夕方大学を出て、市ヶ谷の「山おか」という店で出版社の方と打ち合わせ。フグをご馳走になった。東大で腕足動物(古生物)やっている椎野さんという人も同席していて、いろいろ面白い話を聞いた。 それから四谷荒木町の「坊主バー」というお坊さんが経営しているバーで2次会。いろいろと面白かった。 檀家制 坊テンダー 精進料理 品書 カクテル「愛欲地獄」 こんなチラシが 店内に仏壇 こんな当たり前の言葉も意味ありげに
「障害があるように見えない」 これは発達障害者がときどき定型発達者に言われるセリフなのだが、結構これには抵抗がある発達障害者が多いようだ。 (ちなみに私個人はなぜか抵抗がない) なんでかな?と思って考えてみるに、成人発達障害者の多くが「つらさ」というものを抱えてしまっていることに遠因があるのではないかということに行き当たった。 日常のあちこちで「つらい」のに「障害があるようには見えない」と言われてしまうと、自分の「つらい」という感覚、ひいては「障害の存在」、「障害をもつ自分自身」を否定されたように感じてしまうのではないだろうか? ところが…、 いろいろ観察していくと、定型発達者がこのような言葉を発するのに、実は深い意味はないことが殆どだ。 せいぜいのところ、「パッと見たところあなたが自分と違うようには”感じられない”」くらいの意味でしかない。定型発達者では好意を示すのに同質性の確認をするこ
自分が代表をしているNPOは、地元自治体に暮らす障害児とその家族にしか直接の支援をしていない。法人で掲げる理念の中に自治体名を入れているし、どの利用者の家も少しがんばれば自転車で行けるぐらいの距離だ。一番遠くても片道5キロぐらい。 多くの事業所がいくつもの自治体をまたがって支援を提供しているのに対して、このようなやり方はかなり流行らない。学生の頃からこの地域に育てていただいた恩返しという意味もあるけれど、人口数万人程度の小さな地域なのだから、障害児支援中心の事業所なんて2つもあれば、かなり対応できるのではないかと思っていた。 今でもその考えはさほど変わっていない。どのぐらいの社会資源が必要であるのかは、子どもの数からある程度は予測できる。屋内・屋外など、複数の支援形態を併せて1日に子どもを15人ぐらい支援できる事業所が2か所あり、一般的な子育て支援の資源(保育所、幼稚園、学童保育所など)が
渡邊芳之 @ynabe39 「差別的なデモとか常識的にまずいだろ」と思うその「常識」は差別的でないデモや意思表示についても「それは常識的にまずいだろ」になるのが現代の日本。 渡邊芳之 @ynabe39 日本のやった戦争が正しかったかどうか、仕方なかったかどうかはともかく、負けちゃった理由はきちんと分析して改善しとかないと次も同じ理由で負けちゃうよ、という話だと思う。 渡邊芳之 @ynabe39 戦争なんだから理念や大義がどうだったかより「勝てなかったこと」が最大の問題なのにそこはあまり議論されないのが日本っぽいといえば日本っぽいのだ。「済んだことは水に流して」というのは周辺諸国に対して以前にまず日本国民に要請されたことなんだろう。
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