水俣病の治療・研究で知られる原田正純氏をとりあげた NHK の ETV特集「“水俣病”と生きる〜医師・原田正純の50年〜」(10年5月16日放映)のなかで、原田氏は次のように語っていた(大意)。“医学は中立でなければ、という批判がある。お前は患者側じゃないか、と。しかし医学はなにのためにあるのか? 同じ力関係の者同士が対立しているのであれば「中立」というのはあり得るかもしれない。しかし圧倒的に力の強い側と圧倒的に弱い側とがあったときに、中立というのは強い側に協力していることになる……”と。水俣病に限らず、また医学に限らず、さまざまな局面に通じることばだろう。
当時延安で発行されていた陝甘寧辺区政府機関紙『新中華報』についてはこれまで、第443期(1938.6.30)の「日本侵略者一年来の暴行」という記事が南京事件に関する最初の言及とみられてきたが、第420期(1938.2.25)に、事件を報じる記事が掲載されているのを発見した。 (以下、適宜改行は引用者。■は判読不能文字。記事は第421期に続く。) 新中華報 420 1938.2.25 屍山血海的南京 敵在南京之空然暴行 據由南京逃出之某人談及敵軍在京暴行及南京現状、與敵軍屠殺焚焼、奸淫掠據、禁絶糧食、偽組織醜状、敵軍政治軍事布置以及市■各情形如下‥上年十二月十三日深夜中火光沖天、殺聲振地、我軍於砲聲降降之下、悲憤撤退、全城即陥入極端恐怖緊張之中。留城市民、幸早已安全移入難民区内、惟未能及時撤退之一部兵士、前進既難、後退亦無路、軍人愛国殺敵心切、於是在十三日晨、城内各處槍聲大作、敵我巷戦遂開始
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