もっと評価されるべき日本語の実力シリーズの第2回。今回は現代中国語が日本起源の和製漢語なしには成り立たないというお話。やや硬い内容なので興味のある方はどうぞ。 漢字の特徴の一つとして高い造語能力があげられる。ところが歴史を見てみると漢字の造語能力を存分に活用した事例は意外に少ない。伝統的中国語(漢文)においては漢字一文字で一つの概念や事柄を表すのが普通で、二文字以上の熟語は実はそれほど多くない。そのため中国では思想活動の活発だった春秋戦国時代(紀元前770-前221年)と仏教用語を翻訳するときに二文字以上の新語を多く造りだした程度である。漢字の高い造語能力は近代に至るまでかなり低レベルでしか活用されてこなかった。 ベトナムや韓国はもっぱら中国式の漢文を忠実に受け入れてその枠の外に出ることはほとんどなかった。韓国独自の造語もあることはあるのだがその数は少ない。 日本はまったくの例外である。漢
下は、稲葉振一郎「労使関係史から労使関係論へ」からの引用です。 高度成長期の労使関係の一局面に例を採って、この仮説の試運転をしてみよう。興味深いことに、先述の戦後的特質は高度成長化の企業と産業の急速な合理化にとって機能的に作用した。ここでは「能力主義管理」の根底をなすいわゆる「職能給制度」について考えてみよう。戦後期日本の重工業大経営は設備合理化の中で、アメリカ流のテーラー主義的な職務給制度を導入しようとして失敗した。職務給制度は生産設備体系と職務体系と労働者の処遇の体系を一対一対応させようとするものであったが、急速な合理化の下での設備の連続的更新、職務研究に必要なインダストリアル・エンジニアリングの知識と人材の不足などによってその確立は間に合わなかった。替って現れた職能給制度はこの一対一対応の設定の断念の上に成立していたが、そうすると賃金決定の原理が消滅して宙に浮いてしまう。しかしながら
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