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ブックマーク / elmikamino.hatenablog.jp (13)

  • 横浜郷愁2 - 記憶の彼方へ

    id:CUSCUSさん撮影。「来年は坂ちゃん(id:keitabando)の招待で、ブエノスアイレスの場末の酒場でタンゴ踊りましょうね。」 id:segawabikiさん撮影。「このほら吹き爺はさあ!」(id:simpleA) 「お前もほら吹き坊主だよな」(id:taknakayama) segawabikiさん撮影。「この爺、何言ってんだ?」(若者k) 「あのカッコじゃ、なに言っても、説得力ないゼ」(id:hayakar) id:future-humanさん撮影。「この爺、何言ってんだ?」(若者r)

    横浜郷愁2 - 記憶の彼方へ
  • 横浜綺譚 - 記憶の彼方へ

    中山さん(id:taknakayama)主催の前代未聞の大忘年会の一次会が終わる頃、横浜に着いた。マリンタワーを目印にホテルに向かった。チェックインして部屋に荷物を置いて、すぐにホテルを出た。軽く晩飯を済まそうと思い、中華街経由で二次会会場に指定された横浜スタジアムそばのブリティッシュ・バーに向かうことにした。中華街は人、人、人の波だった。適当な店を探してうろついているうちに完全に方角を見失った。以前中山さんが連れて行ってくれた店は行列待ちだった。他の目星をつけていた数店も行列待ち。諦めかけたとき、とある路地の薄暗い奥で大きな釜が白い湯気をもくもくと上げているのが目にとまった。思わず、その路地に吸い込まれた。肉まん1個300円とある。晩飯は肉まんにしよう。即座にそう決めた。表通りで肉まんを見かけたときには反応しなかったのに、なぜだろう。路地に剥き出しに置かれた釜の下のボイラーの口からはガス

    横浜綺譚 - 記憶の彼方へ
  • カレントとアーカイブの狭間でアンソロジーを夢見る - 記憶の彼方へ

    インターネットがもし夢を見るとしたら、どんな夢をみるだろう、と思うことがある。私がインターネットにどんな夢を描くかというのと微妙に違う。 ネットのあちら側にどんどん蓄積される記録にはカレントとアーカイブがあって、ブログみたいなカレントはさておき、共有材としてのアーカイブで世界標準の勝負をするぞというのが、坂ちゃん(id:keitabando)や金ちゃん(id:simpleA)の一つの立場であるらしい。そのためにブログを日記としてではなく広告としてうまく使う。その割り切り方はよく分かる。もちろん、日記的な要素が全くないわけではない。 私は、と言えば、あちら側のカレントかアーカイブかという問題以前に、ブログのこちら側の「日記性」を重視している。そしてその日記性で賭けられているのは、毎日の身体感覚の表現の可能性とでも言えることで、古い言葉では「実存性」と言ってもいい。古典的主体性と言えるかもしれ

    カレントとアーカイブの狭間でアンソロジーを夢見る - 記憶の彼方へ
  • 情報デザイン論2007 第11回 物語と地図を持つ - 記憶の彼方へ

    さて、今回は「独自の物語と地図を持つ」という観点から、これまでやったことを総復習しながら整理します。自分の現状と展望を世の中の色んな局面との関係において前向きに物語ることができるようになり、自分の関心を他人にも分かりやすい「地図」として描いてみせることができるようになるためのきっかけをつかんでもらうことが、この講義の目的の一つなわけでした。 この講義の今までの関連エントリーを挙げておきますから、一通り目を通しておいてください。 講義概要 2007-09-24 第1回 はじめに 2007-10-01 第2回 世界と物語 2007-10-15 第3回 物語とは何か 2007-10-22 第4回 方法論1:述語的世界観 2007-10-29 第5回 方法論2:編集的世界観(知識と物語) 2007-11-05 第6回 インターネットは未曾有の情報デザインの現場である 2007-11-12 第7回 

    情報デザイン論2007 第11回 物語と地図を持つ - 記憶の彼方へ
    CUSCUS
    CUSCUS 2007/12/11
    今までのまとめ
  • 探すとは生きること:吉川日出行編著『サーチアーキテクチャ』 - 記憶の彼方へ

    サーチアーキテクチャ 「さがす」の情報科学 作者: みずほ情報総研株式会社吉川日出行出版社/メーカー: ソフトバンククリエイティブ発売日: 2007/09/28メディア: 単行購入: 4人 クリック: 57回この商品を含むブログ (16件) を見る『サーチアーキテクチャ』の編著者である吉川日出行氏は「さがす」という行為は「永遠かつ能的な行為」である、と語る。永遠であるとは「終りのない営み」であるということ、能的とは、例えば、生まれたばかりの赤ん坊が母親の乳房をさがすようなそぶりをみせるということを意味する(「あとがき」266頁)。 そしてこのの内容は、これまでみずほ情報総研が様々なコンサルティングやシステム開発の経験を通じて得てきた、モノや情報を「さがす」事についての知見やノウハウの集成であると同時に、昨今の「情報爆発」と呼ばれる情報量の未曾有の加速的増加に対処すべく、そもそも「さ

    探すとは生きること:吉川日出行編著『サーチアーキテクチャ』 - 記憶の彼方へ
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    CUSCUS 2007/11/02
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  • 北辛夷、赤蝦夷松、白木蓮、贋アカシア - 記憶の彼方へ

    札幌、薄曇り。昨日よりも蒸し暑い。 藻岩山。 原生林の一部。こういう林を見て、ぱっと数種類の樹木を見分け、同定できるようなった、わけがない。難しい。 だいたい、一昨日記録したウロのある木でさえ、まだ同定できていない有様だ。(一つの種を同定するということは、他の種との「差異」を認識するということで、まさに植物分類の世界は差異の共時的かつ通時的な体系としての「構造」をなしているからして、あるていどその全体に馴染まなければ、パッと見分けて同定することはできない。要するに、慣れなのだが、慣れの中身は、構造に親しむということだ。) 今朝は気合いを入れ直して、このウロのある木を観察した。他の木の葉がおおいかぶさっている。 これが来の葉で、思いがけず、果実も写っていた。しかし、同定には至らなかった。と、書いてから、待てよ、と思った。記憶にかすかなひっかかりを感じた。春にはこの辺にたしかキタコブシが咲い

    北辛夷、赤蝦夷松、白木蓮、贋アカシア - 記憶の彼方へ
    CUSCUS
    CUSCUS 2007/08/17
    ここのコメントの美崎さんと三上さんのやりとりが重要
  • iTunes Uが始まっていた - 記憶の彼方へ

    シリコンバレーからの手紙130:英語圏の「独走」を許す「パブリックな意識」の差 http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u130.html の中で、梅田氏は英語圏のネット空間の進化の事例として5月31日に開始したアップルのサービスiTunes Uを取り上げている。講義の準備にかまけていて知らなかった。 iTunes Uのホーム。 カリフォルニア大学バークレー校ヒューバート・ドレイファスによる2006年春学期の講義「文学と映画における実存主義」全27回。 懐かしいスタンフォード大ではローティやセールの講義が聴ける。 梅田氏は「全米トップクラスの大学の授業を好きなだけ『iPod』にダウンロードして、いつでもどこでも音楽を聴くように講義を受けることができる」iTunes Uを、もはや後戻りできないフェーズに突入したインターネット上の学習環

    iTunes Uが始まっていた - 記憶の彼方へ
    CUSCUS
    CUSCUS 2007/07/27
    「日本語圏のネット空間を知的に豊穣なものにしていく決意」
  • ネットで生まれる革命的信頼について - 記憶の彼方へ

    私の場合、最早インターネットは、ブロク周りと検索に集約されていることを断った上で、インターネットの思いも寄らぬ恩恵を日々感じていることを記しておきたい。地上世界だけでは一生ありえなかったであろう遠い人や情報との出会いとつながりのことを思うと、身震いする。 ネット上で初めて実現の見込みがうまれた動向として私が一番注目しているのは、人間的ロングテール現象である。『フューチャリスト宣言』のなかでも語られていたように、ここに来て人類史上初めて世界規模で個人が個人として相互にその存在や嗜好や思想を認め合うことのできるインフラ、環境、メディアが整備されつつあるのだ。これを「革命」と呼ばずして、何が革命だろうか。革命は思想だけでは成し遂げられない。それにはやはりインターネットという技術が必要だったのだ。もちろん、インターネットの可能性を引き出す技術も含めて。 そしてその革命は、いろんな波及効果を生む。私

    ネットで生まれる革命的信頼について - 記憶の彼方へ
    CUSCUS
    CUSCUS 2007/07/19
    ネット上では悪意より善意のほうが圧倒的に集積するという事実
  • kotorikotorikoさんの真心 - 記憶の彼方へ

    ウェブ進化の荒波を見事にサーフィンしているkotorikotorikoさん(id:kotorikotoriko)が、知らぬまに、また凄いことを始めていた。Yahooはもちろん、Amazonを手玉に取って、現在のウェブを舞台に、何がどこまでできるかを、徹底的に我が儘に(「全僕的に」)追求し始めていた。でも、そうであるからこそ、逆に、kotorikotorikoさんの試みは、よりよい人生を模索する多くの個人にとって色々なヒントに満ちている。 ウェブ進化と言われる変化の一番大事なポイントは、インターネットがようやく個人にとって「使える道具であり環境」になりりつつある、ということだ。その気にさえなれば、そして根性があれば、一人で色んなことをこなしながら、思いも寄らないことが実現できる。どんな思いも寄らないことか?「ア」のつく仕組みでお小遣いを稼ぐことではない。人生を、もしかしたら、世界を変えること

    kotorikotorikoさんの真心 - 記憶の彼方へ
    CUSCUS
    CUSCUS 2007/05/27
    私はそこまでkotorikotorikoさんを肯定出来なかった
  • 2006-11-24

    受講生のみなさん、前回の私の講義録「新しい天使」、読みましたか。読んでないだろうな。まあ、いいでしょう。実はそのコメント欄で、ねぷたさんによる正確な理解にもとづく講義録を受けて、講義の話題の中心人物でもあり、客員教授でもある美崎薫さんご人から、いつものように、興味深いコメントが寄せられています。 あ、そうそう。ねぷたさん。 いまここ感覚ですが、過去も未来もいまに凝縮というと、 過去→いま・ここ←未来 という感じですが、わたし自身は、いまここが拡張されている、という感覚なので、図にすると、 過去←いま・ここ→未来 という感じなのかも。 わからないことがあるとすれば、それはなにかが欠けていることを示している。欠けていることがわかっていることを「わからない」という。わからないことは、完全な理解への予感だ。わからないことは僥倖なのだ。 それに対するねぷたさんの応答。 美崎さん、いま・ここが拡張さ

    2006-11-24
    CUSCUS
    CUSCUS 2007/05/24
    充実した時間とは     これはおもしろいのでまた読みます。
  • グーグルが本の電子化で狙う「うまみ」の正体は - 記憶の彼方へ

    以前取り上げたことがあるbookscannerさんによる米国を中心とした「の電子化」をめぐる状況分析報告のなかで、ずっと引っかかりつづけていることがある。 2006-08-14の電子化の「あちら側」 2006-08-28やっぱり、「アナロジー(類推)で考えてはいけない」のかも 2006-09-16「誰が読むんだ?」ってものを、Googleだけはコツコツ読んでる の電子化によってGoogleが目指している当の目的は何かということである。bookscannerさんが再三丁寧に論じてきたように、少なくともそれは従来の図書館にかわるようなネット上の図書館という意味での電子図書館ではない。つまり「人が読むためではない」。bookscannerさんはとりあえずGoogleのやろうとしていることを「を読む」作戦と命名した。では一体何のために、膨大な数のをどんどんスキャンしているのか。Go

    グーグルが本の電子化で狙う「うまみ」の正体は - 記憶の彼方へ
  • 私の『ウェブ人間論』 - 記憶の彼方へ

    ウェブ人間論 (新潮新書) 作者: 梅田望夫,平野啓一郎出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2006/12/14メディア: 新書購入: 17人 クリック: 156回この商品を含むブログ (537件) を見る梅田望夫著『ウェブ人間論』がずっと机上にある。数週間前に新潮社を通して梅田さん御人が謹呈してくださった。これは自慢話でも何でもない。すでに、梅田さんのブログではすぐれた書評がいくつも紹介された。『横浜逍遥亭』の中山さんの書評にもうなった。書評として私に書けることはないと思っていた。 しかしながら、書かなければならないことがあるとずっと感じてきた。ようやく分かりかけてきたそのことについて書いておきたいと思う。 数週間前に勤務先の大学のレターケースに新潮社からの書籍小包が入っているのに驚いて、なんだろう?と思いその場ですぐに開封して、それが『ウェブ人間論』だと分かったときに、体に電流が走っ

  • 大人の振る舞い方について - 記憶の彼方へ

    前々エントリー「屑の叡智」に、梅田さんが俊敏にトラックバックしてくださった。 「Web 2.0の踊り場について」 http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070106/p1 これはやや舞台裏話めくが、私は梅田さんの「Wisdom of Crowds(群衆の叡智)」元年を一読して「踊り場」という言葉に異様な印象を受けたのだった。全く違った文脈で「踊り場」という言葉には個人的な思い入れがあったということもあるが、それ以上に、梅田さんらしくない言葉だと感じたのだと思う。そして、そこに何かあるに違いないと感じたのだった。案の定、そこに「群衆の叡智」に関する最も火急の問題意識があった。 そういう状況で、大人は何を語り、どう振る舞えばいいのか。 ある国や会社や地域がイノベーションを生みやすい社会・組織になっているのか、そうでないのかは、たとえば現在のWeb 2.0みたい

    大人の振る舞い方について - 記憶の彼方へ
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