3分でミサイルを発見する必要があった。1960年代半ば、設計者ウラジスラフ・レーピンとアカデミー会員アレクサンドル・ミンツは3段構えのミサイル・レーダー・システムを考案した。第1は人工衛星で、赤外線を使ってミサイルの噴炎を検知する。第2は超水平線レーダーで、電波を使って噴炎を発見する。第3は地上レーダーで、領土に十分に接近したミサイルの位置を特定する。3段構えによってシステムの誤作動のリスクは最小化できるが、その分担当者が決断を誤った場合、その責任は重大だった。 問題は第2のシステムだった。当時、物理