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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/matsuiism (2)

  • 孫文の「民族主義」について - heuristic ways

    先日、図書館で何気に孫文の『三民主義(抄)ほか』(中公クラシックス、2006年)を借りてきたのだが、「三民主義」の最初の「民族主義」を読み始めたら、これが実に刺激的で、思わず「孫文やばい…」と呟いてしまった。 私は孫文のことはあまり知らないのだが、竹内好が若い頃に『三民主義』を読んで感動したとか(「孫文観の問題点」1957年)、最近では横山宏章氏が『中国の異民族支配』で、孫文はもともと「韃虜〔だつりょ〕の駆除、中華の恢復〔かいふく〕」を唱えるナショナリストだったが、辛亥革命後に彼の意に反して「五族共和」を唱えざるをえなくなったと指摘しているのが引っかかっていた。 ただ、孫文の「民族主義」を読むと、孫文の言う「中華の恢復」=「民族主義」が、たんなる漢族中心主義とは限らないのではないかと思えてくる。なぜなら、第一に、この当時*1、すでに「中国の民族主義はすでに失われている」と孫文は見ており、「

    Ctrans
    Ctrans 2010/04/26
    孫文の「民族主義」について - heuristic ways "孫文観の問題点"
  • 李鴻章と勝海舟のことなど - heuristic ways

    以前ブックオフで買ったままになっていた片野次郎『李朝滅亡』(新潮文庫、1997年、原著1994年)を読んでいたら、李鴻章について、こんなことが書かれていて、ちょっと吃驚した。 李鴻章は、ロシアの南下をなによりも怖れた。それを牽制するには、清国と朝鮮、日の三国が連合しなければならない。李鴻章の腹中には、この三国連合の考えが、盤石のごとくすわっていた。だから日と事を起こす考えはなかった。(第二章「李王朝の内紛」〜「外交という名の戦い――天津条約」)  清国と朝鮮、日の三国連合といえば思い出すのは勝海舟のことだが、李鴻章が同じような構想をもっていたとは知らなかった。ただし、年代や情勢の違いは考慮しなければならないだろう。海舟がそういう構想をもって神戸の海軍操練所を開いたのは1864年で、これは翌年には廃止されている。一方、上の引用は、朝鮮での甲申政変〔カプシンチョンビョン、1884年〕後の

    Ctrans
    Ctrans 2009/12/03
    李鴻章と勝海舟のことなど - heuristic ways
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