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2008年3月10日のブックマーク (5件)

  • 石橋湛山がすごい - 過ぎ去ろうとしない過去

    今更?いや、すごいとは聞かされていたが。 100年前にしてはリベラルですねすごいなあじゃない。むしろネオリベが跋扈する今だからこそ、アクチュアルな問題として全然読めてしまう。 昔の文献を読んで、ああこれ今とそっくりだなあということはよくあるけども、固有名を入れ替えただけでロジックからレトリックまで含めてそっくりそのまま今でもいけるんじゃねと思わせるような文章は少ない。 「古きよき」自由主義者の洗練されたレトリックと、「小国主義」のようなラディカルな視点が融合して、かなりクリティカルな社会批判になっていると思う。 たとえば、「素朴な反国民国家的世界市民主義ってネオリベを利するだけだから批判したいけど、かといってナショナリズムぽくなるのも嫌だし、俺リベラルだからリベラルっぽい批判したいなあ」ってときあるじゃない。 明治45年の時点で、石橋湛山も(ネオリベはともかく)同じようなことを思っていたら

    石橋湛山がすごい - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 松田道雄『定本 育児の百科』

    松田道雄『定 育児の百科』 育休が今月いっぱいでおわります 電車に乗っていたら初々しい高校生カップルが! その初々しさがたまらんなーと思って見ていたのだが、後でつれあいに話すと、 「そんなふうに見てたら、絶対にあやしいと思われたんじゃないの?」。 ふふふ、さにあらず。 なにせ娘をつれていたから! 「そっかー。子連れだと全然あやしさがないよね」 と、つれあいも得心。 「子連れ」が、平日の昼間、いかに「安心・安全」の記号になるか、この一事をもってしてもわかろうというものである。 たとえば毎日散歩で通る小学校があるが、平日の昼間、もさっとした40に近い男がもし一人でその小学校の校庭で授業をうけている小学生をじっと見ていたら、通報の対象となること請け合いである。 しかし! 赤ちゃん連れというだけで、あら不思議。 「お前もこの学校に通うんだよー」と赤ちゃんに語る父親、というホホえましい光景に早変わ

    D_Amon
    D_Amon 2008/03/10
    「女湯に堂々と入っても、たぶん子連れなら自然ではないか」それはない。文章上計算されたボケなのが分かっていても、これは突っ込まざるをえないのが悔しいです。
  • これって『偽証』?曽野綾子法廷証言・・・(3) - ni0615の日記「土俵をまちがえた方々」

    (1)http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/436549/ と (2)http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/441936/ のつづきです。 富山真順証言についての補足と、あまりにもお粗末な否定論を紹介します。 富山真順証言とは、 渡嘉敷島の守備軍(赤松隊長)の兵器軍曹が、 1 米軍が上陸する前に 2 少年たちや役場吏員に非常呼集をかけて2個ずつの手榴弾を配布し 3 いざとなったら1個は米軍に投げつけ、1個は自決用に用いよと厳命した というものです。 このことを、戦争当時村の兵事主任だった富山真順(旧姓新城)氏が証言したもので、1988年6月16日付朝日新聞夕刊で報道されましたが、富山氏はその20年余り前にも、島に取材にきた曽野綾子氏にも話をしたといってます。その証言は、次のようにハッキリしたものです。 「曽野綾子氏が渡嘉敷島を

    これって『偽証』?曽野綾子法廷証言・・・(3) - ni0615の日記「土俵をまちがえた方々」
  • 醜悪な発言 - Arisanのノート

    話題にするのも嫌だけど、あまりに腹立たしいことなので書いておく。 「清徳丸にも重大な過失」大前議員が主張 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080309-00000008-mai-soci 海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故について、自民党の大前繁雄衆院議員(65)=兵庫7区=は8日、神戸市内であった党兵庫県連の会合で「交通事故のようなもの。他の漁船が(イージス艦を)かわしているのに、あの船だけかわしていない。重大な過失があの船にあるが、そのことについて一言も触れられていない」などと述べ、清徳丸にも責任があると主張した。 この大前という議員は、安倍内閣のときの防衛政務官で山崎派の所属。 典型的な防衛族なんだろう。 毎日新聞の朝刊(9日付け社会面)には、さらに次のような発言を大前議員が行ったことも報じられている。 「イージス艦も規

    醜悪な発言 - Arisanのノート
  • 『標準支那語早学』にみる日本軍標準会話 - 虚構の皇国

    中国侵略と共に、当然にも末端の兵隊さんも中国語を学ぶ必要があったようで、ポケット版「支那語会話」のような小冊子が多数出版されていた。昭和13年に浩文社というところから出版された1冊を入手したので、「戦争・軍事用語」の章から、いくつか紹介してみよう。 日軍は世界中で一番強い 日軍是世界上最強(リーチエインシーシーチエシアンツイチアン) 日軍飛行機は漢口を爆撃した 日軍飛機轟炸漢口(リーシユインフエイチーホンチアーハンコウ) 漢口は日軍に占領された 漢口被日軍佔據了(ハンコウペイリーベンチユインチアンチユーラ) 支那は敗けた 中国打破了(チユンタオターパイラ) まっ、このへんはお約束ですね。 次の「(イ)偵察」になるとナマナマしい。 「オイ止まれ」 瞎站住(ハイチアンチユー) 「お前に訊ねる」 我問儞(ウオウエンニー) 「統(ママ)のことを言はないと命を取るぞ」 儞不肯説実話把儞的命要

    『標準支那語早学』にみる日本軍標準会話 - 虚構の皇国