知っている人は知っているし、知らない人は知らないと思われる、ラ・ムーに行ってきました。 たぶん、どちゃくそ定番のネタなんですが、筋肉少女帯のアルバム『筋少の大車輪』に収録されている「パンクでポン!」という曲(?)の中に、 本当のロッカーとは! 本当の、ロッカーとはなァ! 「ラ・ムー」のボーカリスト!! 菊池ィ! 桃子さんだァァァーーーーーーーーーーーーッ!! という一節があって、とりあえず私の頭の中では「ラ・ムー=菊池桃子」なのです。 わからない人にとってはさっぱりわからない話で申し訳ありません。書かずにはいられませんでした。 それはそれとして、ラ・ムーは昔のトポスみたいな感じで、段ボール陳列でとにかくコストを下げまくっているスーパーマーケットです。カップラーメンやお菓子類はもちろん、198円でお弁当が売られていたり、98円でやたら量の多いナポリタンが売られていたりで、なんじゃかんじゃとや
Joseph Heath, “Vaccination is a collective action problem“, (In Due Course, February 5, 2015) 何週間か前、集合行為問題の理屈を理解することは多くの人にとって難しい、という投稿を書いた(ホッブズの難しいアイディア)。集合行為問題とは、人々のやりとりがよくない結果にいたるのだが、だれもそれを止める動機を持たない、という状況のことだ。 NHL選手(の間でのおたふく風邪の流行) [1] 2014年にナショナルホッケーリーグ − NHL – 選手の間で起きたおたふく風邪の流行 や トロントでの麻しんの流行で予防接種がニュースになっているので、私はこのところ毎日この問題を考えてしまう。ワクチン接種に関する議論にずっと私はイライラしているのだ。なぜかというと、みんな自分の子供にワクチン接種を受けさせない親は不合
GWで病院がやってないので薬が切れたけど取りに行けない。薬を飲むことが意識をぼやけさせることだとすると飲んでない状態は透明とでもいうか澄んでいるみたい。何となく過去に書いた日記(ブログ)を読んでいたら恥ずかしくなった。 どちらがいいとかではなくて2つの顔があって、どちらの顔も自分だし、どちらかがダメなわけではない。だけど薬がある時とない時の差に戸惑う。 悲しくなって泣いてしまったり大丈夫かというくらい寝続けたり、これは薬が切れてる時に表れたことだけど。 孤独なのか孤立なのか分からないけどヤマトの配達の人としか会話(?)してない。人と話してないや。 でもみんな何でもない顔して平気な顔して過ごしてるな。私には元号が変わったって何も変わらないし、めでたくもないけどな。 もう喋るのが怖い。愚痴だろうが何だろうが否定されたり無視されるのも怖い。そうやって口が無くなっていくのだね。 精神薬を飲むことを
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