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2008年3月31日のブックマーク (6件)

  • うんざりするほど卑怯者 - Close To The Wall

    見出しは音です。 なぜニセ科学を叩く人は一般にヘンな目で見られないで、歴史修正主義者を叩く人はヘンに見られるのか - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt) はやく、「ニセ科学を叩く人は一般にヘンな目で見られないで、歴史修正主義者を叩く人はヘンに見られる」という事実を具体的な事例に基づいてあげてください。でなければ、あなたはただのデマゴーグです。自分を攻撃する人を、「ヘン」だと見られているということにしたいという欲望にしか見えませんが。 OK、この人には、誠実に議論をしようと言う気が完全にゼロだっていうことがハッキリしたよね。俺は正面から具体的に疑問、批判を提示しているのに、反論をしないで抽象的な一般論にすり替えてメタ議論を展開して優位に立とうって訳だよね。 どんどんメタ議論に持ち込んでいって、自分に向けられた批判や疑問をすべてスルーし、自

    うんざりするほど卑怯者 - Close To The Wall
  • 言論の自由と恥の意識 - 電氣アジール日録

    1980年のモスクワオリンピックが当時の西側諸国にボイコットされた理由は、確か、当時のソ連のアフガニスタン侵攻に対する抗議が理由だったはずである。 28年前と現在では情勢は大きく異なるが、現在、中国共産党政府によるチベット人民弾圧が進行中でもオリンピックのボイコットが起きないとすると、西側諸国の価値判断は―― アフガニスタン>チベット ――ということなのだろうか。 だいたい、アメリカが、結局は核兵器を持たなかったイラクには侵攻して、核実験を行なっている北朝鮮には侵攻しないのは、北朝鮮には石油利権がないから、というのはバレバレである。 誰か「チベットで膨大な埋蔵量の油田が発見された!」とかのデマを巧妙にでっち挙げてアメリカ国防省とモービル石油に吹き込まないものか? 先頃、横浜事件の再審を退ける判決が下された。 もっとも、恐らく現在の圧倒的多数の日人にとっては、まったくどうでもよい他人事であ

    言論の自由と恥の意識 - 電氣アジール日録
  • ゲームから入った軍オタは、ロンドンの戦争博物館で何を視たのか。 - シロクマの屑籠

    かつて、軍事マニアが『提督の決断』や『大戦略』に触れてみるという時代が、過去にはあったのかもしれない。だが、いつの頃からかその構図は逆転し、今や、『エースコンバット』や『バトルフィールド』を遊んだ人が、2ch軍板を訪れる時代となっている。 実在のミリタリーに対する興味が入り口となってコンピュータゲームに触れてみる時代から、コンピュータゲームが入り口となって軍事知識を探し求める時代へと変化した年代はよく分からないが、かなり昔に、変化は始まっていたのだろう。僕もご多分に漏れず、ゲームが入り口となったクチで、第二次世界大戦の入門書は『アドバンスド大戦略』の取り扱い説明書だった。あの、取扱説明書とは名ばかりの兵器カタログを手にすることが無かったら、僕は“グランドパワー”や“航空ファン”を読むことも無かっただろうし、ロンドンの戦争博物館を訪れることも無かった筈だ。 ところで、僕が軍事雑誌や戦争博物館

    ゲームから入った軍オタは、ロンドンの戦争博物館で何を視たのか。 - シロクマの屑籠
    D_Amon
    D_Amon 2008/03/31
    戦争マンガから軍オタになった世代、ミリタリーモデル製作趣味から軍オタになった世代、シミュレーションボードゲームから軍オタになった世代、仮想戦記から軍オタになった世代、コンピューターゲームから軍オタに…
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    晴天の価値 2月中旬に出張で千葉へ行った。5日間の滞在中はずっと快晴で、気温は20℃に迫る春のような暖かさだった。仕事は朝から晩まで現場を走り回る過酷なもので、身体的にも精神的にも追い込まれた。毎朝、京葉線から見える美しい景色を眺めて正気を保っていた。太平洋へ燦々と…

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  • 『なぜニセ科学を叩く人は一般にヘンな目で見られないで、歴史修正主義者を叩く人はヘンに見られるのか - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)』へのコメント

    暮らし なぜニセ科学を叩く人は一般にヘンな目で見られないで、歴史修正主義者を叩く人はヘンに見られるのか - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)

    『なぜニセ科学を叩く人は一般にヘンな目で見られないで、歴史修正主義者を叩く人はヘンに見られるのか - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)』へのコメント
    D_Amon
    D_Amon 2008/03/31
    syd_syd氏のブクマコメを見てちょっとこれは書き直したほうがいいかなあと思いましたので書き直しました。「自己欺瞞→寝言」/現象としての似非科学について言及する場合、内面分析が伴うことは不思議ではないものの。
  • カトラー:katolerのマーケティング言論: ダライ・ラマと毛沢東 〜その光と闇〜

    チベット暴動が起きてから、「ダライ・ラマ自伝」をもう一度読み返してみた。 現在のチベット問題やダライ・ラマという稀有な精神を理解する上で、また、中国共産党政府の質を知る上で大変得るところが多いだ。 特に印象的なのは、ダライ・ラマと毛沢東が交錯する場面である。 中国共産党政府が、力づくでチベットを実質的に併合した4年後の1954年、北京で初めての全国人民代表大会(全人代)が開催され、当時19歳だったダライ・ラマも、全人代への参加を求められ、北京に赴き、毛沢東とも何度か会見する。 若きダライ・ラマは、毛沢東の指導者としての資質やその人間的な魅力から強い印象を受ける。チベットを蹂躙し、後には全面的に軍事力を展開して、ダライ・ラマに亡命を余儀なくさせた宿敵ともいえる存在だが、驚かされるのは、毛沢東に対する人格批判めいたことが、一切書かれていないことだ。 ダライ・ラマは、周恩来に対しては、狡猾な

    カトラー:katolerのマーケティング言論: ダライ・ラマと毛沢東 〜その光と闇〜