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ブックマーク / d.hatena.ne.jp (77)

  • 2007-09-06 - どらみそら。

    Cibo
    Cibo 2007/09/07
  • 2007-09-02 - 空中キャンプ

    歌舞伎町にて。いぜんのTVシリーズを基の枠組みとして、映像やストーリーに手をくわえた新作。クオリティが飛躍的に上がっていておどろきました。アニメにどうしてもなじめなかったわたしですが、エヴァンゲリオンだけは夢中になって見ていました。今回の作品もかっこよかった。いくつかのシークエンスには圧倒されました。 今作について、ストーリー上のあらたな謎だとか、TVシリーズとの違いなどについてはよくわからないし、なにしろずいぶん前の作品で、ディテールはほとんど覚えていない。ただし、「2007年にこの作品をリメイクする必然性はどこにあるのか」についてだけはとても気になっていた。庵野秀明という人は、時代の空気を察知するのがうまいとおもう。そこが、彼いちばんの魅力ではないだろうか。わたしにとっては、エヴァは九〇年代をどこまでもリアルに取り込んだ作品だったし、そこがスリリングだった。だから今、エヴァをもう一度

    Cibo
    Cibo 2007/09/05
  • 意地でも鳥取県を鳥殺県と言いたくなったよ(マトモ亭 後だしジャンケン連敗録)

    Cibo
    Cibo 2007/08/29
  • 深町秋生の序二段日記

    あの名古屋の殺人事件にゾクっときてしまった。加害者がケータイサイトで知り合ったというやつ。あれはペッパーランチ事件と同様に背筋が凍った。 去年あたりから、心が寒くなるような犯罪が目白押しだ。過去と比べても、こんなに心が寒くなるようなことはない。昔だってヤバい犯罪はたくさんあったが、昔と今とでは犯罪の質がなんか違うのである。なにか末期的な感じがする。 去年起きた秋田の連続幼児殺人事件。それにペッパーランチ事件、そして今回のケータイサイト「闇の職業安定所」事件。この3つに強烈な寒さを感じた。その寒さの正体がよくわからなかったのだが、最近になってようやくわかった。 この3つの事件に共通するものとして、加害者らの理解しがたいズサンさというものがある。秋田の鈴香容疑者にしても、ペッパーランチの非道店長にしても、今回の3人の犯罪者にしても、あまりの計画性のなさに愕然とさせられる。名古屋の場合などは、人

    深町秋生の序二段日記
  • http://d.hatena.ne.jp/samurai_kung_fu/20070827

  • 2007-08-11 - 空中キャンプ

    Cibo
    Cibo 2007/08/12
  • 2007-08-07 - 空中キャンプ

    歌舞伎町にて。なんかすごかった。映画としてはかなりインパクトあっておもしろかったけど、いろいろとかんがえてしまう。映画を見た後すこし調べたのですが、アメリカには、出所した性犯罪者がどこに住んでいるかという情報を公開する、メーガン法という法律があり、日でもその導入が検討されたことがあったという(現在、日では、警察が情報の登録・管理をしているが、もちろん公開はされていない)。これ、すごい法律だよな。反射的に「怖い」とおもったけど、人の善性や更生への可能性だけを信じるわけにもいかないのが実情だったりして、そのへんも含めてむずかしい。出所した性犯罪者の監察官である主人公(リチャード・ギア)は、仕事にのめり込みすぎて、ちょっとどうにかなっていた。 主人公は観客からあまり共感されない。作品はそのように意図されている。それはこのメーガン法がそうであるように、主人公の存在意義があやういのである。どうし

    Cibo
    Cibo 2007/08/07
  • snyd

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  • 2007-07-22 - 空中キャンプ

    歌舞伎町にて。ちょーこわかった。技術的にとてもしっかりしているホラー映画だとおもいました。苦手なジャンルではありますが、たのしく見れた。話がすごくすっきり収束しているし、伏線の敷き方とか、ラスト10分における回収までの持っていき方なんかもうまいとおもう。とある家族が越してきた田舎町の一軒家にお化けがでる。うひー。 ホラーで「家」がテーマになるというのは、とてもよくわかるのである。家ってこわいよね。その家はもちろん、かつて誰かが住んでいた家でなくてはならず、そこで過去になんらかの問題が起こり、その問題は解決されておらず、次に住もうとする者は、手つかずのままだった問題を根的に解決する必要にせまられる。このプロットは何度も繰り返して用いられているとおもいますが、とても説得力があって、納得してしまう。精神科医の春日武彦は「家屋と妄想の精神病理」というの中で、家について、「一軒家であれアパートで

    Cibo
    Cibo 2007/07/23
  • 匿名を殺すのは、匿名だ - 煩悩是道場

    webウエブに於ける言説の責任を担保する為に何らかの手法で「実名化」を図るべき、とする小倉弁護士と、それに反対・疑義を提示するウエブロガーさんという雰囲気があるようですね。『今週の議論レーダー - 特集「匿名実名論争2007夏」』らへんに纏めが掲載されています。 個人的には、小倉先生の釣り的発言にウエブロガーさんが釣られてるよなあ、という印象*1。『誹謗中傷の内容が荒唐無稽であることは被害者にとって救いにはならない』とかは『NOVさんルールの行き着く先』ありきの釣りにしか見えない。釣り、という言い方は失礼かもしれないけれど最初にエントリにどんな反応があるか予測を立てて置いてから書いたとしか思えないですね。なので釣られたほうの負け。 個人的には現況に於いて発言者のトレーサビリティが有効ではなく、誹謗中傷に対して具体的なケアを行う事が出来ないのなら、発言者を特定出来する何らかのシステムの導入も

  • 空中キャンプ

    『ブリグズビー・ベア』 ストーリーは更新されなくてはならない 1981年3月30日、ワシントンDC。25歳の青年ジョン・ヒンクリーは、その年に大統領へ就任したばかりのロナルド・レーガン暗殺を試みた。ヒンクリーはかねてからジョディ・フォスターのストーカーであり、大統領の暗殺に成功すれば、彼女に認められると考えていたのだ。いったいどのような理由により、彼が「大統領を暗殺すれば、意中の女優が振り向く」と、何の脈絡もないふたつの事象を関連づけたのかはわからない。しかしヒンクリーはそのような奇矯なストーリーに沿って生きていたのであり、レーガン大統領暗殺未遂事件が私たちに独特の憐憫を呼び起こすのは、犯人がかかるみじめな物語のなかでしか生きられなかったことの空虚さゆえである。 私たちはみなストーリーに沿って生きている。人は何らかの物語のもとでしか生きていけないからこそ、誰もが内部にストーリーを持ち、日々

    空中キャンプ
  • Everything You’ve Ever Dreamed - ごめんね、母さん

    Cibo
    Cibo 2007/07/16
  • ほとんどビョーキ - 空中キャンプ

    わたしは映画がすきなのですが、おそらくほとんどの映画ファンがそれとなく想像するように、わたしも「もし、自分が映画監督だったら、どんな映画を撮るだろう」ということをかんがえるのである。やっぱり一度はやってみたいよねー。かっこいい映画をさらっと撮って、文化系の女の子にちやほやされてさ。そいで最終的に永作博美とかと結婚しちゃうの。ベラドンナ! もうお腹いっぱい! それが(わたしのイメージするところの)監督である。断っておくがカントクではない。この日において、カントクは山晋也だけだし、わたしは山晋也のスタンスはすごくすきだけれども、そんなにカントクにはなりたくないし、できれば今回は監督でいきたい。もう気で監督、映画とか撮っちゃう監督になることができたら、どんな作品を撮ろうかなーと想像するのがわりとすきなのだ。しかし、その想像がふくらむほどに、わたしはなぜか、気持ちがしゅんと沈んでしまうので

    Cibo
    Cibo 2007/07/13
  • ゲームグラフィック予言の書 - GAME NEVER SLEEPS

    初期のコンピュータゲーム歴史は、意味の記号化の歴史でもあった。ゲームごとに多少の差はあれど、「ドア=入れる記号」であり、火は触ると死ぬものであった。 ゲームは、現実世界とは区別された、すべてが明確に記号化された世界であるのが、ユーザーの共通認識であった。なぜなら、そのグラフィックが、我々が認知している現実世界と比べて、あまりにも制限されたものだったからだ。 80年代、90年代とグラフィックは進化するものの、それほどユーザーに混乱をきたすものはなかったように思う。なぜなら、それらの多くは2Dのゲームであり、プレイヤと同軸にあるもの以外は「背景」であり、ゲームプレイと無関係だと自然に飲み込めたからである。 しかし、いつしか、3D空間を自由に移動できることが当たり前になったことで、いわゆる「背景」と、ゲームに関係する対象の境界が曖昧になった。プレイヤが意識しなければならない対象は、XとYの垂直

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  • ゾディアックと形のない魔物 - 深町秋生の序二段日記

    「ゾディアック」は今年一番の傑作だと思った。今日は映画評。 2時間30分を超える長尺。ビターすぎるオチ。ヒーロー不在。おそらく興行としては失敗するであろう。しかし歴史的猟奇事件を通して、アメリカがもっとも狂っていた10年がさまざまな小道具や音楽や何気ない一言で鮮烈に描かれる。 エンターテイメントというよりも、映像の間からにじみ出ててくる人間たちの狂気や情景の文学的な美しさ(牧歌的なダムをバックに、黒頭巾コスプレで肥り気味の犯人がぬっと現れ、カップルを刃物でぶっ殺すシーンが間抜けかつオフビートでなんともいえない)は、多くの人が取り上げたとおり、映画「殺人の追憶」を想わせる。 小説ではエルロイやデイヴィッド・ピースが浮かんだが、ハリウッドの文脈から外れるほど普通なキャラクターの人間達(いわばクドカン作品とは正反対といえるほど特別な個性はない)がゾディアック事件という魔物の胃袋に呑みこまれていく

    ゾディアックと形のない魔物 - 深町秋生の序二段日記
  • Slow Jamz - 匿名禁止以前に、実現させる方法を考えた方がいい