遅かれ早かれ日産は三菱自動車の軽自動車事業を必要としていた。 再びの三菱自動車(以下三菱自)による不正。今回も自浄作用は働かず、軽自動車のOEM供給先の日産自動車からの指摘で表面化した。またしても三菱自の対応は後手に回り、いよいよ日産傘下に入ることが決まった。 2000年以降の2度の不祥事、そして今回の性能偽装と名門三菱ブランドは地に落ちた。三菱自のクルマ、特に軽自動車の販売台数は今後大きく減少するだろう。元々、三菱自が自社向けに生産していた軽自動車は今回問題になった2車種併せても17万台に届いていない。これは十分に開発費を回収できる台数とは言えず、日産向けOEM供給の方が約3倍の数を販売しており、三菱自の軽自動車工場はざっくりいえば、ラインに流れてくるクルマの4台に3台は日産ブランドと言うことだ。 三菱自単独で軽自動車のラインを維持することは不可能であった一方で、日産自動車も自動車の販売
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