技術と格差に関するBUNTENのブックマーク (4)

  • 世界初のブタ心臓のヒトへの臓器移植を実施 術後数週間が山場 - ナゾロジー

    ブタの心臓は現在も患者の体内で動いています。 1月7日、メリーランド大学メディカルセンター(UMMC)において、57歳の男性にブタから取り出した心臓を移植する大手術が行われました。 これまでにも、ブタ心臓の「弁」が人間の心臓に移植されることはありましたが、ブタの心臓全体の移植が行われたのは、世界ではじめてとなります。 ブタ心臓を移植された男性は現在も安全のために人工心肺装置につながれているものの、体調も良く、ブタ心臓も正常に機能しているようにみえる、とのこと。 しかし種を越えた臓器移植は通常、免疫の激しい拒絶反応を引き起こします。 研究者たちはいったいどんな方法で、拒絶反応を克服しようとしたのでしょうか? University of Maryland School of Medicine Faculty Scientists and Clinicians Perform Historic

    世界初のブタ心臓のヒトへの臓器移植を実施 術後数週間が山場 - ナゾロジー
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    BUNTEN 2022/01/12
    たとえ標準治療になったとしても、保険外になって俺はたぶんトン死。
  • なぜ日本は偏差値が嫌いなのに使い続けるのか 考案した元・中学教員が語った“生徒のために作った偏差値が悪者になるまで”

    前のページへ 1|2|3 昭和36年、偏差値が広まる転機 桑田氏は、偏差値を同僚たちと共有しましたが、生徒には秘密にしていました。理由の1つは当時、「人間の知能は生まれたときすでに決まっている」と広く信じられていたことです。もし生徒に自分の偏差値を教えてしまったら、それが「あなたはこの程度の知能の持ち主で、この程度の生き方しかできない人間だよ」という宣告になってしまうかもしれません。それは避けたい、というのが桑田氏の想いでした。 しかし、箝口令を敷いたわけではありませんでした。そのため、「あの中学では桑田先生が考案した画期的な方法で受験指導をしているらしい」といううわさが徐々に広まり、偏差値の存在が知られるようになります。 転機―― それも良くない転機が訪れたのは、昭和36(1961)年のことです。 それまで桑田氏は、テストのたびに偏差値を一人でコツコツと手作業で計算していました(当時はま

    なぜ日本は偏差値が嫌いなのに使い続けるのか 考案した元・中学教員が語った“生徒のために作った偏差値が悪者になるまで”
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    BUNTEN 2020/03/05
    「うちのテストを使ってくれたら、代わりに偏差値を計算します」問題にされた理由はこのへんだろうな。一種の癒着に見える。▼知能指数の変動は少ないことが知られているが成績の激変はある。
  • 勉強できる人しか便利に暮らせない社会 - シロクマの屑籠

    いまの日人は、とても便利な世の中を生きている。 コンビニもインターネットもあるし、自分の人生もだいたい自由に選択できる。医療も治安もハイレベル。昔の人が見たら、さぞ羨ましがるだろう。 そのかわり、賢くないと――あるいは勉強しないと――何もできない時代になってしまった。 事務職に就きたいと思ったら、ワードエクセルは当たり前。子育てしようと思った未来のおかあさんも、子育てを一から勉強して、何が安全で何が危険か、自己判断しなければならない。行政サービスを利用する際も、あの煩雑な手続きを理解して申し込むのは一苦労だ。便利さにアクセスするためのハードルは、見えにくいところでとても高くなっていて、その恩恵に与れるのは、自分で調べて勉強できる人・賢い人だけだったりする。賢くない人・勉強もしない人ほど、自由選択の範囲は狭くなり、日常生活のリスクも回避しづらくなる*1。だから冒頭の文章は、正確には「いまの

    勉強できる人しか便利に暮らせない社会 - シロクマの屑籠
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    BUNTEN 2011/10/31
    勉強したくないではなく勉強できない・知的障害者の眷属として、社会からの過剰な自己責任要求には懸念を表明しておこう。m(_◎_)m
  • ビル・トッテン コラム(Our World)

    1969年、米国の大手ソフトウェア会社の一社員として市場調査のために初来日したビル・トッテン。日こそパッケージ・ソフトウェア販売の有望な市場であると確信、幹部に進言したものの受け入れられず、退社して自ら汎用パッケージ・ソフトウェア「ASI-ST」の販売権を手にいれ、1972年、資金100万円、トッテンを含む社員6名で、その製品名にちなんだ日初のパッケージ・ソフトウェア販売専門会社「アシスト」を設立しました。 創業以来、日企業で働く人々を情報技術を通じて「アシスト」することを使命に掲げパッケージ・ソフトウェアを販売していたトッテンが日市場を閉鎖的とする米国からの指摘に対して、アメリカの日叩きは敗者の喧噪だと主張する『日は悪くない』を上梓したのが1990年。これ以降主に日米問題を中心とした10冊を超す著書を出版し、講演活動なども行っています。 京都に在住、趣味読書と菜園。

    BUNTEN
    BUNTEN 2007/09/25
    「平和は利益をもたらさないが、戦争はビジネスになる。」いや、戦争の利益は偏在するのに対して平和の利益はトータルでは大きいが広く薄く分配されるということなのだ。
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