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2012年6月8日のブックマーク (2件)

  • 「陳光誠事件」全内幕【後篇】

    中国盲目人権活動家」陳光誠事件の核心とは何なのか――。 それは、7年間に及ぶ山東省地元当局の迫害を受け続け、ついに故郷・東師古村を脱出した陳が、家族の安全を最優先して米国に出国するか、あるいは国内に残り、人権擁護活動を続けるのか、という問題だった。4月26日午後に北京の米国大使館に保護された陳の心情はその狭間で揺れ動き続けた。海外に行けば、自分の影響力が低下することは熟知していたが、最終的な渡米というのは、子と一緒に自由な生活を獲得するという一線を譲らなかった結果だった。 人権問題重視を内外に訴えるため陳一家の安全をどう守るか、を最優先した米政府が水面下で中国政府との間で進めた外交交渉も陳の意向に大きく左右された。 「保護」を決定したクリントン長官 4月26日、陳光誠を保護してほしいと連絡を受けた米大使館は、国務省に報告し、クリントン国務長官はその日のうちに「保護」を決定した。 その後

    「陳光誠事件」全内幕【後篇】
    Cru
    Cru 2012/06/08
    表面的な報道では全くわからんもんだよな
  • パリへ、宇宙へ 町工場を建て直した3代目

    昨年末、パリ・ルーブル美術館からほど近い場所に、神奈川県茅ヶ崎市の町工場がリサーチ拠点を設けた。開設したのは、微細な切削加工を得意とする由紀精密。売上2.5億円(2012年度予測)、従業員は20人足らずと聞けば「そんな町工場がパリに進出するなんて、よっぽど凄い技術を持っているんだろう」と考えてしまうが、数年前まで「何が自社の強みか分かりませんでした」と、常務の大坪正人氏は振り返る。 親の窮地を救うため、家業を継いだ 大坪氏は、由紀精密の3代目。東京大学大学院工学系研究科を修了後、00年に金型製造ベンチャーで名を馳せたインクスに入社。開発責任者も任され仕事が楽しくて仕方がない最中だった06年、急遽実家に戻った。 公衆電話の金属部品など、量産品を手がけてきた由紀精密の売上は、ピークだったバブル期の3分の1となっていた。家業を継ぐつもりはなかったが、「中小企業は借金をすれば個人補償。このままでは

    パリへ、宇宙へ 町工場を建て直した3代目
    Cru
    Cru 2012/06/08
    欧州・米国にあって日本にないのは航空宇宙産業だよな。過剰品質が問題なら、航空宇宙産業の育成につとめるのがいいかも。経産省。