昭和の芥川賞は、芸術性の高い大衆小説の舞台へ 女性の昭和芥川賞作家!というと堅苦しい小説を書くイメージがあるかもしれませんが、まったくそんなことはありません。 大衆小説の舞台へと、主戦場を移したこともありますが、軽妙でユーモア溢れる関西人の感覚がとても心地よく、読ませる文章に仕上がるんですよね。哀しいことも笑いとばす、と言いながら、読後は切なくて寂しい気持ちが残る作品もおおかったりして、感情を揺さぶるのが職人的に巧い作家です。 よく知らない、って人のために略歴をwikiから↓↓ 1943年『少女の友』の作文欄で川端康成の選により掲載された「さら」が最初の活字作品。。 1956年『虹』で大阪市民文芸賞受賞し本格的な作家活動に入り、恋愛をテーマにした小説や大阪弁を用いた一種の方言文学の制作に取り組んだ。1964年に『感傷旅行』で第50回芥川賞に選出され、若手女流作家の寵児となる。以降は人気作家