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2013年10月20日のブックマーク (2件)

  • 中国戦線における飢餓 - Apeman’s diary

    先日、中国戦線における日軍の兵站に関する話題がTLにちらほらと流れてきていたので。 「中国は陸続き」と言ったって機械化の遅れた日軍のこと、まして制空権も奪われた大戦末期になれば兵站線の確保は容易なことではない。 第27師団の中隊長として大陸打通作戦に参加した歴史家の故・藤原彰氏は、部隊が兵站戦の構築のための道路工事に動員された時の経験を『餓死した英霊たち』(青木書店)で紹介しているが、兵站線の先頭近くで作業しているにもかかわらず「やっとわずかな主が補給されるだけ」で、「その他の料は徴発によらなければならない」状況だった。徴発するにしても、すでに先行する部隊が「散々に荒して通った後で、どの部落もまったくの廃墟と化して」いるありさま。こうした事情が後に多くの栄養失調死を出す原因となった、としている(122-123ページ)。 他方、料はそれなりにあるのに「餓死」する兵士たちもいた。軍医

    中国戦線における飢餓 - Apeman’s diary
    D_Amon
    D_Amon 2013/10/20
    http://bit.ly/1c6ka4iのブコメと比較すればわかると思うが、こういうので30万人説を否定できると考える人はバカなだけでなく心が卑しいのだな。むしろ、知能より心の卑しさの方が大きな要因だろうと私は考えている。
  • 「満洲国」建国過程で誰を省長に登用したか - 日本近現代史と戦争を研究する

    Last Emperor of China / tonynetone 満州事変では、日は独立運動を支援するという体で、溥儀を傀儡国家の執政(のち皇帝)として担ぎ出すわけですが、では大臣などその下の役職はどうなっていたのでしょうか。日人が全部担当したわけではありません。それらのポストを担当する者を担ぎ出す必要があったわけです。やり方としては、二通りが考えられます。 地位の低い者を格上げして強引に高い役職につける もともと地位の高い者をそのまま高い役職につける もちろん、2のやり方のほうがいいわけでして、日が実際にめざしたのも2です。 ここでは、省長のポストについて簡単にみてみましょう。「満洲国」の範囲に該当するのは、遼寧省、吉林省、黒龍江省、熱河省です。独立という体裁を整えるのに一番いいのは、それぞれの省長*1に独立を言わせて、そのままそのポストにつかせることです。日はこのやり方を進

    「満洲国」建国過程で誰を省長に登用したか - 日本近現代史と戦争を研究する
    D_Amon
    D_Amon 2013/10/20