BigBang: 週刊アスキーと歌田明弘氏への質問書 BigBang: 週刊アスキーと歌田明弘氏への質問書(2)----歌田氏の回答 BigBang: 週刊アスキーと歌田明弘氏への質問書(3)----歌田氏の回答でわかったこと BigBang の人には特に肩入れするつもりはないが、(2)にある歌田明弘のしょうもない回答を読み、同じく yomoyomo という一目で実名でないと分かるハンドルを使っている人間として、同情を禁じえなかった。歌田明弘の回答がいかにしょうもないかは、(3)で BigBang の人が解説している通りである。 オウム関係の話はここでは取り上げない。それよりも当方が問題にしたいのは、(3)にあるように同じ筆名なのに信用する/しないの落差が当たり前のように生じることだ。 実名/匿名の二元論の問題、筆名(ハンドル、ペンネーム)の意義といった話はこれまでいろんなところで散々なさ
オウム事件とその余波についてはこれまでも書いてきたし、あらためて書くこともないような気がしていたが、このところまた多少気になることがあり、その無意識のひっかかりにぼんやりと思いに沈んでいた。うまく書けることではないし、黙っているほうが賢いのだろうが、この問題のとてもタッチーな部分で書くことを促すものがある。いや、促されるものがあるというべきだろう。あるブロガーの力でもあるが。 ひっかかりは、こういう言い方も誤解を招くだろうが、とりあえず島田裕巳問題としよう。もう古い話になるのかと思うが、宗教学者島田裕巳が当時上九一色村のオウム施設を見てその陰謀を看破できず結果としてオウムは安全だとお墨付きを与えたかのようなできごとがあった。このため彼は社会的なバッシングを受けることになった。私はこのバッシングに与するものではない。また、率直に言って島田裕巳を宗教学者としてはそれほど評価はしていない。が、こ
4月14日金曜日午後、都内某所で、元オウム信者であったとカミングアウトされた、ブログ「絵文禄ことのは」の松永英明さんへ4時間に及ぶインタビューを行いました。インタビュアーは、私と、佐々木俊尚さん、R30さん、の3人です。 佐々木俊尚さんとR30さんに同行をお願いした理由は、私がある意味当事者となっている内容ですので、一人でインタビューしたのでは公平さに欠けることと、オウム真理教・アーレフを取材するには私に力量が足りないと判断したからです。 現場の雰囲気をできるだけそのままで伝えるため時系列を変えずに掲載しておりますので、内容が飛んだり、前後したりしておりますが、ご了承ください。 松永さんのインタビュー中に度々感じたのは、「ギャップ」でした。 私の中のイメージのオウム信者と目の前にいる元信者のギャップ。 宗教観を持っている人と持っていない人のギャップ。 オウム真理教またはアーレフという教団を
仏教の何たるかはわからない。宗教もおそらく把握していなかった。しかし結果的には、考えられるあらゆる宗派に一度は顔を出した。そうした巡航に疲れ、そ うした巡りに疲れ、そういう中にあってチャンネルを回したとき。画面の中央になにやら大きな白い椅子に座って、この人物がいた。多くの宗教者が、浅薄な台 詞でテレビアピールに余念がない中、この男の言葉は迷いがなかった。白いクルタ(というのだと後から知った)に包まれた不機嫌そうな顔を見つめた。何か見 てはいけないものを見たような気がした。聞けば「朝まで生テレビ」の放映直後に入信した信者が多かったと、ずいぶんたってから知った。それもうなずけた。 あの時自分が感じた「この人物は本物だ」と思ったあの感覚。今思い出すと身震いのするような不思議な感覚を事件後、僕は忘れようと努めた。その「本物」感とは今思えばいったいどんな「まがいもの」だったのだろう。 そして。 拭う
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