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ブックマーク / manba.co.jp (7)

  • 料理バトル漫画で先に皿を出した場合の勝率 | マンバ通信

    こんにちは。国府町怒児(こうまちぬんじ)です。 料理バトル漫画で、まことしやかに語られている噂はご存知でしょうか。 そう、「後攻で皿を出した料理人が勝つ」です。 確かに、漫画の構造を考えれば、後攻が有利かもしれません。 最初にすごい料理が出て、後からそれなりの料理が出る展開だと、 尻つぼみなイメージになってしまいますもんね。 ただ、一つ納得のいかないことがあります。 それは、後攻が有利なことをデータとして示した人がいないという点です。 もしかしたら、後攻が勝ったときの印象が強いだけで、先攻もそれなりに勝っているかもしれません。 じゃあ、どうするか。 自分で明らかにするしかないでしょう。 ということで、料理バトル漫画で先攻で皿を出した場合の勝率を調査しました。 以下、レギュレーションです。 ①集計は、1対1の対決に限る ※1 4人の中で誰が一番かといった、先攻後攻が曖昧な形式は含めない ※2

    料理バトル漫画で先に皿を出した場合の勝率 | マンバ通信
  • 片渕須直×細馬宏通トークセッション 「この世界の片隅に」の、そのまた片隅に(打ち上げ編) | マンバ通信

    前・中・後編でわたってお送りしてきた、片渕須直・細馬宏通のトークセッション。実はイベント終了後の打ち上げで、まだ二人の話は続いていたのです。そんなこともあろうかと、しっかり会話を収録しておりました。当日のイベント参加者も聞けていない初公開のトーク、じっくりお楽しみくださいませ。それにしても、居酒屋の会話とは思えぬ濃さ! 女性視点から見た「この世界の片隅に」 (打ち上げの酒場にて) 細馬 萩尾望都の名前が出てきましたけど、僕は監督が少女マンガを読み込んでるほうなのかと思ってました。 片渕 そうでもないと思いますよ。 細馬 僕の場合、少年チャンピオンを見て萩尾望都を知った後に、続きがあるわけですよ。「この絵は妹の部屋で見たことがあるぞ」と。そこから妹にマンガを借りたりして芋づる式に少女マンガに入り浸っちゃうわけです。こうのさんはそんなに少女マンガ独特の文法は使っていないけど、マンガ家の中では相

    片渕須直×細馬宏通トークセッション 「この世界の片隅に」の、そのまた片隅に(打ち上げ編) | マンバ通信
  • 片渕須直×細馬宏通トークセッション 「この世界の片隅に」の、そのまた片隅に(中編) | マンバ通信

    片渕須直と細馬宏通の「この世界の片隅に」をめぐるトークセッション、中編。今回、話題の中心となっているのは、原作の行間を読む作業や、アニメの音楽の付け方について。片渕監督の「音」へのこだわりを聞くと、また劇場に足を運びたくなることうけあいです。 前編はこちら すずさんは学校を卒業してから何をしていた? 細馬 僕がこの映画すごいと思ったのは、ものすごく早いでしょう? 笑いどころで「ワハハ」と笑ってる間にもうスイっと次が始まっちゃう。当に油断ならない。一番油断ならないと思ったのは、波のうさぎのところから、昭和18年くらいまで3つの時代が入ってきてますよね。20秒くらいの間に、「卒業しました」「日米開戦しました」「お兄ちゃん兵隊に行きました」って。 片渕 あれはすずさんの14歳、16歳、18歳なんですよね。 細馬 「ええええ、こんなに短く行くんだ!」と思って。 片渕 一応どこからアメリカ戦争

    片渕須直×細馬宏通トークセッション 「この世界の片隅に」の、そのまた片隅に(中編) | マンバ通信
  • 片渕須直×細馬宏通トークセッション 「この世界の片隅に」の、そのまた片隅に(前編) | マンバ通信

    作品の細部にまでこだわって描写する監督・片渕須直。作品の細部を読み解こうとする研究者・細馬宏通。「この世界の片隅に」をめぐって、この二人のトークセッションが行なわれた。聞き手も受け手も、ものすごく細かいところについて語っていて、思わず「こまけー!」と声が出そうになるのだが、しかし読めば読むほど、原作も映画当に丁寧に作られた作品であることがしっかりと伝わってくるトークになっている。観客は原作と映画はすでに見ているという前提でのトークなので、未見の方はまず作品を味わってから読まれることをおすすめします。 (2017年1月28日、京都・立誠シネマで行なわれたトークセッションを再構成したものです) 「はだしのゲン」を2巻から読んだこうの史代 細馬 あの映画を拝見して、まず「監督はすごくマンガを読み込む人だな」と感じたんですね。それも単なるマンガ好きでパッパパッパ読んでるということじゃなくて、細

    片渕須直×細馬宏通トークセッション 「この世界の片隅に」の、そのまた片隅に(前編) | マンバ通信
  • アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(12)右手が知っていること | マンバ通信

    アニメーションには、原作のマンガにはない小さなエピソードがいくつか散りばめられているが、中でも印象に残るのは、晴美とすずのやりとりだ。 たとえば、19年9月、まだまだ暑い畑で、すずと晴美が何かを収穫しており、晴美は黄色い花を手にしている。次のカットでは、カボチャに墨で顔を描いたものが棚の前に置かれており、そばに添えられた黄色い花が色鮮やかなので、短いカットながら印象に残る。おそらく顔を描いたのはすず、花を持ってきたのは晴美で、この髪に花をかざしたような剽軽なカボチャは、二人の合作なのだろう。 もう一つは20年3月19日、空襲後の短いエピソード。呉港への爆撃で海には魚がたくさん浮いている。「その日、呉では魚がようけ獲れた」。すずと晴美は向かい合って皿に置かれた配給の小魚を絵に描いている。晴美が言う。「ちっさ!」。その短い形容の仕方は、かつてすずが友達に言われていた「短かー」や従姉妹に言われ

    アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(12)右手が知っていること | マンバ通信
  • アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(1)「姉妹は物語る」 | マンバ通信

    2016年11月、ついにアニメーション版『この世界の片隅に』が公開された。アニメーション好きばかりでなく、原作であるマンガのファンからも高い評価を受けている。2回あるいは3回観たという知人もいる。わたしは4回観た。名作であることは間違いない。しかし、名作名作と言っているだけでは飽き足らない。そろそろこの物語について、ネタバレも含めて自由に語りたくなってきた。 わたしはふだん、誰か一人の行為ではなく、行為と行為のやりとり、すなわち相互行為を扱う仕事をしている。だから、アニメーションで交わされる会話をきくときには、特定の誰かの声の魅力に聞き入るよりも、誰かと誰かの相互行為において彼らの声がどんな風にきこえてくるか、それを手がかりにアニメーションの受け手はその場面をどんな風に理解しているかが気にかかる。また、原作とアニメーションのどちらがよいか、ではなく、アニメーションが原作をどう翻案することに

    アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(1)「姉妹は物語る」 | マンバ通信
  • アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(2)「『かく』時間」 | マンバ通信

    マンガ「この世界の片隅に」には、「かく」場面が多い。鉛筆で、絵筆で、羽で。すずはかくことが好きだ。婚礼の日ですら、嫁ぎ先の片隅に居場所を見つけ、行李の前に座り込んで兄に絵入りのはがきを書く。祝いの席で出たべものをひとつひとつ鉛筆で絵に描いてから、「兄上のお膳も据ゑましたよ。せめて目でおあがり下さい。」とことばを添える。しかし翌朝、はがきの表に自分の名前を書き終えたすずの手がふと止まる。すずは新しい家族に尋ねる。「あのお………… ここって呉市…? の何町…? の何番ですか?」 「ぼうっとしている」すずは、嫁ぎ先の住所すら把握していなかったというわけなのだが、ここでわたしがなぜ「すずの手がふと止まる」と書けたかといえば、マンガのコマ運びがこうなっているからだ。 (『この世界の片隅に』上巻 80ページ) すずが表書きを書くコマはわずか3つにすぎない。けれど読者はこの3コマから、鉛筆の動きと停滞

    アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(2)「『かく』時間」 | マンバ通信
    Cujo
    Cujo 2016/11/30
    うわ、持ってない人に原作を買わせる記事だ!(褒
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