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ブックマーク / night-news.moe-nifty.com (11)

  • アメリカは日本の戦争に巻き込まれたくない - 深夜のNews

    アメリカは、日中国戦争になった場合、日を助ける気はさらさらもない。中国軍が尖閣諸島に侵攻してきた際、今の日米安保条約では在日米軍は出動しなくても良いことになっている。昨年の安保関連法案の国会審議の時も、こんなものでは日の防衛にはならないことを私は書いてきたが、結局その通りであることを産経新聞も認めざる得なくなったようだ。 2月15日の産経のコラム【野口裕之の軍事情勢】にはこう書いてある。 「「米国の戦争に巻き込まれるな」とは、日米安全保障条約はじめ安保関連法の審議でも反対を続けたサヨクが執拗に繰り返す常套句だが、当の米国では「日戦争に巻き込まれるな」との論調が勃興している。」 このコラムによると、米外交誌フォーリン・ポリシー1月15日号に、シンクタンクのランド研究所の著名な専門家に取材した記事が掲載され、その記事では「「日中尖閣紛争」への米国関与は超弩級の戦略的失敗を引き寄せ

    アメリカは日本の戦争に巻き込まれたくない - 深夜のNews
    D_Amon
    D_Amon 2016/02/27
    「ここに産経の対米従属主義がある。産経は憲法改正は主張しながらも、対米従属をやめることはしないのである。対米従属のままでありたい、日本を防衛してくれる世界の警察官のアメリカ、強いアメリカであって欲しい
  • 国際柔道は柔道ではない - 深夜のNews

    北京オリンピックの柔道の試合を見て、毎度、思うことであるが、国際柔道は柔道ではないなと私は思っている。何でまあ、柔道がこんな姿になってしまったのか、ということと、全世界の人々が、「これが柔道なのだ」と思っていることを考えると怒りすらこみ上げてくる。 もともと、柔道がこうなってしまったことは、大きな枠組みで考えると、明治の時代に、嘉納治五郎が柔術から柔道をつくった時から始まっていたとも言える。しかしながら、それでは嘉納治五郎が悪いのか、講道館が悪いのかというと、そんなことは一切なく、今日の柔道は、なるべくしてなったとしか言いようがないものがある。 しかし、国際柔道がこうなってしまったというのは、これは「なるべくしてなった」とは言えないであろう。とりあえずまず、立っている状態での手で足を掬う行為は禁止とすべきである。それと投げられたら素直に受け身を取ること。投げられまいとして、もがく姿を見てい

    国際柔道は柔道ではない - 深夜のNews
    D_Amon
    D_Amon 2008/08/10
    ルールの中で勝つことが目的になった武道のなれのはてが美しくないのは必然かもしれない。武道と武術と競技の違いや国際的な価値観の違いについて考えてしまう。競技としては国際化しても武道としてはそうならずか。
  • 戦争に先手なし - 深夜のNews

    robitaさんが、非常にインパクトのある文章を書かれた。それでコメントを書こうとしたのですが、例によって長くなってしまったので、例によって自分の方に置きます。 --------------------------------- robtaさん、 robitaさんが言われていることは、大別すると武装中立論になると思います。今のアメリカ従属関係から脱却し、日米安保は破棄し、独立した国防力を持った国家になるということです。思えば、昭和26年のサンフランシスコ講話条約で、戦後日アメリカの占領から独立したということになっていますが、実際のところは、この講話条約は「日は今後、アメリカの従属国家になります」という内容であったわけです。まあこのへん、世界は米ソ冷戦になっていたので、好きでそうなったわけではないと言えば、そうであったわけですが。 そして戦後も半世紀を過ぎると、もうアメリカのいいなりに

    戦争に先手なし - 深夜のNews
  • 確かに、「憲法上難しい」 - 深夜のNews

    D_Amon
    D_Amon 2007/10/08
    「アメリカが関わると、この国では、憲法上どうであろうと、なぜか超法規的処置として通るのである」
  • kakuさんのTBへのコメントです - 深夜のNews

  • ひっぱたきたいのは、「丸山真男」ではなく - 深夜のNews

    robitaさんの「人生の転換戦争」というエントリーへのコメントを書いていったら長くなってしまったので、またもやこちらに置くことにします。 僕はバブル時代に大学生だった年代ですが、あの頃、高等遊民なるコトバがありました。もともとは、漱石が作ったコトバで、明治の末から大正の時代に、帝国大学を卒業しても、定職につかず、読書や観劇をして過ごすという若者を意味します。平成バブル期の高等遊民も、まあ同じような意味ですね。や雑誌を読んで、音楽を聴いて、映画を見て、美術館に行って、それで毎日が満足していた人々であったわけです。少なくとも、今のワーキングプア的な意味はありませんでした。 80年代の若者たちが、文化的に何を作ったのかということについては、ちょっとここでは触れないことにしまして、今のニートやフリーターがなにをもたらしつつあるかということについては、はっきりと言えます。それは、出口のない閉塞感

    ひっぱたきたいのは、「丸山真男」ではなく - 深夜のNews
  • おまかせ文化 - 深夜のNews

    robitaさんの「国民はバカか?」というエントリーへのコメントを書いていったら長くなってしまったので、こちらに書くことにします。 確かに、国民の政治意識が高いアメリカ人やヨーロッパ人から見れば、日人はバカに見えると思います。これはもうしょうがありません。これはこれで、確かにそうなのですからしょうがありません。日人はバカなんでしょう。しかしながら、日では国民一人一人が政治に参加するアメリカやヨーロッパの社会とも、また同じアジアでも中国韓国とも違う社会なんだと思います。 では、日はどうなのかというと、僕は「おまかせ社会」ではないかと考えています。 堂のメニューで、定というものがありますね。あれです。おまかせ、なんです。いちいち、細かく言わないんです。その道のプロ、職人さんを信頼している、というわけです。政治も同じです。「東大を出て、官庁に勤めています」これだけで、もう信頼しちゃ

    おまかせ文化 - 深夜のNews
    D_Amon
    D_Amon 2007/06/14
    日本人の「おまかせ」意識による政治に対する当事者意識の低さについて。
  • もういちど国民国家について考える - 深夜のNews

  • 硫黄島二部作を見る - 深夜のNews

    クリント・イーストウッド監督の映画『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』について、以下、感想のようなものを述べてみたい。 『父親たちの星条旗』(以下、映画「父親たち」と略す)と『硫黄島からの手紙』(以下、映画「硫黄島」と略す)の二つの映画で、日では当然の如く映画「硫黄島」の方が話題になっているが、問いかけるものの意味では圧倒的に映画「父親たち」の方が大きかった。この硫黄島二部作は日米双方の視点で描いていると言われているが、双方とも監督をしているのがイーストウッドであって、どちらもイーストウッドの視点である。しかも、イーストウッドの視点は、この二つの映画はおのおの違っている。一言で言ってしまうと、映画「父親たち」が問いかけるものは、国家と国家に翻弄されざる得ない(国民というか)兵士たちの姿であった。 映画「父親たち」の全編に貫いているのは、正直であり公平であるということだと思う。イース

    硫黄島二部作を見る - 深夜のNews
  • 日本政府はなぜイラク戦争を支持したのか - 深夜のNews

  • 武装中立 - 深夜のNews

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