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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (21)

  • 極東ブログ: 仏教の考え方の難しいところ

    「仏教と大量殺人」というタイトルにしようかと思ったが、不用意に刺激的なのでいい加減なタイトルに変えた。たぶん普通の日人は仏教は不殺生の宗教なので、大量殺人を教義的に許容することなどありえないと考えるのではないか。実際夏安居などはジャイナ教かと思えるほどだ。あるいは多少日史を知っている人なら僧兵や願寺戦なども連想するかもしれないが、それでも仏教の教理において殺生を是とする考えがあるとは思わないだろう。しかし、子細に仏教を検討していくとそうとばかりもいえない。 歴史的に興味深いのは北魏における大乗の乱だろう。なぜかウィキペディアに項目がある(参照)。 大乗の乱(だいじょうのらん)とは、中国北魏の宗教反乱であるが、人を殺せば殺す程、教団内での位が上がるという教説に従った殺人集団であり、その背景には弥勒下生信仰があるとされる。 515年(延昌4年)6月、沙門の法慶が冀州(山東省)で反乱を起こ

  • [書評]海辺の生と死(島尾ミホ): 極東ブログ

    島尾ミホさんが亡くなった。八十七歳。とぅしびーは祝ったであろうし、満年齢なら、とーかちも祝ったか、と思い、いや彼女はカトリック教徒だったなと思いおこして自分を少し苦笑した。 書棚を見ると彼女の「海辺の生と死」(参照)がそこにある。この書物はこの十年以上の年月、私の存在をいつもじっと見つめている。干刈あがたのと一緒に、私が沖縄に出奔する前からいつも身近にあり、今もある。 「海辺の生と死」と島尾ミホさんについて、私の胸にこみ上げるような思いがいろいろとある。だが言葉にならない。死は悼むべきだが、彼女は天寿に近い。その死を強く悲しむものではないが、なにか泣きたいような思いだけはこみあげてくる。 を手に取りなんども読んだページをめくりながら、その感情のコアがどこにあるのかと問い直すまでもなく、それが何であるはわかる。だが、それをどう書いたらいいのだろうかとなるとまるでわからない。そこに記されて

  • タミフルについて世界保健機関の現状の見解: 極東ブログ

    私は医学・薬学の専門的な立場ではないので自分の意見は控えるが、いくつか最新の欧米の報道をメモしておきたい。基的には、タミフルについて世界保健機関の現状の見解が重要となるが、その前に、少し古いが少年期の子供とインフルエンザ後の精神障害についての研究を簡単に紹介しておきたい。”Post-influenzal psychiatric disorder in adolescents.”(参照)より。 Acta Psychiatr Scand. 1988 Aug;78(2):176-81. Post-influenzal psychiatric disorder in adolescents. 青少年におけるインフルエンザ後の精神障害 Meijer A, Zakay-Rones Z, Morag A. Department of Psychiatry, Hadassah University Ho

  • 政党ビラ配布の無罪判決、雑感: 極東ブログ

    夢のハチミツご飯ほどには私には関心のない話題でもあるのだが、政党ビラ配布の無罪判決ついて、これって「地裁判決」かぁと思いなおす。とするとこの先の展開があるのだろう。現時点で簡単に少し触れておいてもいいかもしれない。 この問題だが、ビラ配りが理由で逮捕し二十三日間も拘束というのは警察の行き過ぎだろうというのに異論はない。総じてこの問題について私はそれほどどうあれという意見はなく、今回の司法判断についても大筋で違和感はない。 だが、この事件の報道をよく見ていないせいもあるだろうが、話のポイントを表現の自由が守られたとのみするのは、ビラ配りと、それと率直に言ってだが、新聞勧誘に困惑する実際の庶民感覚とはずれているように思えた。そのあたりの庶民的な実感から書いてみたい。 この問題で当初私が気になったのは「オートロック」の扱いである。今回のケースでは、朝日新聞社説”ビラ配り無罪 うなずける判決だ”(

  • 無門関第十四則南泉斬猫を愚考す: 極東ブログ

    洒落たことを書く意図はないが、時折「無門関」(参照)第十四則南泉斬を思う。 南泉和尚、東西の両堂が児を争うに因んで、泉、乃ち提起して云く、「大衆、道得ば即ち救わん、道得ずんば即ち斬却せん」。衆対無し。泉、遂に之を斬る。晩に趙州外より帰る。泉、州に挙似す。州乃ち履を脱して頭上に安じて出ず。泉云く「子、若し在らば、即ち児を救い得たらん」 古来難関とする所。私はわかったような気がしたことがあるが、今の気持ちとしてはとんとわからんな、いかれてるな南泉、と思うくらい……とまで言い切らないが、これを「異類中行」と呼ぶのであればむかつく。南泉斬を喝破し「異類中行」に一喝すべき禅師も日いなかったじゃねえか。十年前によ。あのときに、いなかった。末法とはかくのごとし。という感じだがこの問題にはどうしようもなく暗いものがある。 禅の世界ではこの公案にいろいろ言う。だが私はなんか変だな、かわいそうじゃ

    BigBang
    BigBang 2006/08/28
    難解。/”このメモワールは懐弉の禅師の心根の優しさを忍んだものではないかと私は思う。”
  • 遠藤周作「沈黙」の自筆草稿発見に想う: 極東ブログ

    先日遠藤周作の「沈黙」の自筆草稿が発見されたというニュースがあった。それがニュースなんだろうかとも思いつつ。しばし、物思いにふけった。私は、若い頃、遠藤周作のファンだった。 「沈黙」は、キリスト教が禁制となった17世紀の日(長崎)に潜入した司祭ロドリゴが、日人信者の迫害を減らそうとして、自ら棄教の意志を示すために、キリストの顔のある踏み絵をあえて踏むという話だ。キリスト教信仰にもいろいろあるので、イコンでもない、異教徒が描いたキリスト像を踏むことにためらいなどありえない、ということもある。これは日人キリスト教徒の特有な物語かとも思ったが、その後、東欧などでの評価を見るに、この心性は西洋人に理解されないものでもないようだ。 ニュース「遠藤周作氏代表作の『沈黙』、幻の自筆草稿を発見」(参照)では、研究者の藤田尚子は、現行の「沈黙」とキリスト像の違いを強調している。 自筆草稿をゲラ刷りや初

    BigBang
    BigBang 2006/08/05
    氏のエントリーを読むと、際限なく本が読みたくなって困る。
  • 昭和天皇靖国参拝発言、雑感: 極東ブログ

    昭和天皇靖国参拝発言について簡単に思うこと書いておきたい。最初に疑問に思ったのは、この文書の出現の経緯である。私が見た最初の報道は日経”昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・元宮内庁長官が発言メモ ”(参照)であり、それには次のように「日経済新聞が入手した」とある。 昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語っていたことが19日、日経済新聞が入手した富田氏のメモで分かった。 その後、朝日新聞”昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀”(参照)でも見かけ、ネットで読む分にはこちらのほうが記事の量は多い。が、出現の経緯について触れていなかった。富田朝彦氏の親族からどのように報道機関に流れたのかについてジャーナリズムは沈黙しているように思えるのが訝しい。あ

    BigBang
    BigBang 2006/07/24
    A級戦犯がという問題より、昭和天皇の私人としてこの特定の人物に対する忌避の強い思いと読むほうが妥当に私には思われる。
  • 極東ブログ: テポど〜ん

    このエントリを書いている時点ではテポドン二号であるかどうかの確認は取れていない。たぶん、そうらしいということ。そしてそうだとしたら、最初からスカッド、ちゃう、スカなミサイルであったのではないか。燃料入れちゃったから日海に廃棄しちゃえ、と。 他数発はスカッドとノドンらしい。スカッドは中華圏では欠かせない爆竹の類として、ノドンはまじで飛ばすと日の大都市に安らぎの木陰を提供している公園くらいは吹っ飛ばせる。当たるとやだよねという感じ。 要点は米国がどのくらい予知していたか、また北朝鮮にどのくらいの認可を与えていたかということだが、実態が上に書いたようなおちゃらけに近いなら、北朝鮮と米国、うふふ、お二人って仲がよいのね、ということなのだろう。米国がお招きしたウッキーなお客さんも帰ったわけで面々のメンツもちゃんと守ったし。 これで日の世論が多少なりともキィィとかお怒りになると、仲のよろしいお二

  • 戦争犯罪としてのダルフール危機: 極東ブログ

    話は少し古くなるのだがこの間日の報道や人道問題に関心を持つブロガーの動向などをブラウズしても話題になっていないようなので、やはりここで書くしかないのだろうか。 話は、戦争犯罪としてのダルフール危機の問題である。私はダルフール危機の質はジェノサイドではないかと考えている。ジェノサイドは集団虐殺とも訳されるが、genocideの語源から考えても欧米では語感があると思うが、特定の民族への組織的な抹殺である。日人の場合、人道に関心があると思われる人たちですら、massacre(虐殺)との区別が付かない、あるいは区別を曖昧にしたいと意図する人たちが多いようなので困惑する。 ダルフール危機の質がジェノサイドであるとするなら、ポイントは組織的な殺害であることと民族の特定である。前者については、スーダン政府が関わっていることはすでに覆うべくもないことだが、後者については難しい問題があった。ダルフー

  • Don't be evil. 邪悪になるな。: 極東ブログ

    Don't be evil. 邪悪になるな。ということだが、Googleという会社のモットーである。DO NO EVILのマントラとも言われる。英語版ウィキペディアにも項目がある(参照)。「ザ・サーチ グーグルが世界を変えた」(参照)などからよく知られているところだが、さっき届いた日版ニューズウィーク記事”IT業界の優等生はどっちだ(Actions and Intentions)”にも簡単に由来が書かれている。 グーグルで大事にされるのは自由な雰囲気。普通の大企業のようになることを恐れたある社員は、社中のホワイトボードの隅に「邪悪になるな」という言葉を書きつけた。これが社訓となった。 正確ではないかもだが、そんなところ。そのグーグルが邪悪になった。 日語で読める記事としてはITPro”米Google,自身が「evil」であることを認める ”(参照)がある。 予想よりも早い展開だった。

    BigBang
    BigBang 2006/06/14
    中国という覇権とグーグルの理想について
  • 極東ブログ: 高学歴になるほど就職しづらい

    今週のニューズウィーク日語版のカバー「学歴難民クライシス」が面白かったといえば面白かった。高学歴になるほど就職しづらいという話だ。「就職できない一流大卒が急増 ブランド校を企業が警戒する理由」と補足されている。記事のほうの標題は「世界にあふれる高学歴難民(Overeducated & Unemplyed)」。リードはこう。 有名大学や大学院を出ても企業から冷たくあしらわれ事務職や短期雇用に甘んじる「学歴でっかち」が増殖している まあ、そんな話。 いきなり個人的な述懐になるが、自分もいつのまにか大学からはるか遠く離れ、かつてそこで学んだものがビジネス的にはなんの役にもたってないなとはっきりわかるので、こうした話にそれほど違和感はない。 では大学での学問になんの意味がなかったかというと、それはそれなりにそうでもなく、世界の眺め方が変わったなとは思う。いずれにせよ、済んだことは良いように解釈し

    BigBang
    BigBang 2006/06/01
    一方で専門技能や知識の不足により就職できない人も、相変わらずいるわけである。えり好みの面もあり高学歴者の就職問題は難しい。オーバードクター的な部分は昔からある話ではあるが。
  • 多分、胡錦濤の屈辱: 極東ブログ

    中国とバチカンの争いについて少し書いておきたい。まず前提となるのは中国における宗教の扱いだが、ざっくりと言えば信教の自由はない(憲法上はあることになっているが)。というのも宗教活動は中国政府の公認を必要とするからである。日人などの考えからすれば、まず宗教団体がありそれが政府に公認を求めるといった図を描きがちだが、そのあたりの宗教団体側の主体性というものがまず根底から否定されていると見ていいだろう。 中国のカトリックは、国家公認の「天主教愛国会」と「天主教主教団」がある。後者のほうがより中国に批判的ではないと言われているが、その違いについては私はわからない。昨今の話題としては天主教愛国会になる。同会は四月三十日と今月三日、雲南省昆明教区と安徽省蕪湖教区について新司教の任命式典を開催した。多少世界史というか西洋史に関心がある人ならバチカン側からの命令と考えたくなるが、この任命(人選)は天主教

  • オウム事件のころをまた思い出す: 極東ブログ

    オウム事件とその余波についてはこれまでも書いてきたし、あらためて書くこともないような気がしていたが、このところまた多少気になることがあり、その無意識のひっかかりにぼんやりと思いに沈んでいた。うまく書けることではないし、黙っているほうが賢いのだろうが、この問題のとてもタッチーな部分で書くことを促すものがある。いや、促されるものがあるというべきだろう。あるブロガーの力でもあるが。 ひっかかりは、こういう言い方も誤解を招くだろうが、とりあえず島田裕巳問題としよう。もう古い話になるのかと思うが、宗教学者島田裕巳が当時上九一色村のオウム施設を見てその陰謀を看破できず結果としてオウムは安全だとお墨付きを与えたかのようなできごとがあった。このため彼は社会的なバッシングを受けることになった。私はこのバッシングに与するものではない。また、率直に言って島田裕巳を宗教学者としてはそれほど評価はしていない。が、こ

    BigBang
    BigBang 2006/05/20
    共感→「ブログというものに未来があるなら、たぶん、へたれジャーナリズムをよりプロに特化した場であるというより、私的な心が傷のような部分を見せることである連帯の感性を喚起することではないか」 
  • [書評]中原中也との愛 ゆきてかへらぬ(長谷川泰子・村上護): 極東ブログ

    昭和文壇の三角関係恋愛劇、中原中也、長谷川泰子、小林秀雄。そのピヴォット、長谷川泰子自身の語りによる一冊。私は小林秀雄の愛読者で、この劇にも強い関心をもっていたが、このは読み落としていた。一読、村上護の仕事がすばらしい。 今回読んだのは文庫による復刻。初版は一九七四年。オリジナル・タイトルは「ゆきてかへらぬ 中原中也との愛」、とこの文庫版の逆。そのまま愛がかへらぬという洒落に読める。なぜ今頃復刊といぶかしく思ったが、文庫の最終ページに新編中原中也全集の広告、「生誕90年・没後60年を期して30年ぶりに全面改訂の全集!」とあり、その祭の一環なのだろう。 一読して面白かった。なぜ今まで読まなかったのか悔やまれたかというと、そうでもない。五十歳にも近い自分にしてみると、もう彼らの二十代の惨劇は、「ああそういふものか」と見える部分もあるし、今の自分にしてみると三十歳くらいの女はかわゆく見える。

  • 形と実態: 極東ブログ

    ブログでいうところのネタにもならないのかもしれないが、最近ときおり考えることがあるので、書いて「形」にしてみたい。話は、形と実態ということだが、哲学的なことではない。卑近な話に近い。 ブログのある種濃い層ではこのところ話題だった、某有名ブロガーがアレフの信者だった話だが、と「某有名ブロガー」なんて書く必要もないのだが彼自身に焦点を当てたいわけでもないので仮にそうしておく。 この話、アレフの信者だったことを内緒にしてブログ活動をしていたが、アレフの信者であることがバレた、ということなのか、改めて考えるとよくわからない。というのは、アレフの信者であるばそれを明言することがブログ活動の条件になるわけでもないからだ。もっとも、今回の問題は、実際にはそういうことではなく、現実の政治に関係があり、そのあたりでいろいろブロガーが考えなくていけないことがあった。なので、どういうふうに問題を設定するかという

  • 民主党の深い闇: 極東ブログ

    昨日の朝日新聞社説”民主党 迷走の果ての総退陣”(参照)は冒頭「偽メールをめぐる民主党の迷走がようやく決着した。前原代表ら執行部が総退陣し、永田寿康衆院議員は議員を辞める」と切り出したのだが、これで「決着」なのだろうか。朝日新聞は戦前からそうだが事実と意見が混同される傾向がありこれもその一例で、ようするに「決着したい」という意見だけかもしれない。 事態が急展開したのは三月三十一日。翌日だったらその卓越したユーモアセンスに世間が爆笑して次は何?ということになりかねないのを懸念したのかもしれない。とりあえず単純に考えると同日公表された民主党の調査報告を見れば、前原代表ら執行部の総退陣以外はなかっただろう。”民主党 「メール」問題検証チーム報告書 ”(参照PDF)で注目されるべきは一千万円で西澤孝から情報を買い取ろうとした部分だ。少し長いが重要なので引用する。 ①2 月19 日(日)、永田議員は

  • [書評]日本人とユダヤ人(イザヤ・ベンダサン/山本七平) Part 2: 極東ブログ

    実はPart 1(参照)を書いたあと、あまりいいウケでもなかったし、率直に言うと、「イザヤ・ベンダサンの正体は山七平だ」というだけのコメントをいただくのも辟易としたので、この先書くのもやだなと思っていた。 が、この数日、風邪で伏せっていながら、山七平の「人生について」を読み返しながら、ああ、そうか、と思った。長いが引用する。彼が「私の中の日軍」などを執筆するに至った経緯の話の流れだが。 そのあと、南京の『百人斬り競争』ですか、あれを鈴木明さんが解明されましたでしょう。これは非常にいい資料を集めて書いたものなんですが、鈴木さんは軍隊経験がないので、せっかくのいい資料がちょっと使い切れていない感じだったんです。それで鈴木さんにこう助言してくれってたのんだんです、”これはこいうことじゃないか、軍人がこう言った場合は、こういう意味です”と……。彼ら独自の言い方がありますからね。そうしたら、そ

  • [書評]「生きる」という権利 麻原彰晃主任弁護人の手記(安田好弘): 極東ブログ

    二〇〇五年とはどういう年であったか。いろいろな議論はあるだろう。私には、それは一九九五年からの十年が終わった年だという感じがある。では、九五年とはどういう年だったか。阪神大震災があり、オウム真理教による東京サリン事件が起きた年だ。十年の後、それらはまったくの過去になっただろうか。前者については耐震偽装問題が関連する。 後者については難しい。一応〇四年二月二八日に判決を見た。この日に私は「極東ブログ: 麻原裁判に思う」(参照)を書いた。 少し奇妙な理屈になってきたし。この問題は、たぶん、ブログの読者のわずかにしか関心がないだろうからこの程度で切り上げる。率直なところ、私は無意味に自分が誤解されてもやだなという思いもある。 麻原裁判の問題に戻す。真相は解明されなかった。日社会は、真相を欲してはいなかったとすら言える。ここで急に話の位相を変える。「と」がかかって聞こえるかもしれない。が、私はオ

  • [書評]人類の未来を考えるための五〇冊の本(ランド研究所): 極東ブログ

    米国の有名なシンクタンクの一つであり、インターネットの生みの親とも言えるランド研究所が人類の未来を考える上で重要だとする五〇冊ののリストを昨年年末に提示していた。”50 Books for Thinking About the Future Human Condition”(参照)がそれである。各書籍にはなぜそれが重要かという簡単な解説もある。 日人にしてみるとこうした書籍はできるだけ邦訳で読みたいものだ。なので、この機に邦訳があるものの対比リストをざっくりとだが作成してみた。 間違いもあるかもしれない。邦訳がないもので自分のわかる範囲については代替のを挙げておいた。 なお、米国のシンクタンクの重要性については、「第五の権力 アメリカのシンクタンク(文春新書)」(参照)を一読されるといいだろう。 過去 The New Penguin History of the World 図説 世

  • 極東ブログ: 郵政民営化は重要な問題だと思う

    「ウォルフレン教授のやさしい日経済(カレル・ヴァン ウォルフレン)」(参照)の書評もどきを書いたのは昨年の一二月一二日だった(参照)。昨今の状況に合わせて、二〇〇二年五月に出されたこのを読み返していろいろ思った。 エントリを書くに当たって、私のモチーフは、単純である。郵政民営化に意義を認めるというものだ。 ネットなどを見回しても、民主党をはじめ、郵政民営化は問題ではないという意見が予想通り出てきた。だが、私は問題だと思う。 ウォルフレンはその点をこので特に重視しているとはいえないが、再読するに示唆となる点は示していた。 学習院大学の奥村洋彦教授は「日は、家計資金の半分以上が、政府の金融機関たとえば郵貯とか年金関係で吸収されてしまうような異常な資金の循環をやめるべきだ」(「公的金融偏重の資金循環是正なくして金融再生なし」『論争東洋経済』二〇〇一年三月)と述べています。 奥村教授は、こ

    BigBang
    BigBang 2005/09/04