タグ

ブックマーク / higeta.hatenablog.com (23)

  • 「満洲国」建国過程で誰を省長に登用したか - 日本近現代史と戦争を研究する

    Last Emperor of China / tonynetone 満州事変では、日は独立運動を支援するという体で、溥儀を傀儡国家の執政(のち皇帝)として担ぎ出すわけですが、では大臣などその下の役職はどうなっていたのでしょうか。日人が全部担当したわけではありません。それらのポストを担当する者を担ぎ出す必要があったわけです。やり方としては、二通りが考えられます。 地位の低い者を格上げして強引に高い役職につける もともと地位の高い者をそのまま高い役職につける もちろん、2のやり方のほうがいいわけでして、日が実際にめざしたのも2です。 ここでは、省長のポストについて簡単にみてみましょう。「満洲国」の範囲に該当するのは、遼寧省、吉林省、黒龍江省、熱河省です。独立という体裁を整えるのに一番いいのは、それぞれの省長*1に独立を言わせて、そのままそのポストにつかせることです。日はこのやり方を進

    「満洲国」建国過程で誰を省長に登用したか - 日本近現代史と戦争を研究する
    D_Amon
    D_Amon 2013/10/20
  • 1933年ドイツの全権委任法はなぜ成立したか - 日本近現代史と戦争を研究する

    1933年3月23日、ドイツの国会で可決された全権委任法(政府に立法権を委ねた法律)は、ナチス独裁確立の一つの画期となるものであるが、南利明「NATIONALSOZIALISMUSあるいは「法」なき支配体制-2-」*1を参考にすると、法案が成立したポイントとして次の5つを挙げられる。 すでに授権法の前例があり、また31、32年には大統領による緊急命令が議会の立法を上回るなか、政府への広範な授権に対して人々の心理的抵抗は強くはなかったこと 与党であるナチス党(議席数288)・国家人民党(52)以外の議員が議決に参加しなくても法案の成立が可能となる条件が整えられていたこと 共産党議員(81)と一部の社民党議員*2が逮捕されていたこと 中央党(74)は、法案に反対してもすでに2月28日の大統領令*3がある限り、ナチスの暴力支配を止めることは不可能と考えたこと 上院に当たる連邦参議院議員は州政府の

    1933年ドイツの全権委任法はなぜ成立したか - 日本近現代史と戦争を研究する
    D_Amon
    D_Amon 2013/08/11
  • 三江省鶴岡炭鉱苦力強制募集 - 日本近現代史と戦争を研究する

    三江省鶴岡炭鉱ニ於テハ十一月以降二回ニ亘リ苦力募集ノタメ職員ヲ洮南県城ニ派遣シ募集ヲ開始シタルモ目的ヲ達セサリシ為満警ノ協力ヲ得強制募集ノ結果■定人員二百名中百四十名ヲ得■■内十五名ハ同行ヲ拒ミ迯走 (吉林省檔案館, 廣西師範大學出版社編『日関東憲兵隊報告集(第一輯)』6、廣西師範大學出版社、2005年、398頁) 1940年12月分の通化憲兵隊の報告である。苦力(単純労働者)の強制募集について、こんなに簡単に出てくるのかと、報告集のページをめくっていて正直おどろいた。 戦争遂行のため資源増産は日の至上命題であった。植民地への要求も苛烈となる。炭礦労働者が集まらないから、警察と協力して強制募集したのだという。憲兵隊もそこに一枚噛んでいるということか。報告しているということは、そういうことなのだろう。強制募集の具体的な内容はわからないが、労働力になりそうな者を力で無理矢理捕まえて連れてい

    三江省鶴岡炭鉱苦力強制募集 - 日本近現代史と戦争を研究する
    D_Amon
    D_Amon 2011/08/06
    「二回ニ亘リ苦力募集ノタメ職員ヲ洮南県城ニ派遣シ募集ヲ開始シタルモ目的ヲ達セサリシ為満警ノ協力ヲ得強制募集ノ結果■定人員二百名中百四十名ヲ得■内十五名ハ同行ヲ拒ミ迯走」「同行ヲ拒ミ迯走」が色々と物語る
  • 「満人なんか…」 - 日本近現代史と戦争を研究する

    満洲も暮しよいです 満人なんか内地人にはびく\/して居ます そこをつけ込んで私達なんかも満人を屁とも思つて居りません嫌な奴と思つたら頭から怒鳴つてやります とても面白いです 買物などでも無茶苦茶に値切つて買つて来ます 値切れば幾らでも値切れるよ (吉林省檔案館, 廣西師範大學出版社編『日関東憲兵隊報告集(第一輯)』8、廣西師範大學出版社、2005年、456頁) ふつうの一庶民の書いた、差別意識ばりばりの手紙の内容が、名前と住所とともに史料として残ってしまっている。1942年10月15日の手紙である。通信を検閲していた関東憲兵隊隷下の東寧憲兵隊がこの手紙を没収し、記録していた。人は何気なく書いたつもりでも、70年後の今日まで残り、出版された史料集に収録されて、みんなが見れるようになってしまった。 日の敗戦により、地中に埋められたはずの関東憲兵隊の報告書類が発見・掘りおこされ、出版される

    「満人なんか…」 - 日本近現代史と戦争を研究する
    D_Amon
    D_Amon 2011/08/04
  • 屍山血海的南京 敵在南京之空然暴行 - 日本近現代史と戦争を研究する

    当時延安で発行されていた陝甘寧辺区政府機関紙『新中華報』についてはこれまで、第443期(1938.6.30)の「日侵略者一年来の暴行」という記事が南京事件に関する最初の言及とみられてきたが、第420期(1938.2.25)に、事件を報じる記事が掲載されているのを発見した。 (以下、適宜改行は引用者。■は判読不能文字。記事は第421期に続く。) 新中華報 420 1938.2.25 屍山血海的南京 敵在南京之空然暴行 據由南京逃出之某人談及敵軍在京暴行及南京現状、與敵軍屠殺焚焼、奸淫掠據、禁絶糧、偽組織醜状、敵軍政治軍事布置以及市■各情形如下‥上年十二月十三日深夜中火光沖天、殺聲振地、我軍於砲聲降降之下、悲憤撤退、全城即陥入極端恐怖緊張之中。留城市民、幸早已安全移入難民区内、惟未能及時撤退之一部兵士、前進既難、後退亦無路、軍人愛国殺敵心切、於是在十三日晨、城内各處槍聲大作、敵我巷戦遂開始

    屍山血海的南京 敵在南京之空然暴行 - 日本近現代史と戦争を研究する
  • おぼえておきたい史料読解のコツ 3 - 日本近現代史と戦争を研究する

    今回の史料 川村参軍より達相成此旨相達 営より 明10.9.5 ref:C09082101000 ポイント1 別紙 文に続いて、別紙を添付するというのは、よくあるパターンです。 「別」の字が特徴的なので識別しやすいと思います。 ポイント2 合字 今回出てくるのは 「より」と読みます。 ほかにおぼえておきたいものとして、「こと」「トモ」「トキ」などがあります。 合字については、↓を参照してください。 http://gtrk.hp.infoseek.co.jp/yakumono.html ポイント3 相聞 これまでも出てきたように、「相〜」というかたちです。 「聞」の字が特徴的なので識別しやすいと思います。 ポイント4 事 これも特徴的ですね。 末尾につくのでわかりやすいと思います。 読んでみましょう 判読文の表示は↓をドラッグ、文字色を反転させてください。 別紙之通リ川村参軍ヨリ達相成候

  • 「日中戦争」という呼称 - 日本近現代史と戦争を研究する

    多くの研究者は、当時呼ばれていた「支那事変」ではなく、「日中戦争」と呼称する*1。「支那」に替わり「中国」という呼び名が一般的になったことが一つの原因であるが、では「事変」ではなく「戦争」と呼ぶのはなぜだろうか。 1960年代の代表的な研究である、日国際政治学会・太平洋戦争原因研究部編『太平洋戦争への道』(朝日新聞社、1962-63、全8巻)は、第3・4巻を「日中戦争」上・下としているが、第4巻、23頁に次のようにある*2。 「事変」という名の全面戦争 戦争が華北から上海へ波及するにおよんでは、もはや「事変」を短期の局地紛争として収拾する可能性は失われていた。それにもかかわらず、満州事変以来なしくずし的な武力行動の積重ねの間に鈍磨した感覚は、伝統的な中国への軽侮感情とも結びついて、政府・軍部が事態の質をみぬいたうえで、適切な政策指導を打ちだすのを妨げたのであった。 数十万の大軍を送った

    「日中戦争」という呼称 - 日本近現代史と戦争を研究する
  • 国家社会主義メモ - 日本近現代史と戦争を研究する

    http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090608/p1#cに関連して、補足&メモ。 ■木下好太郎『ヒットラーと獨逸ファシズム運動』内外社、1932 現代ドイツに於ける急激なる国家社会主義の擡頭に就いては、資主義世界の示顕する現代の未曾有の不況と、その一環をなすドイツ主義国家の特殊性、換言すれば、ドイツ政治的、経済的、社会的諸態様に依つて導かれるものであると説明する事も可能であらう。然しながら、此の一面、吾々は今日のドイツ、ファスシズムの興隆の最も重要なる原因の一つとして、党を実質的に指導する彼、ヒツトラーの役割を忘るる事は出来ない。 (16頁、原文ママ) ここでは、「国家社会主義の擡頭」と「ファスシズムの興隆」が同義で用いられている。 著者は、弁護士。 同一人物だろうか、1936年、松永材や赤松克麿らで結成され、自由主義政治形態・政党政治排撃、日的議会制

    国家社会主義メモ - 日本近現代史と戦争を研究する
  • 南京事件否定論者が歴史学者による入門書・研究を読まなくていいと考える論理を忖度する - 日本近現代史と戦争を研究する

    Apemanさんのところの最近の経緯、南京事件を否定してしまうのは入門知識すら身につけてない証 - 模型とキャラ弁の日記や過去に見聞した議論に基づくが、多分に推測を加味し、整合したものも含まれる。否定論者のなかでは、明確に意識されておらず、複数の論理が未分化になっているものも多いと思われるが、細かく区分してみた。 1.歴史学不能論 歴史学では結論が出ていないので、読まなくていい。 2.サヨク論 歴史学者はサヨクなので、読まなくていい。 3.インチキ論 歴史学者による通説は、インチキだとどこかで聞いたことがあるから、読まなくていい。 4.偏向論 入門書や研究書は偏向しているから、読まなくていい。 5.不良歴史学者論 まともな歴史学者は、南京事件なんて研究しないので、読まなくていい。 6.愛国論 愛国のためには、読まなくていい。 7.予防論 読むと説得されてしまいそうなので、読まない。 8.ガ

    南京事件否定論者が歴史学者による入門書・研究を読まなくていいと考える論理を忖度する - 日本近現代史と戦争を研究する
  • 「日台戦争」と呼ぶのは誤りか - 日本近現代史と戦争を研究する

    檜山幸夫氏は日清戦争および植民地期台湾を専門としているが、 その著書『日清戦争 秘蔵写真が明かす真実』(講談社、1997)では、 第六章「台湾統治と台湾戦線」の第三節を「日台戦争」と題している。 同節251頁では、次のように述べる。 清軍兵士と異なり、彼ら(引用者注―台湾の抗日軍)が頑強に抵抗した背景には、台湾に福建省や広東省から移住し、そこに住んでいた原住民を討伐し、苦労して荒れ地を開墾して獲得した土地を守るという意識があったからにほかならない。その意味では、台湾での戦闘は、正しく日台湾との戦争(日台戦争)であり、最初の植民地戦争であったということになろう。 檜山氏は、日台戦争の終末を、 第二師団が凱旋した明29.5月末とみているようである。 自分たちが苦労して獲得した土地、郷土を守ろうとする者が 頑強に抵抗するのは、道理であろう。 現地に入った樺山台湾総督は、明28.6.10、伊藤

    「日台戦争」と呼ぶのは誤りか - 日本近現代史と戦争を研究する
  • 白リンの野外被曝濃度 - 日本近現代史と戦争を研究する

    探していた、白リンの野外被曝濃度に言及したBerkowitzほかの研究を、 http://www.ntis.gov/ で入手した。 タイトルは、 OCCUPATIONAL AND ENVIRONMENTAL HAZARDS ASSOCIATED WITH THE FORMULATION AND USE OF WHITE PHOSPHORUS-FELT AND RED PHOSPHORUS-BUTYL RUBBER SCREENING SMOKES 1981年3月刊。 著者は、 Joan B. Berkowitz G. Stuart Young Rosalind C. Anderson Anthony J. Colella Warren J. Lyman Alan L. Preston William D. Steber Richard G. Thomas Robert G. Vranka

    白リンの野外被曝濃度 - 日本近現代史と戦争を研究する
  • EPA報告書:野外での暴露 - 日本近現代史と戦争を研究する

    さきにみたように、NRC報告書は、野外における黄燐煙の濃度に関して、 米国環境保護庁 (EPA)のデータを紹介していた。 今回は、そのEPAの資料にあたってみた。 タイトルは、 Summary Review of Health Effects Associated with Elemental and Inorganic Phosphorus Compounds July 1990 オンライン上からもみることができる。 http://tinyurl.com/c2fqce 当該箇所は、Page (27 of 80)。 Only limited information was found in the published literature on the actual ambient levels of elemental phosphorus. However, estimates of

    EPA報告書:野外での暴露 - 日本近現代史と戦争を研究する
  • 黄燐の吸入毒性に関するNRC報告書 - 日本近現代史と戦争を研究する

    「黄燐に限らずどんな煙も吸いすぎたら危険に決まっているのだから、黄燐だけを問題にするのはおかしい」というのは、いささか乱暴な議論であろう。 物質の性質の違いによって、人体に与える影響も当然違ってくるのではないだろうか。 そこで黄燐による影響は、相対的にどのようなものなのかが問題となる。 以下では、米国学術研究会議(National Research Council)による 発煙剤の毒性に関する報告書についてみていこう。 Toxicity of Military Smokes and Obscurants, Volume 1 (1997) Toxicity of Military Smokes and Obscurants, Volume 2(1999) http://books.nap.edu/openbook.php?record_id=5582&page=R1 http://books

    黄燐の吸入毒性に関するNRC報告書 - 日本近現代史と戦争を研究する
  • 黄燐にはどのような毒性があるか - 日本近現代史と戦争を研究する

    黄燐の毒性は、古くから知られており、 黄燐による害について記した文献は、枚挙に暇がない。 その害は、以下の六つに分類できる。 摂取による害 酷い火傷 火傷に止まらない毒性 短期間の吸入による害 長期間の吸入による害 環境への害 以下では、戦前日の文献を中心にみていこう。 (1)摂取による害 鴨居武『無機化学講義』1911年、151頁 非常なる毒物にして稍多量に摂取するときは数時間にて死去す少量にても痙攣其他の病状を惹起す故に日常此者を取扱ふ職工の如きは顎骨に中毒を受け労働を為し得ざる如くなること少なからず。 著者は、工学博士。ここでは、長期間の吸入による害についても言及されている。 近藤耕蔵編『新制化学教科書』1925年、74頁 黄燐は恐るべき毒物にして其0.15瓦は人を殺すに足る。殺鼠剤として用ひらる。 著者は、東京女子高等師範学校教授。 (2)酷い火傷 および (3)火傷に止まらない

    黄燐にはどのような毒性があるか - 日本近現代史と戦争を研究する
  • どの目標に対して榴弾と黄燐を組み合わせるか - 日本近現代史と戦争を研究する

    タコつぼに隠れている兵士に対して、榴弾と黄燐を用いる “シェイクアンドベイク”作戦については、すでにみたところである。 しかし、榴弾と黄燐が用いられるのは、、タコつぼの兵士に対してだけでなかった。 米陸軍野外教範 FM 23-91 MORTAR GUNNERY(1991) http://www.kmike.com/Mortars/FM%2023-91.pdf Table 2-3. Targets and methods of attack. から どの目標に対して、榴弾と黄燐の組み合わせが用いられるのかがわかる。 基的には、次のように述べられる。 Projectile WP should be combined with HE when the target contains flammable material and when the smoke will not obscure a

    どの目標に対して榴弾と黄燐を組み合わせるか - 日本近現代史と戦争を研究する
  • 米軍の戦時国際法上における黄燐認識 - 日本近現代史と戦争を研究する

    米陸軍法務官が、Field Artillery誌上に 戦時国際法および火器支援の入門向け解説を書いている。 Captain Jon D. Holdaway The Law of War and Fire Support:A Primer for Fire Supporters Field Artillery  May-June 2001 http://sill-www.army.mil/famag/2001/MAY_JUN_2001/MAY_JUN_2001_PAGES_40_43.pdf 戦時国際法適用をめぐる方法論に関しては、 目標、兵器、軍需品、戦術に分類して、論じられている。 黄燐に関しては、兵器および軍需品の項で言及されている(p42)。 Incendiaries, which include napalm, flame throwers, tracer rounds and w

    米軍の戦時国際法上における黄燐認識 - 日本近現代史と戦争を研究する
  • 朝鮮戦争と黄燐 - 日本近現代史と戦争を研究する

    以下は、米陸軍重迫撃砲隊の前進観測員として朝鮮戦争に従軍したRonald Eugene Rosserのインタビュー(2004.7.29)である。 http://www.koreanwar-educator.org/memoirs/rosser_ronald/index.htm 迫撃砲は、支援火器に位置づけられる。 支援火器とは、歩兵部隊の作戦行動と連携して使われる重火力のことであり、迫撃砲、対戦車兵器、対空ミサイル、航空機による空爆などが含まれる。対戦車ロケットや迫撃砲など一部の火器は、歩兵部隊が自ら操作し発射することも多い。 (クリス・マクナブ&ウィル・ファウラー著、小林朋則訳コンバット・バイブル―現代戦闘技術のすべて126頁) 支援射撃には、直接照準射撃と間接照準射撃の二種類がある。直接照準射撃とは、射撃部隊の目に見える敵を直接狙って射撃や爆弾投下を行うことである。間接照準射撃は、死角

    朝鮮戦争と黄燐 - 日本近現代史と戦争を研究する
  • 外交会議第三会期(1976.4.21〜6.11) - 日本近現代史と戦争を研究する

    以下は、外交会議第三会期の審議状況をまとめた国連事務総長報告書(1977)(竹正幸・楠美智子「人道的理由で使用の禁止又は制限の対象となる焼夷兵器その他の特定通常兵器(一)」『関西大学法学論集』28-2、1978.6)による。 焼夷兵器に関する議論では、 オランダは、「焼夷弾薬及び火炎弾薬の使用を文民密集地を含む地域において制限しようとした」。 火炎弾薬については、その弾薬の基剤となっている焼夷剤、すなわち「膠質化炭化水素」(ナパーム弾も含まれる)という言葉で定義されている。文民密集地域でのすべての焼夷兵器の使用禁止(軍事目標に対する場合は除く)に加えて、この提案は、軍事目標に対する場合でさえも、火炎弾薬による空中攻撃を禁止することになるであろう(但し、地上兵力間の戦闘が起こり、または、その危険性がある地域に軍事目標がおかれている場合はこの限りではない)。 (163頁) 一方、ノルウェーは

    外交会議第三会期(1976.4.21〜6.11) - 日本近現代史と戦争を研究する
  • 特定通常兵器使用禁止制限条約の成立 - 日本近現代史と戦争を研究する

    以下は、櫻川明巧「特定通常兵器の法的規制」『立法と調査』109、1982.4による。 著者は、外務委員会調査室所属。 通常兵器のうち、「過度の傷害」を与え、 「無差別の効果」を有する兵器に対する関心は、1960年代末ごろから高まった。 特に、ベトナム戦争におけるナパーム弾の強力な殺傷力が人々の注目を集めた。 1968年4月、テヘランで開催された人権国際会議は、 ナパームによる惨害がとりあげ、 国連事務総長に対して、ある種の戦争方法の禁止について研究するよう要請した。 国連事務総長は、「武力紛争における人権の尊重」と題する報告書を作成し、 1970年、国連総会において報告書が審議に付された。 1971年の国連総会では、事務総長に専門家の援助を得て、 ナパームその他の焼夷兵器に関する報告書を作成するよう要請する決議案が採択された。 この決議に基づき、翌年、前エントリでとりあげた事務総長の報告書

    特定通常兵器使用禁止制限条約の成立 - 日本近現代史と戦争を研究する
  • 焼夷兵器に関する国連事務総長報告書 - 日本近現代史と戦争を研究する

    ■「ナパーム及びその他の焼夷兵器に関する国連事務総長の報告書(一)(二)」『関西大学法学論集』23(2)、(3)、1973年7月、9月 以下は1972年、国連第26回総会における決議2852に基づき、 国連事務総長のもとに専門家グループが作成した報告書(竹正幸氏が翻訳)である。 焼夷兵器の法的規制の前提となる、兵器そのものの基礎的構造および効果に 関する基礎的資料を提供するものであった。 報告書の構成は、次のようになっている。 序論 第一章 焼夷剤と焼夷兵器 第二章 焼夷兵器の作用とその医学外の影響 第三章 個人及び住民に対する焼夷兵器の医学的影響 第四章 焼夷戦とその結果 第五章 結論 第一章において、焼夷兵器は、 焼夷剤の作用に効果が依存している兵器 と定義されている(一、78頁)。 焼夷剤は、 金属焼夷剤(マグネシウム、エレクトロン、ウラニウム) パイロテクニック焼夷剤(テルミット

    焼夷兵器に関する国連事務総長報告書 - 日本近現代史と戦争を研究する