1918年、カナダ モントリオールにて生誕、オタワにて少年時代を過ごす[3]。幼少期より気管支炎を患い、生涯それに悩まされていた。1939年、マギル大学医学部を首席にて卒業。生化学、心身医学研究を経て、精神医学を志す。1949年よりルイジアナ州立大学にて助手、助教、教授を務め、1950年代にはオルダス・ハクスリーらとLSDやメスカリンの研究に携わっていた[4]。1957年、バージニア大学精神科主任教授に着任。1960年には「前世の記憶とされるものによる死後生存の証拠」を発表し、閲読したチェスター・カールソンの資金援助を受ける[2]。 生まれ変わり研究をライフワークとしたその契機となる論拠のなかには、江戸時代の当時8歳の少年・小谷田勝五郎のケースも含まれていた。勝五郎は疱瘡によって6歳で急死した、隣村に住む藤蔵という少年の生まれ変わりであると自称し、一躍騒動となった[5]。その顛末が平田篤胤