以前ブックオフで買ったままになっていた片野次郎『李朝滅亡』(新潮文庫、1997年、原著1994年)を読んでいたら、李鴻章について、こんなことが書かれていて、ちょっと吃驚した。 李鴻章は、ロシアの南下をなによりも怖れた。それを牽制するには、清国と朝鮮、日本の三国が連合しなければならない。李鴻章の腹中には、この三国連合の考えが、盤石のごとくすわっていた。だから日本と事を起こす考えはなかった。(第二章「李王朝の内紛」〜「外交という名の戦い――天津条約」) 清国と朝鮮、日本の三国連合といえば思い出すのは勝海舟のことだが、李鴻章が同じような構想をもっていたとは知らなかった。ただし、年代や情勢の違いは考慮しなければならないだろう。海舟がそういう構想をもって神戸の海軍操練所を開いたのは1864年で、これは翌年には廃止されている。一方、上の引用は、朝鮮での甲申政変〔カプシンチョンビョン、1884年〕後の