宇都宮市などが整備する次世代型路面電車(LRT)について、同市の佐藤栄一市長は十七日、市議会議員協議会で来年八月に全線開業すると説明した。宇都宮駅西側延伸は、同市駒生一の県教育会館付近までを整備区間とする方針も示した。 LRTは宇都宮駅東口と芳賀町の工業団地の約一四・六キロ区間で整備が進む。市は昨年一月、用地取得の難航などから二〇二二年三月としていた開業予定を来年三月に延期していた。同市の野高谷町交差点の工事に遅れが出て、開業はさらに延期の見通しとなった。
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宇都宮市などが整備する次世代型路面電車(LRT)について、同市の佐藤栄一市長は十七日、市議会議員協議会で来年八月に全線開業すると説明した。宇都宮駅西側延伸は、同市駒生一の県教育会館付近までを整備区間とする方針も示した。 LRTは宇都宮駅東口と芳賀町の工業団地の約一四・六キロ区間で整備が進む。市は昨年一月、用地取得の難航などから二〇二二年三月としていた開業予定を来年三月に延期していた。同市の野高谷町交差点の工事に遅れが出て、開業はさらに延期の見通しとなった。
「小村井飯」と書いて、「オムライス」と読む。下町の洋食店が、東武亀戸線小村井駅にちなんで命名。「小村井飯を観光コンテンツにして盛り上げていきたい」と、地域の名物にしようと提案している。 「『小村井』と『ライス』で小村井飯(おむらいす)。おむらいはん、と読んじゃう人もたまにいますね」。小村井駅から歩いて五分ほど。創業十九年目の「Kitchen(キッチン) KAMEYA(カメヤ) 洋食館」(墨田区立花二)のオーナーシェフ、佐伯好隆さん(48)=写真=はそう説明する。 看板メニューの小村井飯(一〇四〇円)は、ベーコン、マッシュルームなどを具材に使ったケチャップライスに、ふわとろの卵。野菜や牛すじを四日間かけて煮込むビターな味わいのデミグラスソースをたっぷりかける。 もともとは、片仮名の「オムライス」だったが、近所でパン店「かめぱん」を営む兄の信郎さん(52)から「地元に根付くような名前にしたらど
戦後、御料車が接収され、米軍司令官専用列車となった「OCTAGONIAN号」のヘッドマークを解説する奥原さん=いずれも鉄道博物館で 鉄道開業150年を記念し、鉄道の発展とともに変容した日本人の旅の形をさぐる企画展「鉄道の作った日本の旅150年」が、鉄道博物館(さいたま市大宮区)で開かれている。会期は来年1月30日まで。10月24日までの前期では開業以前から終戦直後までを扱い、これまで公に展示されることのなかった第2次大戦終戦当日のダイヤグラムなど貴重な品が見どころだ。(前田朋子) 国内初の鉄道は一八七二(明治五)年十月、新橋−横浜間で開通した。それ以前はかごや馬、徒歩が中心で、庶民が気軽に旅に出られるようになったのは大正−昭和初期、鉄道網が本格的に展開してから。行楽などに利用が広がるが黄金期は短く、一九三七(昭和十二)年の日中戦争勃発により、「鉄道は兵器」と扱われ、旅客列車は大幅に削減。鉄
鉄道の駅改札を出てから便意を催した場合、改札内のトイレを無料で使わせてもらえるのか。JR東日本の駅で「改札内に再び入るなら入場券を買って」と駅員に求められた本紙読者の投稿「JRのトイレ対応に疑問」(7月13日東京新聞発言欄に掲載)に対し、「ひどい対応」「お金を払うのは当然」など賛否合わせて約30件の反響があった。そこで、JR東日本はじめ首都圏の鉄道各社の対応を調べてみた。(青木孝行) 投稿者は東京都青梅市のパート、今井恵子さん(68)。6月中旬、友人と映画を見るためJR昭島駅の改札前で待ち合わせ。最寄りの青梅駅から乗車し昭島駅に着いたが、集合時刻に間に合うか心配で慌てて改札の外に出た。すぐに「あっ! トイレ」と思い、駅員に再入場を願い出たが「改札内に入るなら入場券が必要」と断られ、目的地の映画館までトイレを我慢。以前、西武線の駅では借りられた体験があるので「JRはなぜダメなのか」と聞きたく
親子に夏休みの思い出をつくってもらおうと、本紙の子育て情報サイト「東京すくすく」と都交通局が連携した取材体験会が5日、都営地下鉄の志村車両検修場(東京都板橋区)であった。都内の小学生の親子9組18人が、普段は入れない安全管理の現場を見学した。
太平洋戦争末期、東京都八王子市裏高尾町の湯(い)の花トンネルで起きた米軍戦闘機による列車銃撃から七十七年となる五日、地元住民や列車に居合わせて死亡した乗客の遺族らが、現場近くの慰霊碑に献花した。 戦争の悲劇を記憶に残そうと、地元住民らでつくる「いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会」が主催し、三十九年前から続いている。コロナ禍以降、三年連続で慰霊祭の開催を見送り、午前中のみ献花を受け付けた。 銃撃で二歳年上の姉を亡くした遺族会会長の黒柳美恵子さん(90)は「戦争は絶対にしてはいけない。ウクライナでも戦争が起きているけれど、なぜなくならないのだろう」と声を落とした。遺族を取材してきた慰霊の会の斉藤勉会長は「亡くなった方一人一人のことを考えると気が重くなる。コロナ禍で慰霊に訪れる人は少なくなっているが、これからも続けたい」と話した。
JR東日本が七月末に公表した地方路線の収支データで、厳しい経営状況が明らかになった茨城県の水郡線。常陸大宮以北の赤字額は年間十数億円に達していることが分かり、存続を求める沿線住民や利用者の間に危機感が広がっている。一方、現地を歩くと、新しい交通機関への転換に理解を示す声も聞かれた。(出来田敬司) 「鉄道があるかないかは地元にとって死活問題。JRは、いくら経営が厳しいといっても利益を考えるだけではだめ」。常陸大子駅のそばにある「大金酒店」の店主、大金利重さん(84)はそう言い切る。 一九六〇年代には鉄道を利用する帰省客が駅前にあふれ、店で日本酒を買い求めていった。今は列車に自転車を持ち込める「サイクルトレイン」の乗客が立ち寄り、ビールを購入する。大金さんは「水郡線は大事。大子とは切っても切り離せない」と訴える。
JR東日本高崎支社が運行している蒸気機関車(SL)けん引の観光列車「SLぐんまみなかみ」の出発式が五日、群馬県の高崎駅で開かれた。五両の客車をけん引するのは、戦前に貨物用機関車としてSL最多となる千百十五両が製造され、「デゴイチ」の愛称で親しまれた「D51」の498号機。検査などでしばらく第一線から離れていて、営業運転が昨年七月以来およそ一年ぶりに復活したのを記念した。 出発式にはJR東日本や地元観光関係者らが出席。発車時刻を迎え、長谷川秀治高崎駅長と富岡賢治高崎市長が右手を上げて合図をすると、機関車は汽笛を大きく鳴らし、目的地の水上へ向けて力強く走り始めた。迫力ある姿に、ホームに居合わせた乗客や鉄道ファンがカメラを向けていた。
群馬県沼田市利根町根利の林野庁森林技術総合研修所林業機械化センターで保存している大正から昭和の森林鉄道車両群と、地元に残る根利森林鉄道の遺構が、日本森林学会の林業遺産に認定された。同センターで二十四日に開かれた「根利森林鉄道まつり」で報告があった。車両群や同森林鉄道の調査結果などが披露され、車両の修理などを担った民間ボランティア団体の関係者や鉄道ファンらが認定を祝った。(石井宏昌) 山林からの伐木輸送で林業の近代化を担った森林鉄道。同センターでは、一九二一年に製造された米ボールドウィン社製の蒸気機関車(SL)「ボールドウィン置戸3号機」や昭和初期に導入された小型ガソリン機関車「米ホイットカム社製7号機」などの車両五台を保存している。 近くに遺構がある根利森林鉄道は四〇〜四二年に沼田営林署が敷設。自動車輸送への転換により六三年に廃線になった。橋台跡や隧道(ずいどう)、急傾斜を登るための軌道改
気象庁地磁気観測所。JR常磐線を使う人なら耳にしたことがあるのでは? ちょっと前まで、藤代−取手間を通る時に一瞬、車内灯が消えていたが、その理由として名前が挙がる施設だ。とはいえ、実際に行ったことがある人、何をやっているのか説明できる人は少ないだろう。訪ねてみると、そこは大正浪漫漂う「秘密基地」だった。(加藤裕治) 筑波山が近くに見える石岡市柿岡。車だと少し勇気のいる細い道を進むと、森の中にコテージのような建物が点在している。高原の避暑地か、SF映画に出てくる秘密基地のようにも見える。そこが地磁気観測所だ。東京ドームの約一・五倍の敷地で、三十人弱の職員が働いている。 左右対称の造り、上部がアーチ形の入り口や窓、そして軒飾り−。欧風な印象を受ける本館は、一九二五(大正十四)年に完成した。観測課研究官の長町信吾さんは「東日本大震災の時も窓のレリーフがはがれただけ。昔の建物は丈夫だと感じました」
沼津市は静岡県と進めるJR沼津駅周辺の鉄道高架化事業を核とする駅周辺総合整備事業の成果を伝えるため、市ホームページ(HP)に駅周辺の過去と現在の写真の掲載を始めた。市西部で関連工事が始まった新貨物駅や御殿場線を高架化する駅東側の地区で今秋にも始まる建物の取り壊しなどの進捗(しんちょく)状況も随時、紹介していく予定だ。 総合整備は鉄道高架化を含む六事業で構成。うち沼津駅北口の整備など三つは完了している。HPに掲載の駅周辺の航空写真を見ると、一九九三年には北口に残っていた旧国鉄の機関車の車両基地だった沼津機関区の跡地がそのまま残っている。その後の写真には北口の多目的施設「キラメッセぬまづ」や駅前広場、二〇〇八年に整備された南口の複合施設「イーラde(デ)」なども写っていて、変容ぶりが確認できる。
東京都多摩都市モノレール(立川市)主催の「第十五回多摩モノレール写真コンクール」の受賞作品三十一点が決まった。最優秀賞に「今日も元気いっぱい出発進行!」(田島陽子さん作)が選ばれた。雲が浮かぶ青空の下、カーブを走行するモノレールを大胆な構図で捉えた。 多摩モノレールや沿線風景をテーマに作品を募集した。七百七十点の中から、最優秀賞一点、優秀賞十二点のほか、多摩モノレール賞、八王子市賞、立川市賞、日野市賞、東大和市賞、多摩市賞を各一点、入賞と佳作は各六点を選んだ。 最優秀賞と優秀賞の作品は二〇二三年の同社のカレンダー(十月発売予定)に掲載される。受賞作品三十一点は十月一日〜十一月十七日に高幡不動駅、十一月十九日〜来年一月九日に玉川上水駅にそれぞれ展示する。(服部展和)
JR東日本大宮支社は三十日〜来月三日、引退した「185系」車両の部品を利用した「鉄道工芸品」など十三点をオークション形式で販売する。車両から取り外した部品と、車両整備に携わる職人が新たに制作した車体の一部を組み合わせた逸品で、鉄道ファンのツボを押さえた仕上がりとなっている。(前田朋子) 旧国鉄時代の一九八一年に導入された「185系」は特急「踊り子」号などとして活躍し、今も人気が高い。昨年三月のダイヤ改正で定期列車から引退後は、個人から「一両欲しい」「前面だけ切り取って買えないか」などの引き合いがあったという。
北海道の鉄道に夢中になっていた1980年前後、写真サークルの中に、学生なのに老成した鉄道ファンがいて、すでに廃線になっていた簡易軌道の跡を撮影して回っていた。歌登町営軌道とか、浜中町営軌道とか、道北、道東の人口まばらなところに敷かれ、人と農産物や牛乳などを運んだ。 当然、鉄道で行くことはできない。昔の地図を頼りに車で行く。あとは歩き回って、クマに気を付けながら遺構を探す。なぜそこまでして、という疑問もわいてくるが、人工物が自然の中にのみ込まれていくさまを味わうのが、真のマニアであり、上級者の証しなのかもしれない。 そんな軌道の一つである別海村営軌道(1971年廃線)が、近くよみがえる。北海道東端に近い別海町が19億円をかけて、旧奥行臼(おくゆきうす)駅周辺を史跡公園にする。静態保存されている当時の車両と転車台を動かして使えるようにするというのだ。鉄道開通前の大正時代にできた「駅逓(えきてい
JR新川崎駅(川崎市幸区)で十九日夜、横須賀線上り普通電車(十一両編成)がホームの停止位置を約五十メートルオーバーランするミスが起きた。原因は運転士の居眠り。JR東日本横浜支社管内ではこの一年半の間に、居眠りや大雨、勘違いによる停止ミスが八件相次いでおり、再発防止の徹底が求められている。 十九日夜のオーバーランは、一両目がホームから三十メートル先の線路上で停止し、二両分がホームからはみ出した。運転士は同社東京総合指令室の指示を受け、後退して停止位置まで戻った場合、近くの踏切が正常に作動しなくなる恐れがあるため、そのまま次の武蔵小杉駅へ向かった。 オーバーランは、速度の落ちていない電車とホームの客が接触する危険性も指摘されている。乗客約二百五十人のうち二十人は新川崎駅で降車予定で、同駅ホームで約三十人が乗車待ちをしていた。同社は電車三本が最大五分遅れ、約九百人に影響が出たと見込む。
箱根登山鉄道は18日〜7月3日、箱根町の山岳区間(箱根湯本−強羅間、8.9キロ)の沿線6カ所で、アジサイをライトアップする。両駅の標高差は400メートル以上。標高が高くなるにつれて見頃もずれ、観賞期間は平地より長い。カラフルなアジサイの幻想的な光景を楽しめる。
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