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ブックマーク / suichukoukogaku.com (3)

  • 中世地中海の船、世界初のデザイン船、サーチェ・リマーニ沈没船(西暦1025年頃)

    前章までは、古代船の造船技術である「シェル・ベース・コンストラクション (Shell-based construction) 」によって造られた船を見てきました。船の外板を最初に組み立てるこの造船方法が産まれたのは、これらの船の祖先が丸木舟 (Dugout canoe) や筏であったからだと考えられています。丸木舟や筏では、積み荷や漕ぎ手の数を増やしたいときに、丸木舟の側面に板を足して船体を大きくしていきました。そして足した横板と丸木舟体のつなぎ目を補強するためにフレームが添えられ始めました。このようにして人類の造船史が始まったために、私たちの祖先は外板を先に組み立てるシェル・ベース・コンストラクションに対して疑いを持たなかったのです。 やがて文明が起こり、より複雑な船が造られていきました。その経験の中で、効率の低いモーティス・アンド・テノン接合が簡略化(洗練)されていき、それに伴いフレ

    中世地中海の船、世界初のデザイン船、サーチェ・リマーニ沈没船(西暦1025年頃)
  • 中世地中海の船、東ローマ帝国イェニカピ港の沈没船遺跡群(西暦900年~西暦950年頃)

    ここでは2005年にトルコのイスタンブールで地下鉄の工事中に発見された「イェニカピの沈没船遺跡群」を主体に、中世中期における東ローマ帝国の造船技術の変化を見ていきましょう。 中世中期の東ローマ帝国(ビザンティン帝国) 9世紀(西暦800年~900年)の東ローマ帝国(ビザンティン帝国)船の描写。ギリシャ正教会の僧侶がラティーンセイルを備えた船に乗っています。(Bass, 1974) (Image from: The Sermons of St Gregory of Nazianzus c.880. MS grec 510, f.367v. Bibliotheque Nationale, Paris) 前章で、中世初期に西ローマ帝国が滅亡した後に文化的停滞がヨーロッパ全土で発生し(俗にいう暗黒時代の到来)、著述や芸術作品から当時の船の様子を推察することが難しくなったと述べました。 このことは中

    中世地中海の船、東ローマ帝国イェニカピ港の沈没船遺跡群(西暦900年~西暦950年頃)
  • 中世地中海の船、東ローマ帝国とヤシ・アダ七世紀沈没船(西暦625年頃)

    ここからは中世の地中海世界における船の考古学を見ていきましょう。 西洋史における中世とは西ローマ帝国が滅亡した西暦476年から1463年の東ローマ帝国の滅亡までの約1000年間を示します。(または15世紀後半の、イタリアで興ったルネサンスがヨーロッパに全域広がった時期が中世の終わりとする説もあります。) 東ローマ帝国(ビザンティン帝国)と「暗黒時代」 中地中海におけるローマ帝国の勢力圏。緑が東ローマの首都ビザンティウム。赤が西ローマのローマ。(Bass, 1974) 西暦330年にローマ帝国の首都が現在のトルコのビザンティウム(コンスタンティノープル)に移されると、それまでのローマを中心にした地中海西側を「西ローマ帝国」、トルコのビザンティウムを中心にした地中海西側を「東ローマ帝国」または「ビザンティン帝国」を呼ぶようになりました。 西ローマ帝国はゲンマン民族の侵略により西暦476年に消滅

    中世地中海の船、東ローマ帝国とヤシ・アダ七世紀沈没船(西暦625年頃)
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