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死に関するCrowserのブックマーク (29)

  • 本と活字をめぐる読み物 クラムボンの正体:「やまなし」読解

    クラムボンとは、何なのでしょう。 と、毎年、全国の小学校の国語の時間で、必ず問われているわけである。(注) そのたびに、 「はーい、仲間の蟹だと思います」 「はーい、タケダさんの意見は、違うと思います、泡だと思います」 「はーい、ナカノさんの意見も、違うと思います、光だと思います」 などと、十年一日のごときワンパターンな討論が繰り返されることになるのだが、いやはや、だから国語の教育はダメだというのだ。 泡とか光とか、エッ、そりゃ、何だよ。文中のどこにも書いてないことを想像たくましくでっち上げることばかりが、国語ではないのだ。妄想力を強化するのもいいが、もっと文に即して、客観的に事実を検証する、そんな力を身に付けるのも、子供にとって大切なことなのではないのか。 たしかに、文中には、 「そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い泡が流れて行きます。」 「つぶつぶ泡が流れて行きます。蟹の子供らもぽつ

  • よい大人のnWo: D.J. FOOD(3)

    Crowser
    Crowser 2011/09/29
    小鳥猊下・最初期の傑作の一つ
  • 私を食べて下さい。それが彼女の最初で最後のわがままだった。 彼女が死ん..

    私をべて下さい。それが彼女の最初で最後のわがままだった。 彼女が死んで3日後。準備は全て済んで後は待つだけとなった。1日目にはホームセンターにノコギリと寸胴鍋を買いに行った。2日目には彼女を風呂場で切断した。愛する彼女を切断するのは気が引けたけど、そのままではべることができないので切断した。そして3日目。バラバラに切断した彼女を寸胴鍋に入れて煮えるのを待っている。火で炙ろうかとも思ったのだけど、彼女は火葬が嫌だと言っていたのでやめた。ぐつぐつぐつぐつ。彼女が入った寸胴鍋をぼーっと見ている。ノコギリで切断したときも思ったことだけど、愛する彼女が肉片になっていくのはやはり悲しかった。それもノコギリで自分が彼女をバラバラに、肉片に、彼女を分解していく感触は堪らなかった。しかし、ぐつぐつと煮える鍋をぼーっと見ていた。涙も胃の内容物も、彼女が死んでから何もべていなかったので胃液しかなかったが、

    私を食べて下さい。それが彼女の最初で最後のわがままだった。 彼女が死ん..
  • よい大人のnWo: 生きながら萌えゲーに葬られ

    「そもそも、愛や夢や希望などというものを虚構の中に持ち込まないで頂きたい。 現実に可能なものは、ただちに戸外で実行すればよろしい。 愛や夢や希望が虚構の上に体現されているのを見るとき、私は君たちの 埃の浮いたコーヒーマグや、四畳半の万年床や、 アルバイト情報誌の隣に転がる酒瓶を否応なく連想させられてしまい、 段ボールの底に横たわる皮膚病の赤犬とつい目が合ってしまったときのような、 やるせない気持ちに陥るからである」 「犯罪性向を抱えた優しい精神薄弱者たちが、人々にとって脅威となることを回避するために作り出されたはずの遊戯は、バネがたわめられた分だけ高く跳躍するように、当初は予想もされていなかった方法で社会へと反動しつつある。健常者たちに犯罪性向だけを植えつける装置として機能し始めているのだ」 手のひらへわずかに暖かさを伝えるティッシュをもてあそびながら、そうつぶやいてみる。立

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    Crowser 2011/09/29
    現代の「山月記」とでも言うべきか。 kiya2014氏のコメント:http://b.hatena.ne.jp/entry/403327
  • 日本のサブカルは今年もますます「痛み」や「悲劇」から遠ざかりました - MIYADAI.com Blog

    ──────────────────────────────────────── 「死にオチ」作品が溢れる日。少しも痛みを感じない。真に痛いのはこちらに突き刺さってくる悲劇のみ。真の悲劇を映画『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』に見出す ──────────────────────────────────────── 【だらしない「死にオチ」を越えよ】 ■過去8年間、年末になるとTBSラジオで宮崎哲弥氏と一緒に年間音楽の総括番組『M2:J-POP批評』を放送し続けている。実は「J-POPは終った」は三年前の物言い。今や常態なので話題にもならない。以降は番組名に反して映画漫画テレビをも取り扱ってきた。 ■番組で私は、年間の音楽映画漫画などのサブカル全体を一言で括ることにしている。昨年は「主語の欠落」。誰が主語であってもいいような入替可能なモチーフの隆盛を言う。今年は「痛みの欠落

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    Crowser 2011/09/29
    # 父親たちの星条旗 硫黄島からの手紙
  • 気が違ってるのはどちらか

    ある日私は気が違った。世界の方が変わったとのだと思いたいが、常識的に考えると、やはり私の気が違ったのだろう。しかし、当にそうなのだろうか。私の気が違ったのではなく、皆の気がすでに違っていたのではないだろうか。私は今でもそのように思っている。 私の家にかわいい女の子がやってきた。名前はみい。照れ屋で少しはにかんだ笑顔がとてもかわいらしかった。彼女は人見知りをしたが、私には特別懐いてくれたので、私と彼女はよく遊んだ。場所はもっぱら近所の草原だった。なぜかうちにはハンバーガーがたくさんあった。父が何やらツテがあるらしく、私も大好きだったので、それをお昼ご飯に持って行き、ピクニック気分で毎日のようにでかけた。そこで私と彼女は二人で寝転がりながら、いろいろなことを話した。最近あったこと、そしてこれから先の将来のことを。私はかわいいお嫁さんになりたいな、と照れながら言った彼女の横顔が今でも忘れらない

    気が違ってるのはどちらか
  • スフィンクスの謎かけには先がある

    「朝は足が四あって、昼になると二の足となり、夜には三足となるものとは何か?」 「答えは人間である。人間は幼年期には這って歩くので四足で歩き、青年期には立ち上がって二足で歩き、老いては杖をついて三足で歩くからである。」 謎かけにはまだまだ先がある。 この生き物は深夜になると4足になり、手足を無くして床を這うようになった後、さらには動くのを止めてしまう。手足は丸まって、そのうち口と肛門とが臍の周囲に集まってくる。 棘皮動物であるウミユリは、岩に固着して一生をおくる生きもの。「花」の中心に口があって、U 字型をした腸管を経由して、同じ面に排泄孔を持っている。 べられなくなった老人には胃瘻が入って、床ずれがひどくなってしまった人には人工肛門や膀胱婁がついて、摂と排泄の穴は、お互い臍の近くに集まってくる。 手足や顔は機能的な意味を失い、臍を中心として丸まって、花弁のように胴体を取り

    スフィンクスの謎かけには先がある
  • 死なないゲームと死ぬゲーム。 - 真性引き篭もり

  • 「プリキュア5最終話」が描いた、「恐怖」という感情と、そこにある笑顔。 - たまごまごごはん

    次期第一話が放送される日に最終回の感想ってのもなんですが。 ぶっちゃけ「最終回が見るのが怖かった」と言うのはここだけの秘密です。思い入れ強すぎると最終回が怖いんです。アニメもマンガも小説も、いつもそうです。 きちんと終わることは素晴らしいことです。終わらないよりしっかり終わる方が難しいことです。しかし単純に受け手としては何かに終わりが来るのは単純に寂しいことです。 この「プリキュア5」のキャラクターたちはみんな、今となっては前向きでがんばりやなのが証明されています。 しかし彼女たちはそんなに強い精神の持ち主だったんだろう? 子供から見てわかりやすい敵としての「コワイナー」って、結局なんだったんだろう? そんなに、絶望や恐怖を弾き飛ばすだけの力を彼女たちは持っていたんでしょうか。 最終回の感想と共に、このプリキュア5が含みを残しつつ描いた「恐怖」「絶望」「希望」という曖昧な言葉について書いて

    「プリキュア5最終話」が描いた、「恐怖」という感情と、そこにある笑顔。 - たまごまごごはん
  • 連載更新のお知らせ――『恋空』における「死亡フラグ」の扱われ方をめぐって - 濱野智史の個人ウェブサイト@hatena

    (すでに1月も中盤に入ってこういうのもなんですが)新年明け一発目のエントリがWiredVisionに掲載されました→『恋空』を読む(1):ケータイ小説の「限定されたリアル」 | WIRED VISION。先日ここで少し予告したように、ケータイ小説の『恋空』について書きましたが、肝心の『恋空』の中身にはまだ触れておらず、「次回に続く」という形になっています。当はさっさと『恋空』の内容分析に入りたかったのですが、自分の悪いくせで、いろいろとノート的に書いてしまいました…。 さて、今回のエントリを書くにあたって、ケータイ小説をめぐるネット上の議論や考察を読んで回ってみたのですが、ひとつ感じたことがありました。それは、こうした議論の多くが、ケータイ小説の「中身」についての議論ではなく、その「外側」について、すなわちケータイ小説の《状況論》や《位置づけ論》に終始しているきらいがあるのではないか、と

    連載更新のお知らせ――『恋空』における「死亡フラグ」の扱われ方をめぐって - 濱野智史の個人ウェブサイト@hatena
    Crowser
    Crowser 2011/09/29
    「すでに彼が死んでしまっている『現在』の視点から、過去の『幸せ』だった時間を、膨大な分量を通じて回想するという『振り返り』の視点」
  • http://www.mieko.jp/blog/2005/06/post_4ba0.html

    Crowser
    Crowser 2011/09/29
    「でもただ、倉橋氏の死の印象を喩えるならば、 ひとつのひっそりとした植物のある体系の消滅というか、精巧な空中庭園の崩壊とか、精緻で無意味なまでに巨大な無人宮殿の設計図の焼失、そんなような、異動。 生きて
  • 『ストーンオーシャン―ジョジョの奇妙な冒険 第6部』を読む - 濱野智史の個人ウェブサイト@hatena

    はじめに ユリイカ2007年11月臨時増刊号 総特集=荒木飛呂彦 鋼鉄の魂は走りつづける 出版社/メーカー: 青土社発売日: 2007/11/26メディア: ムック購入: 5人 クリック: 886回この商品を含むブログ (130件) を見る 大変いまさらな話題なのですが、『ユリイカ』の荒木飛呂彦特集(11月臨時増刊号)を年末に購入して読みました。そうしたらやっぱりジョジョを読み返したくなってしまって、年末年始からマンガ喫茶で読みふけっています(最近出た第4部のノベライズ版も購入したのですが、残念ながらまだ読めていません)。個人的には、ジャンプを読み始めた頃にちょうど始まったということもあり、「第4部」が一番好きなんですが、やはりラストの圧倒的な感じは「第6部」が抜群だと思っています。そこで唐突ではありますが、以前、第6部について個人的に書いてみた文章があるので、少し手を加えて、ここにアップ

    『ストーンオーシャン―ジョジョの奇妙な冒険 第6部』を読む - 濱野智史の個人ウェブサイト@hatena
  • 大切な人を失くした人たち - ドラゴンクエスト

    オリビア ドラクエ3に出てくる女の人(の幽霊)。恋人のエリックが無実の罪で捕まってしまう。さらに、囚人たちを乗せた船が沈んでしまい、エリックは帰らぬ人になってしまったらしい。オリビアは、恋人を失った悲しみにより、岬から身を投げて死んでしまう。死後の彼女は幽霊となって、オリビア岬の近くを通る船を沈めてしまうのだそうな。 自分の恋人が立て続けに不運な目になって死んでしまったわけだから、彼女の悲しみは相当なものだっただろう。病気や事故で死んだならともかく、不運としか言いようのない死に方だったのだから、幽霊になってしまうのも、しょうがないと言えばしょうがないのだけど。 オリビア…。もう ふねが しずんでしまう…。 キミには もう えいえんに あえなくなるんだよ… せめて キミだけは しあわせに いきておくれ…。 残念ながら、オリビアは幸せに生きることはできませんでした。世を呪い、いくつもの船を沈め

    大切な人を失くした人たち - ドラゴンクエスト
  • CUT 1996.10 Book Review さよならレイ・ブラッドベリ――悲しいけれど、ぼくはあなたを卒業していたようです。

    そろそろ夏も終わりかけた週末に、ふと気がつくとぼくはこんなを手にしていた。なぜだかは覚えていない。しばらく前に屋で見かけて、買いなおしたまま会社の机の上に転がしておいたのが、今頃出てきたのだ。 中学生の頃、家の棚にあったこの『たんぽぽのお酒』(晶文社)を読んで、ぼくはそりゃあ幸せだった。レイ・ブラッドベリ。この人の小説は、ある年代以上の SF 読者にとって、甘酸っぱくなつかしいノスタルジーに満ちている。多くの人にとって、ブラッドベリは初めてレトリックの力を教えてくれた作家だ。つまらない、ちょっとした、でも個人的にとても大事なできごとや物やオブセッションを、普遍的な世界に拡張してしまう、あるいはもっと一般的な恐怖に接合してしまう文の力。そして数多いかれの作品のなかでも、この『たんぽぽのお酒』は突出した位置を占めている。 「静かな朝だ。町はまだ闇におおわれて、やすらかにベッドに眠っている

  • 1578. 少年漫画の「死」というリアルについて - Snow Swallow

    今週号の『ムヒョとロージーの魔法律相談事務所』の感想を軸に、現代型少年マンガにおける「死」について、また持論を記述してみました。べ、べつにこんなの、一般論だなんてちっとも思ってない…っ!(///) フラグバッキバキだなペイジさん! 今話の第88条『希望』は、ムヒョロジ大ファンを自認するオレから見ても、大失策としか思えなかった。 「悪魔なのに人間如きにサービスするとは何事だ!*1」とか、「そんな偶然に今井さんと遭遇できるなら、不時着した意味は何だったんだ!*2」とか、「悪魔長と『肉体の契約』を交わしたのに、後から回復できるんかい!*3」とか、「どうしよう、『ハラシャケ』が美味しそうで困ってます…」とか、そんな低次元な話ではなくってね。 心の底からの願望として、ペイジさんには死んで頂きたかった。と主張すれば、過激派と捉えられるかもしれない。そんな些細な誤解なんて承知です。 ペイジさんは今週で死

  • 犬の餓死

    ある芸術家が餓死寸前の犬を展示して「犬の餓死」という芸術を発表した。しかもこれはまだ最初の布石に過ぎず、私が表現しようとする芸術の準備段階だと宣言した。「犬の餓死」だけでも非人道的なのに、それが準備段階に過ぎないと宣言したことで、様々な人から非難が集中した。ネットでは芸術家のブログは炎上し、自宅には反対するグループが押し寄せ、それらをマスコミが取り上げ更に盛り上がり、収拾がつかない程に社会問題化した。 それを受けて芸術家は新たなコメントをした。次の展示に使う犬は保健所で処分される予定の犬を使用することにします。助けたい人がいらしたらどうぞご自由に。次の展示が行われる日、展示される美術館では初めて開館前に行列ができていた。鉢巻をして襷をかけたいかにも抗議団体ですという集団や、興味位で初めて美術館に訪れましたというような一般人、そしてそれらを面白可笑しく撮ろうする撮影人。100人以上の人が集

    犬の餓死
  • ピンポン

    そして花は咲き乱れ、僕は一人 彼女の葬式は極少数の身内のみで静かに終わった。 僕はこの心の底にある黒いものを持て余していた。 TVのニュースで小さく取り上げられていた彼女の死は殺人ではなく 変死という曖昧な表現だった。 警察は、彼女を殺した犯人を見つけることはできなかった。 それどころか、彼女が殺されたと言う事実すらつかめていなかった。 その鈍感さ、いい加減さにどこまでも怒りを感じていた。 彼女は殺されたんだ。 それは事実だ。 私と、彼女だけが知っている事実だ。 一刻も早く犯人を暴き出して罰を与えるべきだ。 犯人を…殺すべきだ。 僕が世界で最も愛した彼女が殺されるのをただ傍観した世界を許さない。 彼女がいなくなったことになんの影響も受けない世界を許さない。 彼女の死に涙を流さない世界を許さない。 TVニュースは新しい話題に夢中で彼女のことなど取り上げない。 世界は彼女を、そして彼女の死を忘

  • 絶望の世界

    絶望の世界  の ログ Π 絶望の世界リンク (Readme閉鎖) もう閉鎖されたサイト「絶望の世界」作者:宮谷シュンジ(pikochu-)のログです。 http://www.story-magic.com/aaaaaa/(←既に閉鎖されています) 過去(2000年)に保存しておいたログ他、 (2004年)ネットでかき集めたファイルを整頓しました。 携帯電話からも観覧できるようになっています。 "絶望の世界"を観覧することにより生じた不利益などの問題に関しては 整頓者は一切の責任を持ちません。 すべて自己の責任で観覧してください。 。 著作権を侵害するつもりは毛頭ありません。 この素晴らしいテキストサイトに巡りあわせてくれたReadMeに感謝。 そしてこの絶望の世界に感謝。 ファイル整頓人:整頓人改 そ@27 僕の日記 <腐蝕編> 第1章 「深淵の蟲」 虫って呼ぶな。・・・・死ねっ。 第2

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    Crowser 2011/09/29
    宮谷シュンジ氏の日記形式小説作品のミラーサイト。
  • クリスマス・グロテスク - 気の滅入る降誕祭のための物語|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ぼくにとってクリスマスは、キリストの誕生ではなく処刑を愉しむ日だった。 今年はまだ、ターゲットが決まらない。表計算ソフトを起動する。遅い。つい頭を掻き毟る。バラバラと剥離した頭皮がキーボードの隙間に吸い込まれていく。そういえば、もう四日も風呂に入っていない。【キリスト候補_2008】というファイルを開く。そこにはただ一行、自分の名前だけが書き込まれている。思えば、高校を卒業してもう十七年になる。あのときはクリスマスを迎えるまでに候補者が軽くひとクラス分は並んだ。中からひとりだけを選ぶのが困難なくらいだった。大学に入り、就職し、退職し、引き籠ってからは、もう、新しい名前が追加されることはなくなった。 十七年は長い。遠方に引っ越した同級生も多い。こんな田舎町にいては将来など高が知れている。使い回しのキリスト候補リストは櫛の歯が欠けるようにポロポロとその数を減らしていった。もちろん、キリスト役と

  • 「生きる目的は何ですか?」というインタビューを受けました

    「どうもーはじめまして」 「はじめまして」 「今日は、生きる目的というインタビューです!あなたの生きる目的はなんですか?」 「目的、ですよね」 「そうそう。何のために生きるとか、生きがいとか、これがあるから生きているとか、漠然としていてもいいです」 「そのテーマなんですけど、それを聞いたときからよく考えてみたんです」 「そんな難しく考えなくていいよ?簡単に、生きていてこれが楽しいとか そんなでもいいから」 「はい」 「では、あなたが生きる目的はなんですか?」 「恐怖です。」 「恐怖?」 「そう、恐怖です。」 「生きる目的が恐怖?」 「はい」 「どういうこと?」 「はい、私の人生を振り返ってみると、私の行動原理が全てにおいて、恐怖を根底においていました。ですから「生きる理由は?」と聞かれたら 「恐いから」としか答えようがありません。恐いから。 恐さからの退き。恐怖からの脱却。恐れからの逃げ。

    「生きる目的は何ですか?」というインタビューを受けました