16世紀初頭におけるロシアの政治理論。モスクワを人類史上最後のキリスト教世界帝国の首都とするもので,プスコフの僧フィロフェイがワシーリー3世らモスクワ大公にあてた書簡のなかで表明された。彼によれば,ローマ帝国とビザンティン帝国(〈二つのローマ〉)は〈真の信仰〉から逸脱したために滅亡したが,モスクワはその後継国家として,世界を終末のときに至るまで支配する,という。この思想は,聖職者としての立場から表明されたものであり,これをただちにモスクワ国家当局の世界支配への野望ととることはできない。だが,それが当時モンゴルの支配(〈タタールのくびき〉)を脱して,ヨーロッパの国際政治の舞台において重要な役割を果たし始めていたモスクワ・ロシア国家の発展をまって,はじめて可能となったものであることも確かである。この思想は,当時のモスクワ・ロシア社会に高まりつつあったロシア民族主義的風潮(たとえば〈聖なるロシア