フランスの経済学者トマ・ピケティ教授の大著「21世紀の資本論」が世界中で読まれ議論を呼んでいる。彼が指摘するように、資本主義の社会は格差が広がる宿命なのか。日本に暮らす私たちは「ピケティ論争」から何を読み取るべきか。 ■資産課税では不平等解消せぬ 稲葉振一郎さん(明治学院大学教授) 「21世紀の資本論」が特にアメリカで注目された理由はよくわかりません。ただ、20年ぐらい前から、国家間のグローバルな格差だけでなく、先進国においても国内の格差が無視できないということが経済協力開発機構(OECD)の調査などでわかってきた。 その主たる原因は、つい最近までは、人的資本の格差つまり賃金の格差だといわれてきた。その典型はアメリカで、一握りの経営者が巨額の報酬を得るわけです。 ところがそうではなく、主たる原因は物的資本の格差、「持つ者と持たざる者」の資産格差なんじゃないか、ということをピケティ氏は実証的
同じ話なら、できるだけわかりやすく話した方がいいと思うし、そのように努力することは大事だと思う。ただ、だからこそ、聞き手である人々は、わかりやすさの危険性について、もっと具体的に考えておいた方がよいと思う。 人は、気づいていないことには、気づいていない。そのことに気づくことは、決してわかりやすいことではない。ちょっとした違和感を感じて、少し足踏みをするように考えて、ジワジワとの気づいていなかった「何か」の姿が見えてくることもあれば、あるヒラメキとともに「何か」が見えてくることもある。いずれにせよ、「気づき」と「わかりやすさ」は別のものだ。 だから、次のことに注意する必要がある。もし、あなたが「わかりやすさ」を基準にさまざまな知識や考え方を求めているなら、あなたの気づいていないことに気づかせる「何か」に出会う可能性は、その分だけ、低くなる。 この「何か」は、まだ気づいていない盲点にある、とい
日本の英語教育を語る上で、知っておかなければならない数字があります。 中学~高校で、英語の授業が週4時間あるとして総時間数:800時間 CIA職員が日本語を習得するのに必要な時間数:2000~2500時間 英語のネイティブスピーカーにとって習得が簡単なのは、文化的・文法的に近似する オランダ語・フランス語・スペイン語などです。これらは600時間で習得できます。 では『オランダ語やフランス語は簡単なのか』と日本人が学んでも苦労します。結局のところ、 『同じインド・ヨーロッパ語族なら習得が楽になる』というだけの話です。 一方、 ”英語のネイティブスピーカーにとって極めて困難な言語”としては日本語・中国語・アラビア語などがあり、 これらの習得には2500時間くらいを要し、これは、英検1級合格に要する時間に相当します。 逆の日本語ネイティブ→英語も同じくらい時間がかかるとすると、答えは一つです。
「判断を誤った」ことを制裁の対象にしていくと、頑として誤りを認めない、誤ったことを隠す、そういう体質にどんどんなっていくと思っています。つまり、判断の結果に注目することは、問題を大きくしてしまう。そうだとするならば、代わりに、どのように考えればよいのでしょうか。 そもそも、判断とは、判断の「正しさ」とは何でしょうか。 ニュートンはまちがってましたけど、それでも、彼の理論が土台となってアインシュタインやその後の理論が生まれてきたとは言えると思います。間違っても「正しいと信じられること」を言葉に、形にすること、それが私たちの世界に対する認識を進歩させてきました。逆に、あてずっぽうで結論だけ言い当てることができたとしても、そのことに何か意味があるでしょうか。少なくとも、次なる判断に生かしうる知見を何ももたらしていないという意味で、まぐれ当たりの正解には何の価値もありません。 正しいか間違いかで言
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